2015年10月19日

感動とは小さなことの積み重ねなのかもしれない

連日の好天秋晴れ。
今年の夏はあちらこちらで豪雨災害が起こって未だに爪あとが残ってはいるが、今日みたいな日もあることに感謝しないといけない。
お天とう様は気まぐれか?こんな日を齎してくれるなら、そんな日の半分でいいから、災害の方も半分にしてくれないかと自然と思ってしまうのは私だけだろうか?
さて話は変わるが、診療所に置いてある観葉植物の話だが、「クワズイモ」のことは何度もここで登場していると思うが、夏前に花が咲き実が出来、種を採って小さな植木鉢にいくつにも分けて植えていた。
小さな芽が出て双葉が伸び、やっと独り立ちできるくらいの大きさになったので先週の土曜日に、診療後に大きな鉢に植え替えた。
子供の頃にアサガオの種を採ったりしてその次の年に植えて芽を出させたことはあるが、こうして一から種を採って発芽させて大きくしたことは無かった。
いわばゼロから新しい命が生まれてくることに感激しながら、大切に水やり陽にあてて日夜大事に育てているのを、最初は冷ややかな目で見ていたスタッフも最近では温かく?見ていてくれる。
ここでもまた一つ会話の材料が出来た。
しかし連休があったりお盆休みのように何日もここに来ることがない時にでも、水やりは欠かさなかった。
命は小さくても命、日々成長をする姿を見せてくれることでコチラも力をもらえる。
考えてみたら熱帯魚の「ディスカス」のときもそうだった。
初めてのお産で小さな子供が何匹も出来たとき、水槽にかじり付きながら何時間も観察したのを思い出す。
三日に一度の水変え、水質のPHの管理、そこまでしていたのにあの阪神淡路大震災で目の前にあった水槽が宙を舞い、キャビネットから落ちて割れてしまって親も子供も死なせてしまったことが悔やまれてならない。
命あるもの、次の世代へと子孫を残していくということが何世代も何十世代も脈々と続いていくことに生命の神秘を感じざるを得ない。コレって小さな感動の積み重ね、命の継承だとしみしみと思うのだった。

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