2016年06月23日

可能性は誰にでもある しかし気付けるかどうかだ

昨日のスポーツ紙の中でオリンピックに出場しそうな選手が怪我で出れなくなるかもしれないと言う記事が出ていた。今まで一生懸命練習を積んできたのに出れなくなるのは辛い事だ。
結果がダメで出場できないのは仕方がないが、それ以前で選考会に出れないのは悔やんでも悔やみきれない。しかしそれも「運」「不運」である。
いかにピークを持ってくるか、その時はベストでも本番で燃え尽き症候群なら意味がない。同じように受験勉強を死に物狂いでして目標の大学に入ったが中でついていけずに留年したり卒業できなかったらそれこそ本末転倒だ。
オリンピックは4年に一度、そこにピークを持って来るのは並大抵ではない。
また優勝するのも並大抵ではないが連覇となるとそれこそ想像以上なことだ。
100分の1秒差、1ミリ差、で勝負が決まる。
誰が言ったかは忘れたが、努力した、練習をしたその先1ミリの所に栄冠があるとか。
誰もそれが分っていたら誰でも努力するだろう。練習は嘘をつかないとか言われるが我々凡人にはあまりにも関係ない話のように聞こえるが、それこそオリンピックに出ようかというアスリートには理解できる話だと思う。
結果が全てと言われるがまさにその通りだと思う。
話は変わるが昨日車の中で見たテレビで、カラオケを歌っている番組があった。その中に出てくるような人(18歳未満)だったがプロ顔負けな歌唱力だった。点数の出るマシンで判定するから人の判断より公平だとも思った。
しかし歌が上手くても点数が出るとは限らない。まして歌手になっても売れるとも限らない。そこに何かの「運」「不運」が働いているように思う。
努力して売れるなら誰でも努力しよう。しかし持って生まれた才能とその人の「運」が大きく左右するように思う。
私の周りにも運だけで生きているような奴がいる。しかしある時見てしまった。
そいつは誰よりも人に好かれる原因を。挨拶は人より先に、人より頭は低く、そして人より長く頭を下げていることを。こうされたら誰も悪い気はしない。
ついこいつを何とかしてやろうと思わせる。自然にこんなことが出来るのは教えられて出来るものではない。何かそこに成功の秘訣があるように思えてならない。

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