2018年08月28日

表現の難しさと日本人の感性の問題だと思う

残暑はまだまだ厳しいですが日差しが少し真夏の日差しから柔らかに感じてきました。真夏の日差しは熱せられた鉄板の上に一滴の水を垂らして、「ジュ」と水滴が一瞬で蒸発するような感じなのに、今は同じ「ジュ」でも一呼吸置いて蒸発する感じ。(変な表現ですみません)
このひと呼吸の間こそ季節感を感じるのかもしれません。
何が言いたかったかと言うと今朝の新聞の記事の中にこんなのがありました。海外の人が日本に来て思ったことを書いた記事です。
それはその海外から来た留学生の人が日本人の曖昧模糊とした話し方に翻弄されたと言うものです。その人がスマートフォンで約束する時に、友達の「行けそう」と言う返事のメッセージには困ったとか。その人は「行ける」と受け取ったが相手は「行けそう」と言うのは行ける、行けないのどちらともとれる可能性を含みながらどちらとも取れる表現だと後から分ったとか。
だからその留学生はそれは心の中で考えることで返事は「行く」か「行かない」かを決めてからしてほしいと思った。
日本のこの曖昧な言い方が如何やらその留学生には分らなかったらしい。だから外国人にすると約束は「イエス」か「ノー」ではっきりと言って欲しかったと言っていた。
よく日本人は、日本語は曖昧で分らないと海外の人に言われているが、わたしはそうは思わない。その言い回しでその人が行くのか行かないのかは察しれると思うからだ。白黒をはっきりとつけるのが苦手な日本人ならではの表現なのだ。
世の中白か黒ではなくその中間のグレーもあると言うこと。
ただグレーという表現はあまり良い意味では使われることが無いのだが。外国の言葉の中には日本語のような表現はあまり見られない。例えば雨が降った時に「しとしと」「ざぁざぁ」「ごうごう」
最近でも「バケツをひっくり返したような」「50年に一度の」
等々。日本語の難しさがそこにはあるようだ。

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