2008年11月14日

昨日の続き

友人にこんな事を言われました。
喧嘩はひとりでは出来ません。相手のあることだからもう一度よく考えて行動を起こせって。何となく思い当たる節がありました。ここでそのことを整理するとこうなります。他人の喧嘩と肉親の喧嘩。大きく分ければこうなります。親子、兄弟の喧嘩はいっても肉親だからすごい喧嘩をしてもそれこそ殴り合い、取っ組み合いの喧嘩も言ってみればじゃれ合いの延長だと。
しかし他人の喧嘩は夫婦にしたって、嫁姑や友人同士にしたって所詮はあかの他人です。ここで本当の線引きが出来てしまうのではないでしょうか。同じDNAを持つ者どうしどこかできっと落としどころって分かっているように思います。上げた拳の落としどころって言うか、収め処を。しかし他人様ではそうはいきません。きっとどこかの心の片隅に引っかかりを持ったまま付き合い続けていかなければなりませんから厄介です。
でも若い時なら何事にも白黒を付けたがる性格からかキッチリ思いの通りにならないと気が済まなかったけれどだんだん歳を取るにつれ円くなったのか、それとも邪魔くさくなったのか気力があっても体力が付いていきません。だから所詮喧嘩と言うものどちらに転んでもけっして良い結果を導くことにはならないと言われました。夫婦なら離婚。友人同士なら絶交。でも肉親なら切っても切れない関係は続くものだという事になりました。
諺に、喧嘩するほど仲良い。っていうのがありますがはたしてその通りにいくのでしょうか?

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