2019年09月20日

頑張れ日本 あの感動をもう一度

今日からワールドカップのラグビーが始まる。
前回大会の南アフリカ戦の世紀の大逆転は記憶に新しい。
あれからもうラグビー熱は些かも衰えることなく今回の大会に引き継がれている。
日本のチームにも外国の選手が沢山いるが何年か日本に住んでいたり所属チームがあったりすれば日本の代表になれると言うルールがある。
今回は予選を通過できるかどうかが大きな話題になっているがその先を見据えてもっと高みを目指してほしいものだ。
男と男が合いまみえる肉弾戦。その迫力がいかに凄いか今回も見どころだ。
私の母校の中学校にもラグビー部があった。あったと言うのは入学時に野球部が一番人気、グランドを使う競技で野球とラグビーがほぼ全面を使用していた。その当時サッカー熱が増してきてサッカー部を作るのに変わりに何か他の部を廃部しなければならなかった。投票の結果、僅差ながらラグビー部の廃部が決定した。
その当時は生徒数も少なくいくつか掛け持ちも出来た。野球部に所属しながらサッカー部の試合にも出れたし、陸上部の試合にも出れた。
個人競技は個人の成績が全て、でも団体競技は個人では味わえない緊張感と喜びがある。自分の成績で負けたとなると凹み方が半端ない。逆に自分が最後に出て試合に勝てば美味しい所を一気に持って行くこともできる。
どちらにせよ勝負は勝たねばならない。中学時代なんかは明らかに勝ち負けは分るがワールドクラスになればなるほど力の差はよりわかる。しかしそこに逆転劇と言う神様の見落としがあるから面白い。
こんなにも実力差があってもどこまで食らいつくか、どこまで勝利にどん欲に食らいつくかを見るのが観戦していて面白い。
先日の南アフリカとの前哨戦では力の差は歴然だった。だから本戦はだめかというとそうではない。世紀の云々と言われた前回の戦いをもう一度思い出して戦って貰いたいものだ。
暫くはラグビーラグビーと煩く言うかもしれないが、御辛抱ください。

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2019年09月19日

そこを言われると私は反論が出来ない・・・

いつの間にか朝夕の涼しさが半袖の白衣を着て居て季節の変わり目を感じるようになった。暑い暑いと言ってももう秋の彼岸が始まる。そしてうっすらと庭の盆栽の葉も紅葉の色の最初に現れる緑色から薄黄色に変わろうとしている。そしてその薄黄色から紅葉に移るのはあっという間だ。秋の植木市では実物の盆栽が所狭しと並ぶ。
春の植木市では新緑からもっと濃い緑色の葉が展示の台を覆うがこの季節は色とりどりで見ていて飽きない。そして大きな実のなる盆栽もあちらこちらに出展されていて楽しみも倍増する。専門家の盆栽ではないが我が家の庭の盆栽は水やりを怠らなければちゃんとこちらの期待通りの色を付けてくれる。紅葉も楓も色づき始め欅の箒立ちも緑の苔から薄茶の色に変化しつつ葉っぱを葉狩をして枝の伸びも今年はスムーズにいった。私は盆栽の代表と言われる松は扱わない。それでも楽しむ方法はいくらでもある。中でも清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったお気に入りの盆栽がある。
「縮緬蔓」だウン十万円もした私には高級品だ。器も気に入ったが枝振りや葉の密集した様子、その立ち姿に惚れこんでほぼ1週間通い詰めた。同じ店で何度も通いうと最初は用心されたが最後は根気負けかそこの大将も値段を負けてくれて買うことが出来た。分らないことがあれば何度もそこの店に電話をかけて聞き、必ず春と秋の植木市には顔を出しああだこうだと教えを乞うた。この鉢一つの為に葦簀をかけ家に居る時は必ずその鉢を置いている台を回転させる気の入れよう。家人がそこまでするならなぜもっと他の事も気を入れろと悪態をつく始末。
そりゃこの一鉢の値段を知らないからそんな悪態をつけるんだと思いつつ、何を言われてもぐっと我慢の日々を送っていた。そう言えば私の趣味はいろいろあるがこれもそうだが熱帯魚もそうだった。最初からそうだったが金魚を飼えばいいものをと言われ最初はグッピーやメダカに嵌り次に嵌ったのがディスカス、これまた家人は値段を知らない。いや言えないくらいだった。元々、我が家は犬や猫を飼わない、飼えない家だからこちらの嵌っても仕方がなかった。家人の口癖は「口とお尻のあるものは飼わない、アンタで十分や」だと。だから魚や植木は構わないとの事でこちらに嵌ってしまった。今やメダカは一大ブームを起こしている。あのまま続けていればどれだけすごいのが出来たことか。でも今でも十分満足はしている。
やはり手のかかる子はやりがいがある。そう家人に言えば「ウチのは手がかかりすぎてどうしようもない子になってしまったわい」だと。それは自分自身でも納得していて反論できない。

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2019年09月18日

それで良いのだ・・・

昨日の話の続きです。
その祝宴の私の席の隣には以前お世話になった診療所の近くの内科の先生が着席されていた。ちょうど私の一回り上の方だ。嘗ては同じように修験道に参加されていて一緒に修行をされた方だ。大峰の奥掛けにも参加されていて一回り上とは思えない健脚だった。よく当医院の入っているビルの前を自転車で走っているのを窓越しに見ていて、そのことを伝えてからは信号待ちや交差点を走り抜ける時によく手を振ってくださっていた。そんな思い出話をし乍ら我々のテーブルの他の方々とも気楽に話をされていて、もしも普通ならなかなかお知り合いになれない方々ばかりだと思った。
これも何かの縁でこうしてお知り合いになれたことを感謝しつつ話はいろんな方向に進んでいった。お隣には某会計事務所の所長さんが着席されていた。その方も私よりお歳は上で、聞いてみると私の親父が治療をしていていわば昔の当医院の患者さんだった。自宅を引っ越されてからは治療に来られていなかったが親父が亡くなったことも御存じで「昔はお世話になりました」と言って頂いた。
300名近くの中には自宅の近所の菩提寺のご住職も来られていた。席は反対側にお座りになっていたが座席表を見て挨拶に伺った。身体を壊して長く入院されていて息子さんに御寺院を任せておられて久しぶりにお顔を拝見することが出来た。
正に人の御縁とはこう言うことだと実感した。こんな方々とはなかなか巡り合得ない。そのチャンスを今回頂いたことに本当に有難く感謝していた。
今、自分が何かしようとしても他の人の御助けがなければ成し遂げられないだろうし、益々そのご縁大切にしようと思った祝宴だった。
そして昨日早速同じテーブルに座っていた方から連絡があった。
座席表には私の事を○○歯科医院院長と書いてあって今回お知り合いになれた方から今の自分が受けておられる治療についての質問だった。その場ではなかなか聞きにくいからと言って次の日に連絡を頂いた。今受けられている治療で勿論、ちゃんとされているがこう言う風にも治療が出来ますよとアドバイスして今度そこの歯科医院に行かれたらお聞きになったらどうですかと言っておいたら、納得しておられた。
患者さんはチョットしたことで安心される、そして聞きにくい事も聞いたら納得される。私もそんなことくらいお安いご用ですと言っておいた。それで良いのだ。

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2019年09月17日

私もその中の一人だったのは言うまでも無い

昨日は当医院の患者さんの叙勲のパーティーがあって御呼ばれをして来た。親戚の叙勲パーティーの時の様に気軽にお越しくださいと言われたがそうはいくまい。何せ招待客が300名近くと聞いたからスーツは何とか着れたがここでも紹介したようにワイシャツのサイズが合わず急遽仕立てて前日の夜に外商に持ってきてもらって何とか間に合わせた。勿論、そんなパーティーに行くのに「普段着でお越しください」を真に受けるほど野暮ではないが正直、どんな装いで皆さんがお越しになるのかの方が気にはなっていた。主役の方は80代半ばご住職でもあり教誨師でもありその関係者たちが多く出席されていた。待合室には100名を超える方が控えておられ、御夫婦でお越しになっている方も多数おられた。
この歳になるといくつもいろんなパーティーには行っているが昨日のは些か自分自身が場違い?感があった。席次表があって皆さんがそれを眺めながらあのテーブルには誰々さん、こちらのテーブルには誰々さんと名前は知っていてもこの方がそうだったのかと言う風に有名人が居られた。私などその中に入ればまだまだ若造だ。同じテーブルの方々と名刺交換をしたがほぼ誰もが知っている○○病院の名誉院長先生、何処何処経理事務所の所長さん、そのご婦人たち。まだまだ暑い中ご婦人たちの装いは皆さん御着物、それも一目見てこれはお高いと分る御召し物。その横にお持ちのバックはあの有名な○ル○スのバ○キ○、着物にも全く違和感なくお持ちのご様子。数が限られている筈なのにこの会場では如何にも当たり前の様にあちらこちらで見かけてしまった。野暮な話だがその総額たるや想像を絶する額になること間違いはない。男性はその点随分と楽に見える。法衣に袈裟姿、手には数珠を巻き緋扇を持つお坊さん独特の御姿。私など年に2~3回くらいしか着ないスーツ姿、それこそ気慣れていないのが丸分かり。借りてきた猫の様に大人しくその場に居たが主賓の方々や叙勲されたご本人が各テーブルにご挨拶にいらした時にその様子が正面左右のスクリーンに大きく映し出されたのを自分の目で見て、初めて気が付いた。スクリーンに映った自分の姿、自分では少々痩せたと思って居たのに画面にはまだまだ痩せる余地のある自分の姿が写っていた。そして何より驚いたのが我が頭髪。真っ白ではないか、あの姿は知らない人が見たらそこそこのお歳に見えるはず。いつまでも若いと思っていたがあの姿をスクリーンで見て親父そっくりに見えて思わず見入ってしまった。
無事にお開きになったが計5時間余り、トイレに行くのも忘れるほどの中身の濃い祝賀パーティーだった。本当はもしも親父が生きていたらその場には親父が出席して居る筈なのにと思ってしまった。お開きになって会場を出て皆さん一目散にトイレに並ばれたことは想像に値するものだ。私もその中の一人であった。

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2019年09月13日

あ~あどうしたものか・・・

毎日のニュースで未だに千葉県の一部の地域の停電が大きく報道されている。
病院や高齢者施設に電気が行かないと言うことは、冷房のない部屋の中で一日過ごすようなもの。熱中症になってくださいと言っているようなものだ。自然災害はこうした二次的な災害まで引き起こす。電気と言うものが如何に大事か、当たり前の様にしていたが今の世の中電気が無くては何もできない社会になってしまっていることに今回の台風で思い知らされた。昨日も言ったが高層階の住民はエレベーター無しでは下に降りる事も上に上がることもできない。宅配便の人にとってもモノを運ぶと言うことがこれほど大変なことだと昨年の大阪の台風で分ったはずだが余りそこは教訓とされていなかったようだ。新聞記事でガソリンスタンドの給油が出来ないと言った記事の中で手動でのポンプのくみ上げの話が出ていた。手動と言ってもポンプを回すのに自転車の車輪の回転を利用すると言うものでそこに救世主が現れた。競輪選手が一肌脱いでくれたと言うニュース。普通の人の倍以上の勢いで車輪を回して給油してくれたおかげでお客さんは助かるし競輪選手は練習にもなる一挙両得な話だった。
出来る事を出来る人がする、当たり前の話だがそれがなかなか出来ない。
自分なら何が出来るかを考える前に動いたこの選手に拍手を送りたい。
話は変わるが、昨日もウチの他の業者が来月から消費税アップのお知らせと言う紙が回ってきた。でも今回は前回に比べて駆け込みの買い占めは少ないらしい。
そう言えば当医院も消費税アップ前の買い物はしなくていいと女の子にしておいた。税が上がっても余計なものまで買う必要があるのか、そう考えたら向こうの思う壺にはまりかねない。逆にこんな丁度良いチャンスか必要のない買い物を一掃する絶好のチャンスになって欲しいものだ。でもよくよく考えてみたら軽減税率の食品何かは据え置きであるから日常の買い物にあまり変わりはない。
いつも言うがウチだけが税率アップであるわけがない、皆がアップしていると言うことはさ程気にする必要が無いと言うことに考えようとしている。
ただ私個人は超現金主義だからカード払いなど夢のまた夢。多分世の中の最後の一人になるまでカード人間にはならないだろう。それは今だに内容をよく理解していないからに他ならない。今さら女の子に聞くのも何だし。かと言って使う使わないで明らかに損得が出るのも納得がいかない。あ~あどうしたものか・・・

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