2019年01月22日

ちょっとはマシだがまだかなりキツイ

インフルエンザでは無いと言われても、普通の風邪でもかなり体力を消耗するには違いはないのだが、常に足痛が付いて回るのには閉口している。昨日は昼から早退した。家に帰っても誰もいないが帰ってそれが幸いした。誰からも邪魔されずに休むことが出来た。
何度か電話もなったが取る気もなく、玄関や勝手口のベルを鳴らした人がいたが後でセコムの画面で確認したら宅配のお兄ちゃんだった。本当は出てあげたかったが足の痛みに負けて出れなかった。夜に再配の手続きをしたので家人に出て貰った。そんなこんなでダラダラとした一日を過ごした。今日もまだ体調が戻らず最終の患者さんを診たら帰ろうと思っている。こんな体調で診療は失礼だ。
我々の仕事ってこんな時は「身体が資本」を思い知らされる。

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2019年01月21日

久しぶりのダウン

巷ではインフルエンザが猛威をふるっている。
インフルエンザでは無かったが風邪様症状で土曜日の午後からダウン。日曜日はその熱がいつものように足に入り高熱でダウン。
久しぶりに松葉杖を探して仕事場に来たが解熱鎮痛剤を服用しすぎて頭がボヤっとしている。昼からの患者さんの様子を見て日にちを変更して貰おうかと考えている。体調万全でなければ診療をしてはいけない、万に一つの事故もあってはならないからだ。
久しぶりにこんな足痛が出るとは思っても見なかった。

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2019年01月18日

いつまでも平和であ~れ

正月明け半月が過ぎた。御屠蘇気分はもうすでに無い。
戎さんも無事終わり、松の内も何となく過ぎてしまった。
仕事に生活に元の状態に戻りつつあるが、平成最後の云々、いろいろ言われて何となく忙しない年の初めだ。
誰かが言っていたが天皇一代に年号が一つ。そしてこの平成の時代に幾つかの大きな災害はあったが今までの時代を考えれば「戦争」と言った大きな出来事が無かっただけでも我々には幸せな時代だったように思う。世界中では何処かで紛争が起こっている。民族間、宗教間、当たり前の様に戦争は起こるのだ。日本は島国、周りを海に囲まれている、何度か攻め込まれた時代があったが何とか無事に過ごせたことは幸せなことだ。日本が攻め込んで植民地支配をしていた時代があった。コレはまぎれもない事実だ。そして敗戦、一時期占領下にはあった時代もあるがそこからの目覚ましい発展は誰の目にもはっきりと残っているはずだ。
今年は新しい天皇に代って新年号が発表されるが次の世も又その次の世も戦争のない時代になって欲しいものだ。
日本には様々な宗教観があって外国の人にはなかなか理解されない面もある。キリスト教、イスラム教、仏教と信仰の自由があるがそれは憲法にきっちりと守られている。そう言った面では宗教戦争なるものはわが国では起こらない。民族も単一民族だから民族間の争いも考えられない。思ってみれば日本って平和を絵に書いたような国だと思う。一握りの金持ちが政治を動かすことも無い。どこかの国の様に軍事政権でも無い。そう考えれば我々は幸せな国の国民だと思わざるを得ない。

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2019年01月17日

あれから24年

24年前の今日、阪神淡路大震災が起こった。
その日は偶々目が覚めていて布団の中でうつらうつらしていたのを思い出す。下からの突き上げのような揺れで飛び起きた。そしてすぐさまサイドテーブルを掴んだ。暫くして揺れが収まってから周りを見渡すとあるべきところに水槽がない、玄関横にあった水槽が床に落ちていた。120センチ水槽が床に落ちるなんて考えもしなかった。勿論、周りは水浸しだし中に居た熱帯魚のディスカスは床でピチピチと跳ねていた。どうする事も出来ずにすぐさま拾い上げバケツに移した。玄関には落ちて割れた水槽と水浸しになったマットがあった。その後部屋の中は食器棚の扉が空いて中の食器が割れたり、冷蔵庫が元の位置から10センチほど前に出ていたり後にも先にもこんな光景は見たことも無かった。表に飛び出してきたご近所さんたちも一応にパジャマの上に一枚羽織って道に佇んでいたのを思い出す。テレビもニュースの特番が始まって次第に地震の凄さを報じていた。でも関西地方がこんな状況になっているのに東京方面ではそこまで酷い状態ではないだろう位の感じだったとか。
昼に車で診療所に行ったが、途中の信号が止まっていたり、一部ではあるがビルの看板が落ちていたりしていた。診療所のカルテの棚から幸いにもカルテは落ちていなかったが上の置いていたものが全て落ちて足の踏み場も無いくらいだった。
その後親戚が甲子園に居たのでそこに様子を見に行った。
梅田からなら普段は30分もあれば行ける道が3時間くらいかかった記憶があった。窓越しに見える景色は戦後生まれの私にもコレが戦時中かのような錯覚になるようだった。幾つもの火事のための煙が上がっていたり、空全体が薄曇りのような感じだったり。
偶々、親戚の家に着く前に国道は渋滞で動かなかったから武庫川沿いに車を停めて歩いて甲子園を目指した。その前年に家を改装工事していて補強した居間に親戚の方は寝起きしていた。その二階に上がって驚いた。屋根が無い、空が丸見え状態で落ちた屋根が二階を覆い、一階の補強していたところに覆いかぶさっていたのを思い出した。その後半年くらいは屋根にブルーシートを被せた家があちらこちらにあった。連れはマンションの10階にいたがそれは生きた心地がしないと言っていた。食器棚が倒れてきて寝ていた上に覆いかぶさってたまたま隙間があったのでそこに入って難を逃れたとか。今もその当時の写真を持っているが見せて貰って絶句したのを思い出す。これから南海地震も想定されているがいつも言うように「災害は忘れたころにやって来る」なら絶対に忘れはしまい、そう心に刻んで朝からのニュースを見ていた。

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2019年01月16日

少しづつ相撲人気は戻りつつあるそうだ

今朝のスポーツ紙の一面に「横綱稀勢の里引退か」の記事があった。ただ一人の日本人横綱に多くのファンがヤキモキしている。
去年の今頃は暴行事件やら組織としての不祥事を賑わ合いを見せていて外国人横綱だの日本人横綱だのの話が多く載っていた。
横綱まで行くと負け越し陥落は無いが、それが続くと引退が待っている。何日か前の新聞には「横綱にならなくて大関のままだったらもっと永く相撲が取れたのに」と言う論調が乗っていた。
しかしここまで相撲が取れていて周りは皆横綱を倒して金星を頂戴するぞの勢いで向かってくるのだから、よほどの覚悟と実力が備わっていないとやって行けないのだろう。辞める辞めないは本人の意思だがどこかの政治家も「出処進退は本人が決めること」と如何にも他人事のような話をする。辞めたくても辞めれない事情も相撲協会にはあるのだろう。
外国人力士が何人いるかは知らないが、相撲が国技と言うからにはもっと日本人力士には頑張って貰いたい。嘗て、「若貴時代」と言うのがあった。もっと遡れば「大鵬、柏戸」から始まってライバルと呼ばれる存在が相撲人気を支えてきた。でも今やモンゴル人力士持ち回り優勝が続き、やっと稀勢の里が優勝して日本人力士万歳と持ち上げすぎだったのかもしれない。
相撲の事は余り知らないから余計なことは言えないが、連れに相撲オタクがいる。必ずや大阪場所の千秋楽が終わった後で贔屓部屋の打ち上げ会には参加するので3月場所の打ち上げ後の話を聞かされる。朝稽古も勿論見に行くし、時間が許せば本場所にも足しげく通っている。何度も誘われたがなかなか機会がなく見に行けていない。仕事柄土日にしか見に行けないので今年は中日か千秋楽のどちらかにチケットを持っている筈の連れにお願いしてみようか。
毎年誘ってくれるからにはチケットはあると思うのだが。

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