2009年07月01日

なかなか難しい問題だなぁ

昨日、久しぶりに昼過ぎに携帯電話のバッテリーがなくなった。
朝から一昨日の友人の件で電話が鳴りっぱなしだった。
結局は自分で決めないと何にも前に進まないのはわかっている。でも進めない自分がいることも本人は分かっている。困ったものだ。
原因はいろいろあるとは思うが、簡単なボタンの掛け違いで早い時期に手当てをすればここまで縺れなかったのかも知れない。
ちょっとイタイ病気を持っている彼には『頑張れ、頑張れ』は逆効果だ。それこそ『頑張れ言うな、頑張っとるワイ』だ。
しかしどこの世界にも、どんな職業にも多少なりとも、(イヤ、多くの)困難はあるものだ。それを逃げても一時的なものにしかならない。仕事、生活、そして人生にも困難があるのは仕方ない。それを乗り越えた時に、その達成感を味わう事が出来るのが嬉しいんじゃないだろうか。
昨日書いたことの中に「必死さが無い」と書いたと思う。
毎度毎度、必死であればそりゃ疲れてしまうし、続かない。
当たり前の事である。肉体的にも精神的にももたない。「ON/OFF]心のスイッチをいかに切り替えるかで味わう喜びになるか、苦痛になるかだと思う。
今の現状を逃避したところで心配事は追いかけてくる。例えばこうだ。昨日体調不良で診療を休んだけれども院長に伝えられないからそこの院長が5分おきに電話されて困ったと友人が言っていた。そりゃ相手にしてみれば連絡を取ろうとするのは当たり前の事だし、着拒すればするほど、どんどんつながるまでかけてくる。
「ストーカーみたいだ」と彼が言っていたが、ここで無視し続ければ益々かけてくる。だから一度出て喋れっていっても最初は「いやだ」「気分がのらない」などと逃げ口ばかり言っていたが、最後にはやっぱり電話に出てみた。そして今の現状を院長に説明したら、それからはかかってこなかった。「それ見ろ だから早く電話に出ろ」って言ったじゃないか。
人は自分でどうしても判断できない時がある。その時に誰か周りに居る人が適当な時期にちゃんとしたアドバイスをしてやればこうはならないんじゃないかと思う。ある人が面白い事を言っていた。
目が悪い人は目のいい人を羨ましがる。また逆に目のいい人はメガネをかけている人を羨ましがる。無いもの強請りだと言う。
確かにその便利さにそのメガネをかけてよく見えたのはいいが、見えなくてもいいモノを見てしまうという。コレに似ている。
知らなくてよいものを知ったために悩む事もあるだろうし、それ以上に知らなかった楽しい事も知って嬉しくなるかもしれない。
なかなか難しい問題だ。

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