2009年07月16日

最近読んだ本の中から

よく人は、生きることに疲れたという。しかし生きることに疲れたのではない。正確には憎しみを抑圧する事につかれたのである。
あなたは真面目に生きてきた。しかし自分の憎しみの感情を吐き出す事はなかった。心の底で思っていることを言わないことで人は消耗する。
外側からでは何も見えないが、内面ではものすごい衝突が起きてその衝突でエネルギーを消耗してしまう。
思ったことをポンポンと言ってしまう人は、外側は動いているようで実は心は疲れない。
心の中でいつも衝突している人は、川の流れをいつもせき止めているようなものである。思ったことをポンポンと言ってしまう人は川の流れがスムーズに流れている。だから疲れない。
あなたは心の底で人を恨みながらも、周囲にいい顔をしてきた。それが消耗の原因である。
さらにもう一つ消耗する原因がある。それは心の底の憎しみを周囲の人に気づかれまいとするからである。自分の心の底の憎しみを周囲の人に気づかれまいとすることが、自分の中に心理的な緊張感を生み出し、その緊張感がエネルギーを消耗する。
そして憎しみが心の底にあるからあなたは他人にやさしく慣れない。他人にやさしくなれないから結局は本当の友達もできない。
そして真面目に生きてきたあなたは、働く事も遊ぶ事も億劫である。人と会うのも億劫である。
自分がやさしい人になりたければ、まず視野を広げて劣等感を乗り越える事である。
真面目な人がなぜ幸せになれないか。
それは真面目な人が勘違いしているからだ。真面目でありさえすれば幸せが手に入ると思っている。
それはデパートの前に開店前から並んでいれば商品をタダでくれると思いこんでいるようなものである。自分が開店前から並んでいるのに、後から来た人が商品を買っていくのを見て、「不公平だ」と嘆いているようなものである。
鬱病の人は後から来た人はお金を払っているのに気がつかない。鬱病の人は自分が自分がお金を払っていないから商品がもらえないのだと気がついていない。このデアートの商品が「幸せ」である。
真面目でも人を信じなければ幸せにはなれない。愛を信じなければ幸せにはなれない。人と親しくならなければ幸せにはなれない。真面目でも人とコミニュケーションできなければしあわせにはなれない。心が触れ合えなければ幸せにはなれない。
鬱病になるような人に今大切なのは「自分を出す事」である。鬱病になるような人は、人から好かれようと、長いこと自分の感じ方、自分の考え方などを表現してこなかった。
生きることに疲れた人には自分の意見が無い。自分の意見がある人が賛成する時には賛同。服従できない。服従の裏には敵意がある。
人は自分を出してしまったほうが愛される。傷つかなければ触れることができない。それが素直さというものであろう。素直でなければ何をしても幸福にはなれない。
生きることに疲れたあなたは長いことヘビが竹筒に入って真っ直ぐに進むような生き方をしてきた。他人がまっすぐに進む事を期待したからである。他人に気に入られようとしたからである。
自分の感じ方よりも周囲の人の感じ方に合わせてきた。生きることに疲れたあなたは周囲の人に受け入れられる事が最も重要だったから。
あなたは皆から「いい人」と言われてきたが、それで何を得たのか。生きることに疲れただけではないか。その時、気に入られればいいという生き方が、生きる喜びを奪った。
長い時間を考えて動いていない。人間は欲で滅びる。欲はいい人に思ってもらいたいという願望。愛されたい人は滅びて、愛する人は救われる。愛されようとする人は悩む。

こんな内容だったように思う。私なりにこう理解した。
『まず 自分から 動け』  私みたいに動きすぎるのもなぁ。

ページの先頭へ