2015年03月12日

意外な言葉が返ってきて驚いた

人は良くも悪くも競争社会の中で生きている。
仲間が出来ればその中で自分の位置というものが自然と出来てくる。
そしてその中に優劣が出来てコレはあいつには叶わないとか、このことだけは誰にも負けない自信があるとか。
そうして人間は成長していくものだろう。
最近のニュースは暗いものばかりだ。川崎の中1生の事件にしても淡路島の残酷な事件にしても、昔はそれ自体は異常だが最近では常に聞こえてくるようなニュースになってしまった。
だから「あぁまたか」くらいにとらわれてしまう。でも考えてみたらこれらはすごいニュースでなんでこんなことになってしまったのかを検証することもないまままた次の事件が起こってしまうように思うのは私だけだろうか。
落ちこぼれや、引きこもりと簡単に片付けてはいけない。そこに行くまでには多くのサインが出ていたはずだ。
我々の小学校時代にも落ちこぼれや、人となじめずクラスで一人いた生徒がいた。
たまたまそいつとは近くのスーパーに買い物に行くとたまに会うことがある。挨拶程度だがこの前駐車場にいたら向こうのほうから話しかけてきた。こいつはクラスの中では勉強嫌いで有名な奴で、簡単に言えば「アホ」で通っていた。しかし手先が器用ではさみを持たせたら右に出るものがいないくらい起用に切り絵をする奴だった。周りからは「アホ」とか言われていたが私は決して「アホ」とは言わなかった。そしてこの前その話題になって彼からこう言われた。
「君だけが僕のことを『アホ』とは言わなかったよな」
「そやったか?」
「皆が僕のことを『アホ』呼ばわりしたときに君が言った一言覚えているか?」
「いやぜんぜん覚えてない」
「勉強でけへんでもコイツは皆よりハサミ持たせたら全然優秀なんやぞ」って。
そんなこといった記憶はないが、彼はもう50年ほど昔のことをはっきりと覚えているといっていた。こっちはきっと口から出任せでいったんだろうが、彼はそのことを非常に嬉しく思って未だに心に残っているといってくれた。
話は前後してしまったが、クラスには当然、順番みたいな出来、不出来をつけてしまうが、そんなの何の意味があるんだろうか。
人にはその人しか出来ないコトがある。昔の競争社会が生んだ歪みたいなものもある。今風に言えばコレらは「個性」とでも言うのだろうか。テストの成績が全てではない。しかし今も昔もそれでしか判断しない教育にも問題がある。
出来る奴が出来ない奴に教える。昔はこんなことは当たり前だったし、自分の不得意なものは得意な奴に聞きにいけた時代だ。
そう思えば今の時代がいいのか?昔の方がいいのか?
それは個人個人が考えればいいことだと思った。
私は昔のように成績だけで全てを判断することのないほうが良かった様に思うのだが。

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