2019年01月17日

あれから24年

24年前の今日、阪神淡路大震災が起こった。
その日は偶々目が覚めていて布団の中でうつらうつらしていたのを思い出す。下からの突き上げのような揺れで飛び起きた。そしてすぐさまサイドテーブルを掴んだ。暫くして揺れが収まってから周りを見渡すとあるべきところに水槽がない、玄関横にあった水槽が床に落ちていた。120センチ水槽が床に落ちるなんて考えもしなかった。勿論、周りは水浸しだし中に居た熱帯魚のディスカスは床でピチピチと跳ねていた。どうする事も出来ずにすぐさま拾い上げバケツに移した。玄関には落ちて割れた水槽と水浸しになったマットがあった。その後部屋の中は食器棚の扉が空いて中の食器が割れたり、冷蔵庫が元の位置から10センチほど前に出ていたり後にも先にもこんな光景は見たことも無かった。表に飛び出してきたご近所さんたちも一応にパジャマの上に一枚羽織って道に佇んでいたのを思い出す。テレビもニュースの特番が始まって次第に地震の凄さを報じていた。でも関西地方がこんな状況になっているのに東京方面ではそこまで酷い状態ではないだろう位の感じだったとか。
昼に車で診療所に行ったが、途中の信号が止まっていたり、一部ではあるがビルの看板が落ちていたりしていた。診療所のカルテの棚から幸いにもカルテは落ちていなかったが上の置いていたものが全て落ちて足の踏み場も無いくらいだった。
その後親戚が甲子園に居たのでそこに様子を見に行った。
梅田からなら普段は30分もあれば行ける道が3時間くらいかかった記憶があった。窓越しに見える景色は戦後生まれの私にもコレが戦時中かのような錯覚になるようだった。幾つもの火事のための煙が上がっていたり、空全体が薄曇りのような感じだったり。
偶々、親戚の家に着く前に国道は渋滞で動かなかったから武庫川沿いに車を停めて歩いて甲子園を目指した。その前年に家を改装工事していて補強した居間に親戚の方は寝起きしていた。その二階に上がって驚いた。屋根が無い、空が丸見え状態で落ちた屋根が二階を覆い、一階の補強していたところに覆いかぶさっていたのを思い出した。その後半年くらいは屋根にブルーシートを被せた家があちらこちらにあった。連れはマンションの10階にいたがそれは生きた心地がしないと言っていた。食器棚が倒れてきて寝ていた上に覆いかぶさってたまたま隙間があったのでそこに入って難を逃れたとか。今もその当時の写真を持っているが見せて貰って絶句したのを思い出す。これから南海地震も想定されているがいつも言うように「災害は忘れたころにやって来る」なら絶対に忘れはしまい、そう心に刻んで朝からのニュースを見ていた。

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