2010年02月28日

言う時には言うゾ

今日は28日でお不動さんの日です。
いつもお世話になっている所のお祭があって朝早くから行って来ました。
そこでの出来事が後で大きな波紋を呼ぶことになろうとは・・・
そこはいろんな事をお尋ねに行くところとでも言いましょうか、方向を示してもらうとでも言いましょうか、そんなところです。
大体朝一番に行っているんですが、今日は二番目でした。まぁいいか程度のことで最初の方に挨拶をして順番を確認して車を駐車場に入れに行きました。
するともう誰かが並んでいたので確認したら最初の方のお連れさんだということでこちらも了解しました。入って待合室で待っているとドンドンとお客さんというか、信者さんが来られて7~8組も待とうかという時に来られた方が最初の信者さんの知り合いの方みたいだったんです。そしてその後から来た方が何でも神さんにお供えをするだけだからとかで最初の方と話をされていました。さてそこからが問題です。最初の方が自分が1番だからその前に入ればイイよって言われたので、???っていう気持ちになってしまいました。どういうことかと言えば、最初の方が6番目に来られた知り合いの方に順番を代わられたから当然、代わった方の6番目に入るもんだと誰もが思っていました。私もそう思いました。
なのに自分は2番目に入ろうとするから、チョット待った~!っていってやりました。どういうことかって言えば、順番を代わったということは、代わった人がその人のところに入るのが当たり前ではないでしょうか?でないと私の次やその次の人は当然、それだけ後ろに下がるわけで、いくらなんでもそれはイカンでしょうって言ってやりました。周りの人はそれを納得していたが、その最初の人は納得できないみたいです。いい歳をした大人がこんなことも分からないのはいかがなものでしょうって言うことです。自己チュウの人がいかに多いか。コレでは何のために神さん参りをしているのかってことです。常連さんとかはついつい自分は特別なんだという意識。これっていかがなものでしょうか?ねぇ。

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2010年02月27日

他人のふり見て 我がふり直せ

友人の話です。
彼は奥さんと「すごく合わないな」って思っていた時期がありました。
きっと彼の奥さんもそう思っていたと思います。
結婚して数年たった頃から、彼らはあまりにも価値観が違う事に気がつきました。
奥さんは映画も見ず、本もそれほど読まず、たまに美味しいレストランに行こうと誘っても乗り気にならず、旅行にもさほど興味を示さない。それでいて、掃除や洗濯など、日常の事にタップリと時間をかける。彼女には好奇心と言うものがないのかと、彼が一緒にいて思ったそうです。新しい世界を見たくないのか?って。でも次第に分かってきたそうです。奥さんは映画を見なくても、美味しいレストランに行かなくても、旅行に行かなくても、本当に普通の毎日の中で楽しさを見出し、それに不満がないことに。
新しいことにドンドン触れて生きたい彼。なじみ親しんでいるものを深く愛したい彼女。非日常を好む彼。日常を愛する彼女。
そうなんです、どちらか一方の価値観が正しいわけではないのです。お互いそれでいいんだ。ただ、彼と彼女が違うだけ。そして違うからこそお互いにバランスがいいし、そもそも違うから惹かれあったんだと。
「これで、いいのだ」「それも、いいのだ」「あれも、いいのだ」
こんな簡単なことに気がついたそうです。
だからこそ一緒に生活をしていたら衝突することは当たり前。そこにお互い気がつけばもっとうまくやっていけるんじゃないでしょうか。

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2010年02月26日

二月ももうラストだ

今日は朝から雨模様です。
昨日は大阪が23度もあったりして、週がわりで冬ものと春ものを交互に来ています。今日も国立の最終試験です。今までの成果をここに発揮して欲しいものです。
昨日あった人とこんな話で盛り上がりました。
その人はいろんな人に聞かれるんですよ。「楽しきゃいいのか?」って。いいんだよ。そのかわり、楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって、でもね、楽しいと楽とは違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことをしたいんだったら、楽はしちゃダメだと思うよ。楽しい事がやりたいと思った時点で、楽な道からはそれるんだと言う話。聞いていてなるほどと思うことがありました。
世の中には楽をしているように見えても、人の見ていないところで只管努力している人もいるし、それを絶対に見られることのないように振舞っている人もいる。
こんな事言っちゃおしまいかもないかもしれないが、何もしないで成功するほど世の中は甘くはないと思う。
やっただけの結果が出るとも思えないが、やらなければ決して結果はついてこないことも事実。 勝負は時の運。でもやったことの裏づけは決して裏切らないと思う。
我々の仕事も毎日が真剣勝負。手を抜きたくなる時もあるかもしれないが(あってはいけないが)どこかでメリハリをつけてしまっているのかもしれない。

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2010年02月25日

さぁ 今までの成果を見せてやれ

いよいよ最終決戦だ。国公立の受験生たちは今日からが本番。
センターでこけた人もうまく行けた人も最後の試験、思う存分に今までの実力を発揮してください。やっただけのことは必ず返って来ます。決して無駄にはなりませんから。何人か友人の子供さんも今日受験していると言う。日頃の実力を発揮して是非とも合格してほしいものだ。
こんな話もあります。
黒色の反対は何色?それは白色と答える人、普通です。しかしこんな答えをする人もいます。それは無色。
愛の反対は何?それは憎しみと答える人、普通です。しかしこんな答えをする人もいます。それは無関心。
何が違うか分かりますか?「黒色」「白色」一見反対に見えますが、「どちらも色がついている」と言う点では、「同じ種類のもの」と言えます。「愛」と「憎しみ」も一見反対に見えますが、「どちらも相手に関心がある」と言う点では、「同じ種類のもの」なんです。
我々の日常には、一見反対だけれど、実は同じ種類と言うものが沢山存在します。それは、一見すると不幸にしか見えなかったことが、時がたつうちにかけがえのないものになるように。
だからこんな事もいえるでしょう。
成功の反対って何?失敗でしょうか?いいえ「何もしない」です。
成功と失敗は「一歩踏み出す」と言う点では同じです。
だから人生には二つしかないのです。
「成功も失敗もする人生」と「成功も失敗もしない人生」
あなたはどちらを選びますか?
その一歩を踏み出さないと、成功も失敗もないんですよ。
そこで今日の一事。
《チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ》

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2010年02月24日

まだ頭が冴えているらしい  早起きは三文の得

今日もまた早くから診療所に来ている。ここ10日間は毎日7時頃には着いている。あるTVかなにかで言っていたがトップたるもの社員が来るよりも先に仕事場に入り、社員よりも遅く仕事場を離れるみたいな事を言っていたように思う。ウチのように少人数の所は毎日の始業前の作業なんてしれているが、その準備をしながら今日一日の大体の予定を考えながらすすめていく。
コレをしだしてから在庫管理も自分で出来るようになったりで思いのほか良い結果が増したように思える。今までは人任せだった事も自分である程度の管理が出来ればよりスムーズに仕事の流れが出来てきたように思える。
何事も、まず願う事、志を持つことであるように思う。それが基本であり、成功するためには欠かせないもののように思う。
事を成すにあたっては、まず何よりその実現を強く願う事だと思う。「こうありたい」「こうしたい」「こうなりたい」という強い願いを持つことが出発点である。願いが行動を起こし、その行動が積極性をうみ、そして増幅する。願わずしてことが成ることま希にはにはあろうが、それはあくまでも偶発的であり、成功への確立は限りなく小さい。
事を成すにあたっては、願いと共に志を持つことである。志がなくては、地図を持たずに大海に乗り出すようなものである。何となく取り組んでいたのでは成功はおぼつかない。
志とは人から与えられるものではない、自分のうちから夢や理想とともにはじけてくるものだ。そして、一心不乱に脇目もふらず、志に向かってひたすらに突き進んでいく。そしてこそ、事は成就するんだろうと思う。

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2010年02月23日

朝から頭が冴えている  一日もつかな?

最近、診療所に来る時間が段々と早くなってきている。
今までは8時に出れば十分に間に合っていたが、最近では7時前に家を出るようにしている。同じ道を通っても全く景色が違う。
通る車の量も違うしスムーズに走れて気持ちが良い。燃費も経済的だしいろいろと良い事が多いように思う。
ただ早く着きすぎて駐車場がまだ開いていない。前で待つのもイヤだから暫らくは診療所の前に車を止めておきながら椅子に座って外の様子を眺めていると、オフィス街だというのに7時前後には清掃の車や、飲食店の材料を運ぶ車など我々の胃袋を支えてくれている食堂の車がよく見かけられる。
診療所に速く来ても何をするでもなく、ただメールチェックやら昨日の模型の取出しやら、準備に時間を費やしても10分もあればすぐに終わってしまうから、ただ何となく「ぼーっと」することで気持ちが落ち着くように思う。何事も時間ギリギリに来ても焦るだけでちょっとしたことにも余裕がないよりは、たとえ一台電車に早く乗ったり30分ほど家を早く出るだけでゆっくりと落ち着いた気分になれるんならコレもいいかもしれない。

久しぶりに今日のひとこと

「為(な)しあわせ」という言葉が「幸せ」という事場の語源になりました。 つまり、幸せとはお互いに「してあげあう」事を言うのです。

コレはどういうことかといえば、自分で花屋で買った花束と、誰かからプレゼントされた花束。どちらが嬉しいですか?当然人から貰ったほうが嬉しいですよね。自分で買ったり、自分に優しい言葉をかけたりしてもあまり心には響きません。しかし、人から貰った気持ちやプレゼントは心にガツンときます。同じモノでもすごく効きます。
つまり、人が「持っている力」とは、自分を幸せにする力ではなく、「他人を幸せにする力」なんです。
私たちは、自分で自分を幸せにする力は与えられていませんが、人を幸せにする力は与えられているのです。ですから、自分で自分に花束を買うよりも、お互いに花束を買ってプレゼントしあうことこそが私たちがすべきことだと思います。幸福とは分かち合う事です。

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2010年02月22日

悔やまれる

金曜日の夜に先輩のところに電話をした。
調子の良い感じで酔っ払っていると思っていた。話の内容もよく理解しているし、でも何かが違う。嫌な胸騒ぎはしていたが次の日に治療中に頭が痛いとかで緊急に大きな病院に受診された。軽い脳梗塞だった。だからあんな喋り方だったのか?もしあの時酔っ払っているとは思わずに、おかしいと思ったらもっと早く病院に行ってもらえばこんな事にはならなかったのかと、悔やんでも悔やみきれない。一日に30本近くタバコを吸うし、前には軽い心筋梗塞をやっていて一時的にタバコをやめていたが、いつの間にかまた吸い出した。ウチでも全館禁煙のビルになった後も目の前で吸い出すから怒った事もあった。禁煙より健康の事を最優先に考えていったのを分かってくれたからウチでは吸わなくなった。でも自分の診療所では院長室は煙モクモク。一分いたら服に煙がしみこんで大変だった。点滴ルームがいっぱいのときは私などろくに患者などと思われていないから「オイ ワシの部屋で点滴しとけ」だ。一応院長室でもあれなら待ってでも点滴ルームの方が良いって何度も言ったことがある。一日も早く復帰されるのを望むが働きすぎは周知の事実。ここはゆっくり養生される事を強く強く望みます。

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2010年02月21日

羨ましいなぁ

昨日の患者さんでご夫婦で来られている方がいる。
このご夫婦、私の周りにいる連中とはまったくといっていいほど逆の仲のいいご夫婦だ。私と同じ趣味の方だ。その趣味というのは《食べ歩き》
私のように「食い放題」ではなく「美食家」だ。何となく美味しいものに拘りのある方だから、話していて楽しいし参考になる。
その方に前に書いた「お金に好かれる方法」をお教えした。
きっとこんなナイスカップルにはお金のほうが寄って来るんじゃないかな。
本当にうらやましいカップルだ。どうしたらこんなに仲が良くできるのか悪たれ連中にご講義願いたいものだ。

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2010年02月20日

手を抜くほうが疲れる

コレってどういう意味だと思いますか?
これは世界一簡単なエネルギーチャージ法です。
恋はエネルギーです。つい最近、私はエネルギーについてのちょっとした「発見」をしたんです。それはエネルギーは消費する事によってしか蓄積されないという発見です。たとえば、旅に出るとエネルギーが要りますが、旅をするとエネルギーが湧く。
つまり、エネルギー不足だと感じたら、休んでいても回復しないという事です。億劫だと思っても、誰かに会ったり、仕事をしたり、美味しいモノを食べに出かけたりしないとエネルギーは生まれない。恋をするにはエネルギーが要りますが、恋をすればするほどエネルギーを生んでしまう。消費すればするほどチャージされるのがエネルギーですから、これは怖ろしい事です。
またこんな事も言われています。
思い切って息を吸い込む方法をご存知ですか?
それは、めいっぱい息を吐くことです。
息を吐ききれば、後は勝手に入ってきます。
「出入口」という感じを見ても《出る」が先に来ています。
「呼吸」という文字も「呼」が先に来ています。
「呼」とはゆっくり息を吐くという意味です。
出す事が先。出し切れば、自然にエネルギーはチャージされるのです。すると、ひょいと風に乗れるのです。その風があなたを思いがけないところまで運んでくれるのです。

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2010年02月19日

最近読んだ本の中から 

人は困った事や厄介な事に遭遇すると、何事も悪いほうへ考えてしまう。困難に遭遇したら、背筋を伸ばして立ち上がろう。
だから悪いほうへ悪いほうへと考えがいってしまうと、段々と深みにはまってしまってより問題を複雑にしてしまう。たった一つの失敗でもそれを十ほどの失敗と勘違いしてしまって落ち込んでしまう。気概を失い、気持ちが挫けたら取り返しがつかない。
困難に遭遇した時こそ、背筋を伸ばし、笑顔を絶やさずに立ち向っていきたい。
心に《人間と言う物差し》を持てば、人情の機微にも通じ、人生が豊かになる。
それはどんな心の物差しを持とうが本人の勝手かもしれないが、自らを下品にするような物差しは持つべきではない。《人間と言う物差しを》を使いたい。たとえば《お金と言う物差し》しか持たなければ、金持ちほど偉い事になる。《地位と言う物差し》しか持たなければ、その地位を得るためにはたとえ悪いことをしてもかまわないということになる。
《人間と言う物差し》を持っていればこそ、過ちなき判断を下す事ができる。人を見る目にも幅ができ、どんな人に対しても分け隔てなく接する事ができる。人情の機微にも通じ、人生が豊かになる。
好き、嫌い、感じる、感じない、といった《感性の物差し》だけで生きていると、的確な判断が出来ない。世の中の仕組みが分からなくなり、人間的な向上もはかれない。
理性を働かせ、正しいか正しくないかを判断し、正しい事をしていく過程の中で自己の向上が図られる。

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2010年02月18日

自戒の念をこめて昨日の反省を・・・

昨日の話あちらこちらから、いろんな感想を頂いた。
《適当》をそういう風に解釈するか?って言うのもあれば、なるほどなぁって言うのもあったりして。今度どこかで使わせてもらうって言われたりしたからお断りしておくが、私が言い出したのではありません。ある方の話の中で出てきたのを私が引用したのであって良くも悪くもそちらさんの話です。
さて今、自分に出来る事を最大限に努力すると言う風に解釈したこの「適当」を自分なりに思い起こしてみれば、様々な事に当てはまるように思う。
仕事にも遊びにも生き方にもそれ相当の力の入れようがあると思うが、それこそ「適時相当」にしているのか?って言われれば果たしてどうだろうか?悔いはないか?それでいいか?満足しているか?
こんな事を言い出したら反省しきりの自分だが、たった一つだけ言い切れることがある。それは自分の中で必ず問いかけている事である。コレは良いことか?どうかである。しかし自分が良いと思っていても一つ間違えば自己満足になるし、増長につながるのかもしれない。それを諌めてくれるのか友人であり、家族である。
人は決して一人では生きていけない。オレは一人で生きていると思うのはそれこそ「独りよがり」である。
発想の転換や頭の柔軟性は何よりのボケ防止や老化の防止につながっていくらしい。歳をとると頑固になると言われているが、コレも頑固になるのではなく頭の柔軟性が少し減ったと思えば腹の立つのも少しは和らぐんじゃないでしょうか。
でも私の周りにはいかにこの柔軟性のない奴ばかりが多いのだろうか。そういう私もこの頃ちょっと思い当たるフシがあるので注意したいと思う。

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2010年02月17日

ここは一つ発想の転換でも・・・

世の中にはいろいろとその人の解釈によって考え方が違うことってあるようです。
たとえば世間ではあまり良い意味にはとらわれていない言葉でも、その人の解釈一つで大いに変わってしまうのもあるんです。
例えば《適当》 コレは一般的には良い意味にはとられていませんよね。でも一般的に「いいかげん」「あいまいな」「ファジー」
このようにどちらかと言えばネガティブなイメージで考えられている言葉でも、ある人はこんな風に解釈しているんです。
それは《適当》とは「適時相当」なんだそうです。この意味は皆さんもお分かりの様に決していい加減なものではありません。
その時その時にあったベストな対応とでも言いましょうか、今あなたが置かれている立場や環境やその他諸々でベストを尽くせってでも解釈したらいいんじゃないでしょうか。
こんな言葉一つにとっても大きな意味があること。また自分をネガティブに考えてマイナス思考になってしまったら損だとは思いませんか?
やっぱり毎日を気持ちよく過ごしていけるように心も身体も健康に満ちた暮らしをしたいなら、一つここは発想の転換と言うか、考え方の、頭の柔軟性をもっと利用してみてはって思うようになりました。

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2010年02月16日

参考にさせてもらいま~す

昨日、チェアーの調子が悪くて修理に来てもらった。診療時間終了間際だったから今日中に来てくれるか分からないという不安があった。でもたまたま市内にその修理の方がいると分かって、遅くなってもいいからって言うと快く来てくれた。
最近チェアーの動きが遅くなってきたりタービンの止まりが悪くなったり水の出が悪くなったり、あちらこちらと何かしらの不具合が出てきていた。もうそろそろ代え時かとも思ったりしたが、まだまだ使えるうちはともかく使わなきゃ。減価償却はすんでいるが機械モノはそれからがあちらこちらと不具合が出てくるという。
もうウチが最後だという事で終わってからいろいろと話をした。その修理の人は大阪府下あちらこちらと修理に回っていて、いろんな歯科医院を見ているらしい。そんな人からこんな話を聞いた。
それは殆どの歯科医院は経営が苦しいとかシンドイとか言っているけれど中には患者さんも待合室にあふれていてなかなかアポが取れないところもあると言う。それも最新式の機械を置いているわけでもなく、特別な仕事をしているわけでもなく、ヤッパリ何が大事かと言うと《人》だと言っていた。従業員がみんな高い目的意識をもっていたりヤル気を見せたりしているのが患者さんには分かるんだと言っていた。だから修理に行っても「どうぞ勝手にやっていてください」と言われるところはほとんどと言っていいほど何をするにも他人任せ。また自分に回されたらいやだと思っている人がいるところも患者さんの立場にたっての診療が出来ていない。
そして何より大切なのが「朝礼」「終礼」だとか。ウチでもコレはやっていなかった。たまにミーティングと称してしたり、食事会のときに話をしたり聞いたりするが、そんなことする必要はないんじゃないかって言われてしまった。毎日の朝礼、終礼はそこの医院では重きにおいていて、必ず全員参加だそうだ。さすがにそこの医院ではこれで意思の統一、不具合や要望が出た時にすぐに対処できるようになったと言っていた。  う~んウチも見習わねば。

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2010年02月15日

こんな初体験もあるんです

ありえない話しかもしれないが、信じられない話かもしれないが、
私今日、郵便局デビューなんです。何が?って思われることでしょうが、生まれて初めて郵便局の通帳を作って、カードも作って、初めて自分でキャッシュコーナーへ行って来るんです。
なんだそんな事かと思われるでしょうが、今まで生きてきて郵便物を出したり切手をはったりはしたことがありますよ。でもカードを持ったりキャッシュコーナーなんかには行った事もなく、自分には縁の無いところと思っていました。同じように銀行でも。銀行には行った事はありますよ確かに。でも銀行って所は両替に行くところだったし、貸金庫にモノを預けるだけの場所だったから当然キャッシュカードすら持っていません。人に言うと信じてもらえないかもしれませんが、振込みなんかもした事がありません。
そんな私が今日昼から初めて郵便局のキャッシュコーナーでお金の出し入れを体験してきます。ホンマかいなぁって思われるかもしれませんが、本当です。今、コレを書いていてだんだんと心配になってきていますが、やってみようと思います。そんなに大したことではないことかもしれませんが人生初体験だからどんな感想になるやら。

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2010年02月14日

男女間の感覚の違いがどうして生まれるかという問題に我々の結論

昨日、友人たちとメシ会があった。
いつものメンバーだがちょっと様子が違った。
そのなかの一人の相談会だった。
それでいていつものようにオレがオレがで最後は取りとめもない話で終始した。
でもその中で分かったことがある。それは男と女でこうも感じ方が違うのかって言うこと。
今日は楽しいバレンタインデー。世間は浮かれているが我々世代に本命チョコなど無いし、義理ならいらないかというとイヤイヤ欲しい。それでも飲み屋では営業チョコしか手に入らない。子どもももう成人している年齢ばかりのオヤジ会、寂しい限りだがもう一度夫婦で新婚気分を味わいたいという恐れ多いことを言い出した輩が居た。そんなにびっくりすることではないが、我々の間では天地がひっくり返るくらい驚いた。内心そんな話はうすうす感じていたが具体的に話になったときにはやはり驚いた。こいつが言うか?って感じ。でもみんな心のどこかでは嫁さんに感謝していることぐらい分かっているものの、口に出せないでいるのかも知れない。
恋人同士で居る時は、こいつを幸せにするゾ。とか新婚当初はラブラブ、アツアツで楽しいかもしれないが我々の出した一つの結論はこうだ。
男は過去より未来に希望を持って、なりもしない期待を大いに持ち続ける。
女は未来より過去に拘って、それを維持しようとしているから男女の間でギャップが生じるんだ。という結論になった。異論もあると思うが我々、オヤジ会の結論はこうだった。なるほど、その通り、イヤイヤそりゃ違うゾ、様々なご意見はあろうかと思いますがコレを家庭に持ち込んでの家庭騒動に関しては一切責任は持ちかねますので悪しからず。

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2010年02月13日

現代の節約事情 歯科編

昨日患者さんとこんな話をしていました。
「最近景気はどうですか?」
「あきませんなぁ」
「それは 何処でも一緒ですよ」
「そんな事ありませんやろ 歯が痛くなったら我慢できませんやろ」
「いやいや 皆さん我慢しはるんですって」
「そうですか」
「そうなんですよ」
こんな感じの話でした。そしてその後にこんな事も。
何でも会社に《無駄を省こう》とかの張り紙があちらこちらに張ってあるとか。でも我々のところもいたるところに無駄があったりして。
最初はこんなところから節約されているらしい。それはまず、有線放送を入れていた医院はそれを解約してFM放送や、CDなどに変わったとか。また観葉植物もはじめは置いていたのを、置かなくなったとか。待合室に置いてある雑誌も数が減ったり、週刊誌が月刊誌に代わったりとか、コピー用紙やFAX用紙は両面使うとか・・
まだまだ書けばきりがないですが文房具も纏め買いをやめて、無くなったらそのつど買い足したり、スタッフルームのお茶やお菓子も段々と節約に向かっているとか。
こんな努力をしている医院さんも多いと聞きます。同級生のところは新聞を止めたとか、スリッパもチョット質が落ちたとか、皆さん頑張ってはるんですねぇ。
でも我々の仕事では決して手を抜いたりはしていません。衛生面も含めてやるべきことはやらないといけません。昔知り合いの先生は何でも纏め買いをするので有名な先生でしたが、最近ではおそらく地域で一番の「しまり屋」さんになったとか。私もこれから頑張って無駄を省こうと思います。

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2010年02月12日

忙しい日になりそうだ

昨日は休日だったから今日のアポは大変混んでいる。
我々の仕事は大体同じ曜日に来られる患者さんが多いものだ。
「はい、ではまた来週」と言うように一週間単位で診ている様な感じだ。もっと混んでいるところは二週間に一度のところもあると言う。緊急な処置や洗浄なら毎日でも来てもらうが、ラボに出したなら大体一週間がメドだ。
そうすると木曜日の患者さんは毎週木曜日にアポが入りその前後の曜日にはその日の患者さんが入っているから木曜日の患者さんをどこかに割り込んでもらわなければならない。だから少々混んでしまう。患者さんの総数が変わるわけではないが、前後に入っただけで患者さんが増えたと勘違いする事が多い。長期の休暇や飛び石連休なら前もって対策も講じれるが一日ぐらいが大違いで帰って混んだりする事が多い。
午前中のアポはほぼ埋まってしまっているのに今日に限って新患や時間変更の電話が鳴りっぱなしだ。全部が午前中に来られたらどうしようか?
でもこんな時はかえってアポの変更が多いものだ。仕事前からこんなことを言っていても仕方が無いので、何とか無事に過ごしたい。そう言っているしりから昼メシのアポがはいったのは後回しにしようっと。

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2010年02月11日

有効に時間は使いたいものだ

昨日の雨はすごかった。多分、一時的なもので尚且つ限定の地域だけだと思うがたまたまそこに出くわせたものだから、さあ大変、2度も事故りかけた。
一度目は阪神高速を走行中に急に大粒の雨が降ってきたと思ったら、ワイパーをMAXにしても前が見えないくらいの雨だった。そしてカーブを曲がりかけた時に横のワゴン車が急によって来てスレスレ状態になっていた。向こうがラインを大幅にこちらにはみ出していたのだ。ミラーまで僅か数センチ思わず叫びそうになった。きっと前が見えないのでセンターラインが見えなかったんだろう。
次は緊急車両が後ろから来るのが見えたから道を譲るために走行車線に入ったところその前のトラックがいきなり急ブレーキを踏んだためにこちらも咄嗟にブレーキを踏んだところ若干、スピンしてしまった。追突にはならなかったがもし後ろから突っ込んでこられたらいちころだったかも知れない。
雨の日の走行はよほど気をつけないといけないし、自分だけではなくて相手がいる事だからそちらがムチャをされればどうしようもない。神さん事で走っていたから助けられたのかもしれない。ありがたいことだ。
今日は久しぶりの休日だが「春季大祭」なるものがあって御護摩がある。時間が許す限り参加したいと思っている。その後、最近疲れが溜まっているからマッサージにでも行って来ようかと思っている。土日の休みは何とか時間を過せるが平日の休みは道が込んでいるし車の量が多いしあまり歓迎しないけれど、家にじっとしている私ではないから、どこかに出没しているんだろう。天気は悪いらしいが何とかストレスを取る方法を考えなくっちゃ。

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2010年02月10日

あ~あ 頭が痛い!!

世の中にはどうしようもない事が沢山あります。
例えば、身に覚えの無い事を誤解されてそのまま思い込まれること。まちがった解釈で違う意味にとられること。(同じ事か?)
これって説明すればするほど言い訳になるし、黙っていれば認めたことになるし。こんなときって本当に困ったものです。
今まさにこんな状態を友人が遭遇しています。まぁ身から出たサビだとは分かっていても何とかしてやりたいんですが、如何せん名案が浮かびません。無い頭を捻りに捻って考えていますがいやはやどうしたものか?相手が手ごわい奥さんだからヤブヘビになってしまったらこちらに飛び火が来たら困ったもんですから。
作戦を立ててもきっとお見通しだし周りの友達たちでは頼りないし、困ったものです。

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2010年02月09日

最近のペット事情

先日、大阪府下の某百貨店に行った時のことです。
最近はペットブームとやらで巷のペットショップは大流行ですが、百貨店にもペットコーナーがあるのをご存知でしょうか?
そこのペットコーナーは勿論、屋上にあるのですが今まで見た中では最悪のコンディションでした。
確かに泣き声や臭いには問題があるとは思いますが、ここはひどかった。
マジで保健所に通報してやろうかと思ったほどでした。売り物になっているイヌやネコもここより町のショップならどんなに良かったか。それほどにヒドイ環境なんです。あれじゃ誰も見にも買いにも来ないと思うし、何より店員の態度の悪さはいかばかりか。
絶対に苦情を言ってやると友人は本気で怒っておりました。
当医院の代診の先生宅には二匹の大型犬がいます。この子達は先生が処分直前に保健所から譲り受けた犬たちでした。後何日かで処分される運命にあった犬たちでした。(ゴールデンとクロラボ)
こうして命を助けられた子たちはいいけれど、残念ながら人間の身勝手で捨てられる子達はいかに多いか。大型のショッピングセンターに行けば、今はやりの小型犬が大人気です。人間の都合でドンドンと小さくされたイヌもいます。
友人の所にも今はやりの小型犬がいます。(ティーカッププードル)確かに買った時は小さかったけれど今では普通のトイプードルになっていました。でもそこは大きくなったと言っても家族同様に可愛がっていますし、誰にでもなつくようになりました。
しかしそこの兄さんには決してなつこうともしません。犬にも好き嫌いがあるようです。

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2010年02月08日

新しい自分を見つけるために

友人に最近いろいろと不幸事が続いている奴がいる。
相談されてもなかなか名案が浮かばなかったので、昨日の先生のところに連れて行って聞いてきた。
その中で自分の名前のことになった。私も戸籍上の名前とプライベートの名前を頂いている。彼も今の名前がしっくり来ないと言っていて、親には悪いが・・・でも名前って本当に大事なものだと思います。その先生曰く、別に改名しなくても自分自身の中でそのように思っているだけでいいとか。私も本名のほかに後二つ、名前を頂いております。だからと言って悪い事に使うんじゃなくて新しい自分に代わるチャンスを頂いたと思っています。
画数やらで吉数、凶数などがありますが、そんなんじゃなくてその人にあった名前を頂いて自分の名前として馴染ませてこれからの新しいスタートを切ればいいとか。但しこの改名をするに当っては様々な手法で行うために、こちらの方もそれなりの事をしないといけません。その方法はまたの機会に書くとして10日の時間を使って、様々なジャマが入ることを覚悟の上で行ってもらいます。
私もお手伝いをさせてもらうことになるかもしれませんが、彼の新しくなった姿を見るのが楽しみでお手伝いさせてもらいます。

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2010年02月07日

やっとここまで来てくれたって事か・・・

昨日は月参りの日。
大阪の箕面は市内より2度は気温が低い。
ここでは毎月第一土曜日に御護摩を開催している。先生が修験道の山伏で供養護摩と祈願護摩をされている。私ももうかれこれ20年近くになるが参加させてもらっているが段々と先生のお世話をさせてもらうようになってその難しさを身をもって体験させて貰うことになる。誰でも出来ることではないがその修法など毎回先生は大変だろうとつくづく思うし、それだけ修行の差が出るものである。
そして今日は友人をもう一つの秘密の場所に案内してみた。そこもある霊能者の先生宅でいろんな話を聞いてもらいに朝の5時から行って来た。まだ世も開けきらぬのに太鼓の音と鐘の音が聞こえてくる。先生がもう神様にお参りされている証拠だ。開門までまだ3時間近くあるし、コートを着てても身にしみる寒さだが先生は滝行をされているらしい。私などまだまだ無理な修行だ。
そして開門から待つことまたまた3時間、やっとのお出ましでお話を聞いていただくことに。その友人は初めてだから何が何だか分からないから、私が一緒について入っていろいろとアドバイスをした。
肝心のところは個人のプライバシーもあるので出ていたが、終わって一緒に帰るときに顔つきが変わっていた。どうしたのかと聞いたところ、誰にも言ったことの無い内容や、自分の聞きたかったことなど先生のほうからズバリと言い当てられたと言っていた。その友人の顔付きが入る前とはまったくといっていいほど変わっていた。昔もう一人の友人は顔が青ざめて唇がブルブルと震えていたのを覚えている。何でって効かれてもそこは相手が霊能者の先生、今日来られる人数も前もって分かっているらしいからこちらが聞きたいこと等お見通しだ。
そしていろいろ聞いたみたいで早速そのようにすると言っていた。

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2010年02月06日

何事も経験から・・・

ただ今大阪は吹雪いております。
滅多に無い事ですが風が強いのか、下から雪が舞い上がってきてます。
今日は土曜日ですが暫らくは先輩の診療所には行っていないので、チョット行ってこようかと思っていましたが、野暮用が立て続けに入ってきていて行けるかどうか?
今晩は毎月のお護摩です。脇導師のお仕事も待っていますしそれまでの時間をどう過ごそうかと迷っています。一人では時間の潰せない人間だから、周りに誰かいないと時間がもちません。
仕事中は何とか出来ても、中途半端な時間をどうするかが大変です。昔はあちらこちらと出回っていたんだろうけど、歳をとると出不精になってしまって。
誰かに電話を掛けまくって空いている連中を探す事になるでしょう。
最近、一人でいる時間が増えたらいろんな事を考えるようになりました。友人の一人は奥さんと買い物やらに付き合わされたりで文句タラタラ。でもけっこう満喫していたりして。またある奴は最近流行の《お一人様》を楽しんでいたり。一度私もこの《お一人様》ってのを経験してみようかと思ったりしています。

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2010年02月05日

節分といえば・・・

一昨日の節分での話し。
ある友人宅では決まっていきつけのすし屋からまるかぶりの巻き寿司を毎年買っているという。今年に入ってからここの夫婦いろいろとモメ事があってすっかり忘れて?いたと言う。
ダンナが帰ってきたらテーブルの上に食事が何も無い。「メシは?」とダンナが言うと奥さんがすかさずこう言いました。
「アンタがいつも買ってくるのと違うの?」ダンナがその時フト気がついた。自分が買うと言ってたんか??そんなん聞いてないゾ。
でも今はここの夫婦冷戦状態だから、ヘタなことは言えない。
ダンナは黙って寿司を買いに走ったと言う。そして黙々と食べて風呂に入りに行ったという。
関西では海苔屋の陰謀か何かは知らないが、昔から節分には巻き寿司のまるかぶりなるものがある。その年の恵方(今年は西南西)を向いて喋らずに黙ってその巻き寿司をイッキ食いをする習慣がある。全国何処でもと思っていたが関西地方だけらしいと後で分かって驚いたものだ。包丁で切ってはいけない。縁が切れるとか、思いが切れるとか言われているらしい。
そしてそこえそこの子が帰って来て母親にこう聞いた。
「お母さん 今年の恵方は?」
「西南西よ 黙って食べなさい」
「ふ~ん 何で?」
「何でもいいから」
「そうしたらなんでお寿司を切ったらだめなの?」
「縁が切れるとか、思いが切れるとか言われているのよ」
「そうしたらどうしてお母さんのお寿司は切ったあるの?」
「これはね・・・」
ここでダンナは思わず階段で聞こえてくる声に足が止まったという。
「これはね 嫌な事や何かを断ち切るためよ」
「ふ~ん」
確かにダンナが食べ終わった後に嫁さん、まな板と包丁を持ってきてましたとか。  あ~あオソロシやここの奥さん

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2010年02月04日

心の修行とは・・・

いくら生活が洋風化したとはいえ、まだまだ日本の家庭では玄関で靴を脱ぐ。だが、だいたいが乱暴な脱ぎ方である。我が家もそうだが。
また、例えば漁港などでは漁船が港に帰ってくると漁師は船の舳先を沖に向けて、いつでも出航出来るように停泊させる。コレを何と言うか?《出船の形》と言うらしい。
何でこんなことをいうかと言うと、靴の形は船に似ている。玄関で靴を脱いだら、漁師のように出船の形にしておくべきだ。
誰のためでもない、あなたのためだ。何かが起こったとき、例えば地震や火事や緊急な時にサッといち早く逃げ出す時にすぐに靴が履けて便利ではないか。これを《作法》と言う。
作法とは、動作の方法の事である。お作法は、何もお茶やお花の専売特許ではなく、日常の行動をいかに無駄なく合理的に、しかも美しく動くかの行動基準である。
お坊さんの修行では、この作法を特にやかましく言う。
たとえば、本堂での立ち居振る舞いのことを《所作》といって、厳しく躾ける。
お作法は、日常生活の中で習慣になるべきものである。
お茶会から帰って、部屋いっぱいに窮屈な訪問着を脱ぎ散らかし、台所で大口をあけてカレーライスをかき込んではいけないのである。
また皆が忘れている作法がある。
他家を訪問して、おトイレを拝借した時、便器にしぶきがかかる。ソッと拭いておく。きたない?きたないから拭くのだ。つぎに手を洗う。こんどは洗面器に水のしぶきだ。手を拭いたついでに、そのタオルなりハンカチできれいに拭いておくこれが洗面所の作法である。
あなたの家に来客があって客が帰った後で洗面所に入る。しぶきだらけの洗面器や便器をみて、あなたはどう思うか?反対にきれいにしぶきをふき取ってある洗面器を目にしたあなたは、客の事をどう思うか?それである。大事な事は次に使う人が、気持ちよく使えるようにする。これが自然に出来るように訓練する事が「心の修行」である。

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2010年02月03日

自分が言った事も忘れたか

昨日も友人たちと会議をしていました。
何の会議だと言われそうですが、我々の歳になるといろいろあるんです。でも家族にはそのことが理解できないらしく、ああだこうだと理由をつけて出歩いているんじゃないかって思われています。
そのほかに家を空ける理由は無いんで、毎日毎日出歩いてって言われ続けています。また会っている相手も毎回同じだからおかしく思われても仕方がありません。三人で会っていたんですが、毎回会うのが近所のファミレス、頼むのもドリンクバーのみ(たまにはサイドメニュー)だから支払う金額も分かっているし、レジの子も毎回同じ。またかって思われても格好悪いと思われても気にするはずもありません。オッサン三人何度もドリンクバーを御代わりしてお腹チャプチャプで夜中に何度もトイレに行く羽目に。
その内の一人が順調に仕事を伸ばしている。この不況の中大したものだ。そいつの信念は《道の真ん中を歩きたい》コレ一つ。
こそこそわき道にソレルことなく王道を歩く。コレ大事な事。
見習わなければ、でもこれって私が言ったことじゃないかな?

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2010年02月02日

中立って言うのはどっちつかずか?

世の中にはこんな食い違いもあるもんだ。
最近私の周りではいろいろなモメ事が多発している。
夫婦喧嘩、親子喧嘩、兄弟喧嘩、もちろん嫁姑喧嘩まで。
あなたがこれらを一度に受けたらどんなに強い方でも参ってしまうでしょう。我が友人がコレに直面しているんです。
原因は友人にあるんですが、そこに行く過程での様々な不平不満が一度に噴出して誰も止めれないし、止めようとした人にまで害が及んでしまう状況です。
最近書いた中で夫婦喧嘩はイヌも食わないって言いましたが、イヌも近寄らないって感じです。誰がいったいこの状況を鎮められるか、アドバイザーはいるのか、自然に鎮火するのを待つのか、頭が痛い問題です。期待に反して自分の思うままにならなければ気に入らないのは誰でもあること。それを今までの様々な事に引っ掛けて持ち出すのはルール違反。黙っていれば「黙秘」一寸でも喋れば「言い訳」相手の意に反することを言えば「開き直り」こんな状態では同じテーブルにはつけないと友人が言っていました。でもここの夫婦もはじめからこんなんじゃなかったんですよ。仲良しこよしで似た者夫婦。でもコレが問題、イヤになったら何が何でもイヤ。
そりゃそうでしょう、誰でも嫌な奴と一緒にいたくもなければ、顔も見たくないのが本当の気持ち。わかるなぁ。このブログを彼らが見ているから私は中立を貫き通そうと思っています。

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2010年02月01日

年齢さを感じた一日だった

昨日は一日中雨が降っていた。
こんな日は気分もすぐれないし何だか身体もだるい。
いつもは土日も仕事だからそんな事は言ってられないのだが、今日は患者さんも少なかったから無理を言って一週間の変更をお願いした。考えて見れば年末から殆ど休みなく働いてきているから、どこかで息抜きをしないと年齢から来る疲労も回復しにくくなってきていた。
考えて見れば日常と非日常の区別が段々と付きにくくなってきているこの頃、突然何を言い出すのかってですか?チョット頭が回っていません話はあちらこちらに飛びますがスミマセン。
昔は昼間に働いて夜は寝る。当たり前のことが今では夜の仕事もいっぱいあって24時間働けますかっていう時代になってしまったという事。友人も仕事の時間を間に合えばそれこそ24時間働いているのがいます。歳は私よりもひと回りも下だが仕事に遊びに現役バリバリ。そんな男が最近元気がないようにに思ったので話を聞いてみた。
するとこうだ。いくら仕事を頑張ってみても回りに元気が無いので自分ひとりが浮いてしまっていて、周りと全然歯車が合わないって言っていた。確かに自分ひとりが頑張っていても相手さんのあること、一緒に頑張ろうって言ってもそのギャップは付いてくる。
だからそれが積み重なったならば疲れてくるとも。
ウチでは院長がいくら頑張っても従業員が付いてきてくれなければ同じ事だと言ったら、イヤ、先輩のところは従業員がいくら頑張っても院長が付いていかないんじゃないですかって言い返された。
鋭い指摘。まぁそんな事はないと思うが同じ目標をもっていさえすれば大丈夫だと言ってやった。はたして私の考え方は古いんだろうか?

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