2018年06月21日

数少ない親戚がまた一人旅立たれた

大阪北部の地震の影響はまだ傷跡を残したまま大雨で避難する地域も出ている状態だ。
支部からも地震の影響を受けた地域にお住いの先生方も沢山いると聞いた。何かあれば支部まで連絡をくださいとのFAXが流れてきた。
今回の地震で思ったことはいつも言うように「災害は忘れたころにやって来る」と言うことだ。
阪神淡路大震災をモロに被った親戚がいる。亡くなった親父の先輩の先生で兵庫県の芦屋で開業されていた先生だ。親父、お袋の仲人をしていただいて、私の子供の頃によく遊びに行って可愛がってくださった方だ。その方は私の小さい時の記憶でも立派な家で庭には芝生があってそこで犬を飼っていて子供心に素敵な家だと言うイメージが残っていた。応接間にはシャンデリアがあってフカフカの足首まですっぽりと入るくらいの毛の長い絨毯、飴でも落そうならどこに入ったか分らないほどの絨毯だった。小さい頃だったから行けばいつもそこのお兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらった記憶があった。生活のすべてが憧れであり、こんな暮らしがしたいと思っていたものだ。ハワイに別荘があって行ったことは無いがいつも写真を見せて貰っていた。そんな素敵なお家が阪神淡路大震災で被災された。一番に電話をかけたが安否は分らず、暫くしてからお見舞いに行って驚いた。あのころには珍しい鉄筋コンクリート作りの家だった。家自体には外見上は余り酷いことにはなっていない様に見えたが、家の中はもうグチャクチャだった。半月くらい経って行ったように思うが足の踏み場もないほどだった。周りの家は全壊、半壊上体だったがそこは頑丈な作りで外見はそのままだったように思う。しかし中は箪笥が倒れテレビや冷蔵庫もひっくり返って本当にここがあの素敵な家だとは思いもよらなかった。
やっと落ち着いてからもう一度お見舞いに行ったとき、何とか部屋の中を片づけたと言っていつものようにお茶を出して頂いた。
以前はコーヒカップもティーカップもロイヤアルコペンであったりウェッジウッドであったりミントンであったりしていたのが壊れてしまって全て割れたとかでモロゾフのプリンのカップに変わっていた。あの震災で全く人生観が変わったと言っていたが今回の大阪の地震の日にお母様がお亡くなりになったとか。次に日によく遊んでくれたお兄ちゃんから電話があった。その方でさえ70歳を過ぎている方だが丁度70歳を迎えた時に歯科医を辞めて悠悠自適?な生活っを送っておられた。90歳も半ばを超えて100歳まで頑張ってくださいと年賀状に書いたがまた一人親戚の方が亡くなった。
ご冥福をお祈りします。   合掌

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