2015年07月27日

夏休みの思い出と言えば・・・

やはり大阪は天神祭りの頃が一番暑いというのは本当だった。
台風の影響は無かったがその影響は他の地域に出ていた。
フェーン現象のせいで38度超えの気温を観測した地域があった。
少しでも日陰をと探しながら歩く人、そんなの関係ないと目一杯日焼けをする人。
最近、小学生にも日焼け止めのクリームを塗って外に出たりプールに入ると言うことを聞いたことがある。
それの是非の議論はともかく、こう暑いと日焼け=火傷だという風に思う。
その予防に日焼け止めのクリームは必要、そう思うのは自然な流れか。
我々の頃はと言えば、水泳をするのに水中眼鏡なんて着けている人はいなかったし、もっと言えば運動中に水を飲むなんてもってのほかと言う時代。今では考えられない。
私は水練学校卒業の世代、小学2年生で入学して5年生で卒業した。2年生の頃は全く泳げなかった。それが5年生には全ての泳ぎを泳ぐことが出来た。学校の代表で水泳大会にも出た。
6年生の頃は50メートルの潜水も出来た。
そこの水練学校は小学生は勿論アルバイト禁止、でも私は特別に6年生でアルバイトをさせてもらった。
行き帰りは定期があるのでお金は要らない。親から100円のお小遣いを貰ってプールまで来ていた。当然アルバイトをしていることなんか知らない。卒業をしたがまだもう少し泳ぎを勉強したいといって行かせて貰った。でも本当は手が足らないからアルバイトさせてもらっていた。
その当時はコロッケ1個30円、ミンチカツ1個50円、ジュース1本50円の時代。100円あれば十分な腹の足しにはなった時代。
それにアルバイトの日当は大人も子供も(本当は中学生以上)300円だった。20日ほどのアルバイトの給料は6000円ほどになったのを覚えている。
当時ではそりゃ相当の高額アルバイトだった。小学6年生にしてお年玉より多くの金を稼いでいたことになる。その当時は貯金が趣味な私はそのお金をきっちりと親に渡して貯金にしてもらっていた。
しかし今思え返せばいつの間にかそのお金も何処に消えたのか。
今思えば懐かしい夏の思い出だった。

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