2012年12月14日

いつも吼えてくれて ありがとう

よくここに登場してくれるお気に入りの鞄屋さんがある。
そこの看板犬の「チャーちゃん」が亡くなった。
毎回行くたびに吼えられて何年になるだろうか?最近は元気が無くて吼えると言うよりも、唸られてばかりいた。
家族同様に主人のごとくチェアーに横になっている姿は様になっていたがもうその姿が見れないのは残念でならない。
動物を飼うと言うのは最後まで面倒を見るという事だ。
我が家も犬や猫を飼いたいと何度思ったことか、しかし家人はいつも言うのだった。
「我が家では口とお尻のあるものはダメだ」
コレが我が家の不文律。唯一、飼ったのが熱帯魚。しかしそれでも水槽の中で死んでしまうとやっぱりかわいそうである。庭に穴を掘って埋葬してやったものだ。
そんな中、昔の写真が一枚出てきた。まだ私が1歳くらいのころ、その当時住んでいた家にシェパードが飼われていたらしい。その犬と一緒に写っていた写真があった。しかし家人は「コレはお隣の犬」と言って聞かない。それを認めてしまうとこの家で動物を飼ったことがないという不文律が壊れてしまうからだろうか。
だから頑として認めようとはしない。
犬にせよ猫にせよ、ペットを飼うと言うのは家族になるという事で喜ばしい事だと思うのだが、いつも決まってこういわれる。
「口とお尻のあるのはダメ、あんただけでたくさんや」
こういわれて何年にもなる。来年こそはこの不文律を覆そうと思った。
看板犬の「チャーちゃん」のように皆に愛される存在になるようなペットはいないものなのか。

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