2015年10月30日

努力に勝る天才は無い

10月もいよいよ最終に近づき来週は11月、あっという間に10ヶ月が過ぎようとしている。
毎年この時期には「お山の断食」があるがここ最近はなかなかいけないでいる。
食欲の秋だというのにこの時期に断食があるなんて何らかの意図があるのかと思ったりもした。
話は変わるが昨日プロ野球の日本シリーズがソフトバンクの優勝で幕を閉じた。昨年に続きの連覇は新人監督一年目で快挙と言っていいだろう。
昨年日本一になったチームが今年も連覇するのは相当なプレッシャーがあったはずだが、下馬評どうりの強さで圧勝した。
選手個々の力を最大限に引き出すのが監督の力だと言われる。それは自分が経験して初めて伝わることだと思う。
この目標のために一年間を戦ってきたんだから。
よく「名選手名監督にあらず」と言われるがそうだろうか。
名選手が簡単に出来ることも、普通の選手なら簡単なことではないだろう。しかしそれを最大限に生かしてやるのが監督の采配だと思う。
我々もスタッフの個々の能力を最大限生かしているか?そこが些か疑問だったりもする。
よく長所を伸ばして欠点には目を瞑ると言われている。
攻めての失敗は責めれない。野球はそうかもしれないが我々の仕事には失敗は決してよしとは言わない。
コツコツと着実に進んでいくことを患者さんも望んでいるに違いない。
よく言うではないか「強いものが勝つのではなく、勝ったものが強い」でもよくよく考えたら世の中弱いものは勝つのは至難の業だが強いものはやっぱり強いって事。
話は飛び飛びになったが強いものが勝ち、努力したものが成功を収められる世の中が普通のことだと思う。

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2015年10月29日

頭では分かっていても実行となると・・・

診療所の機械類がそろそろ耐久年数に近づいたと言うよりもう既に超えてきているのが何台もある。
別段、不自由は無いが、毎月のように新商品の発表会や発売予定のものの紹介が来る。
いつもはほとんど見ないが、最近はちょくちょく見るようにしている。
還暦を迎えようとしているのに診療所をリニューアルするのには勇気がいる。あと何年この仕事を続けれるか分からないが、新商品には目が行く。
減価償却が何年と言われても、それで買い換える人はいない。
簡単に言えば「持つまで持たせる」人が多いと思う。
電化製品もそうだが、最近のモノはなかなか壊れない。ちゃんとマメに手入れをしていたら長持ちしてくれる。簡単には言えないが倍は持つような気がする。
コレではメーカーは上がったりだ。しかし車もそうだが何年も同じ車に乗る人もいれば、車検ごとに買い換える人もいる。
どちらがどうのと言うのではない。そりゃ車検ごとに乗り換える方が下取り価格が高くつくと言う事だってある。乗り潰すまで乗ると言う方もいる。どちらも正解、不正解なんか無い。
しかし今や車も電化製品も省エネになってきている。
大事に使いこなせればそれに越したことは無いが、経済的にはどうなんだろう。
リッターあたり数キロしか走らない車とハイブリット車なんかはガゾリン車より三倍も四倍も走行距離が伸びるのを聞いたら心がゆるがないわけではない。それに環境にも良いと聞けばなおさらだ。
電化製品なんかも冷蔵庫しかりエアコンしかり、電気代がバカにならないから旧製品より新製品の方が安上がりになることもある。
安物買いの銭失いでは本末転倒。
これからはそこのことも頭に入れて賢く買い物をしないといけない。
しかし問題が一つある。それはそのお金をどこから工面するかだ。
頭で分かっていても一番大事なのは「無い袖は振れない」ということだ。こんなことを家人に言えば帰ってくる答えは目に見えている。「そしたらどこからお金を持ってくるか分かっているでしょ」
それなら言わない方が身のためって事か・・・

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2015年10月28日

世の中難しいことばかり・・・

世の中の人は騙されたことの無い人なんていないと思います。
いきなりこんなことを書いたのは、「信じる」と言うことについて人それぞれ思い方が違うからです。
小さいときからの親友だからコイツは騙さない。そんなことは無いのです。コチラが相手を信用しているからそれを逆手にとって騙す奴もいます。
最近知り合った奴でも、そいつが信用できるか出来ないかを見分けるのは自分自身で結局騙されれば騙された方が悪いのです。
私はいつも言っていますが「時間とお金にルーズな奴は信用しない」コレが私の信条です。今まで何度騙されたか、そりゃ騙される方が悪いと分かっていてもついつい同じ手で騙されるのです。
学習能力が無いといってしまえばそれだけですが、それでもそこを巧みについてくる奴がいます。
親でも子でも嫁でも誰でもこんな疑心暗鬼に陥りやすいものです。
身内だから安心は出来ません。決して身内がどうのこうの言うのではありません。
今まで信用していた奴に騙されたならばそれはそう簡単に諦めがつくわけがありません。
人にもよると思いますが、そんな疑心暗鬼は突然やってくるのです。
友人にこんな話がありました。それはいつもいつも一緒に行動する仲の良い夫婦が居ました。どこに行くのも一緒、休みの日は常に一緒でお互い信頼しあっていたんです。しかしある時急に中が悪くなったそうです。それは「私がこんなにあなたのことを思っているのに」、「オレがこんなにオマエのことを思っているのに」ここからきていました。
夫婦と言えども元は赤の他人、何から何まで同じようには行かないものです。
自分がこんなに思っていると言う変な考え方を相手に押し付けてしまっては窮屈になるのが当たり前です。他人の夫婦のことに口出しはしませんが、聞いていて思ったことがあります。
それは「親しき仲にも礼儀あり」です。身内や夫婦だからと言って何でも許されるものではありません。言えば喧嘩になることと分かっていても言わざるを得ないこと、その喧嘩が原因で分かれ放れになることなんか山ほどあります。夫婦は別れれば赤の他人、しかし身内は何があろうが身内であるのは変わりません。

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2015年10月27日

こんなところにも秋が感じられます

先日、いつもお世話になっている植木屋さんから植木市のお知らせを頂いた。
初夏とこの時期に開催される植木市には時間が許す限り行くようにしている。
春は新緑の綺麗な木々が新芽を出し始めよりいっそう綺麗な緑色を身にまとい出すのですがすがしい気分になる。
そして秋には実モノがそして葉が色づきこれまた綺麗な趣になる。
日本は四季の国、春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の趣がある。
元はといえば私が始めた盆栽のお店がこの植木市に出展していて、いろいろアドバイスを貰ったのがきっかけだった。
前にも書いたが、盆栽は今では海外で人気があって、わざわざ日本まで弟子入りに来られる人も最近では多くなってきているらしい。
一鉢、1億円の値がつくものまであって奥が深いです。
我々には関係が無いようですが、今の季節に見る盆栽は春からちゃんと手入れをしておかないと綺麗な色づきや実がなりません。
来年の枝振りを今からちゃんと剪定しておかないと思いの枝にはならないのです。
水やり、陽やり、そして時間をかけてわが子のように大事に育ててこそちゃんとした形で盆栽は答えてくれるのです。
今のこの時だけでなく、先を見越した先見の明が大事だと言うことです。
今やらないといけないことをきっちりやり、先にこうなって欲しいと思うことを予見して気長に行うことが出来てこそ一人前の盆栽人になれるようです。
短気な人には向いていないと思われるようですが私のような超短気な人間こそがこの盆栽なんかに向いていると言われました。
そろそろ楓や紅葉、銀杏や欅、これらがどんな色合いになるかが楽しみな季節になってきました。

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2015年10月26日

誰だって辛いことは 好きではない は・ず・だ。

週末から、いや先週からずっと良い天気で行楽日和だ。
気がつけば今週で10月が終わろうとしている。
夏の暑さもここにきて一段落してエアコンの使用量もぐっと減ったように思う。
昨日は大阪マラソンが市内を縦横無尽に走り抜けていった。
真剣に走る人もいるが、殆どが完走を目標にして、秋の気持ちのよい気候の下街並みを楽しみながらのマラソンだったろう。
42.195キロとはいったいどれだけの距離なんだろう?
私はフルマラソンはしたことが無いが、嘗てボーイスカウト時代に50キロの走破はしたことがある。
最後の45キロ過ぎからは車道と歩道の段差が足が上がらない。
水分を取りすぎると汗をかいておなかが痛くなる。
今回のマラソンに参加する人たちだろうと思うが、朝、仕事に行く途中に大川沿いをランニングしている人を何人も見かけた。
短パンにジョギングのシャツ、サングラス、そして腕時計。こんなスタイルの人を何人も見かけた。
私は頼まれても、お金を積まれても(誰も積んではくれない)決してマラソンは走る気もなく、走れるわけでもなくタダ只管応援する方にしている。
最近の健康志向が強いお方が多くて私など形見の狭い思いをしている方だ。
彼らは彼らで頑張って欲しい。応援は応援でまた頑張って欲しい。
応援がなければ走る方も張り合いが無いだろう。だから一生懸命応援させてもらう。
どうして最近こうも健康志向でマラソンなんかにハマルのだろう?
自らしんどいことをして、きっと完走したときの満足感がそうさせるのだろう。
山登りしかり、途中は「もう二度とこんな辛いことはしないぞ」
と、必ずそう思うそうだ。でもやり遂げた達成感はあるんだろう。
でも最初から登らなければ達成感は味わえないが、しんどいことにはならない。
今日は心の悪魔がそう言っていると思ってください。
本当は健康志向なんで~~す。

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2015年10月24日

分かっていてもなかなか難しいんです

皆さん、「帳尻が合う」と言うことありませんか?
例えばケチケチして買い物のチラシをくまなく読んで、ちょっとでも安いものを買うためにそこに行くのに電車賃を払う。
少しでも利子が高い銀行に預金をしていても、何気なくコンビニのキャッシュコーナーでお金を引き出す。
こんな話は笑い話で済みますが、今から言う話は患者さんから聞いた話です。
その人によると、人は一生のうちに良いことも悪いことも同じだけしているらしいです。どういうことかといえば、よく言うではありませんか。「小さなことからコツコツと」どこかの誰かが言っていた言葉です。少しずつでも自分で築き上げた信頼、信用もたった一つの手を抜いたりしたことで、今までの信頼、信用は一気に崩れ去る。どこかの建築会社のように今問題になっていることがまさにそれだと思います。
あの件にしても、誤り方、時期、報道の仕方が大きなこれから行うであろう回復には影響すると言うこと。
我々にも当てはまることがあるのではないでしょうか。
患者さんがの数が減った、だから収入が減った、だから人件費の削減で人を減らした、材料の質を落とした、結局マイナスのスパイラルを引き起こしているのです。
その方は一流の料理人サンですが、今まではそれこそ名の通った有名ホテルの料理長でしたが、独立して念願のオーナーシェフになったのはいいんですが、使う材料がホテルのように一流の品物から一般の品物に変われば同じ料理も味が全然変わってしまったとか。
それは仕方が無いことで同じように作っても材料の差は如何ともしがたい。経費のことを考えて利益のことも考えてみたら今までとは同じようには行きません。そこでその方はこう考えました。
利益が減っても味だけは変えたくないと。そこで本人曰く、若干の回り道をしたけれど今では昔の味を知ってくれるお客さんがいて、ホテルの味と同じと言って自分の店に通ってくれるとか。
結局は遠回りしているようで実は一番近道だったとか。
それを気づかせてくれるためにしんどい目にあったんだと。
なかなかそうは感じられません。そこがこの方の偉いところだと思います。

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2015年10月23日

こりゃ ダメだわ・・・

昨日また一つ残念なニュースが飛び込んできた。
最近の行きつけのお店が今月一杯で閉店することになったらしい。
週に2~3度は昼食に訪れるお店だった。
ランチメニューはさほど多くは無かったが(4種類の中から選ぶ)、最後にドリンクが付いて来るので、わざわざ喫茶店に行かなくても済むので便利だった。
昼食時は満員で店の前に行列が出来たこともあった。
しかしランチは一杯でも夜の方はと言うとなかなか難しかったみたいだ。ランチのお客さんがそのまま夜のお客さんになるとは限らない。そこに苦労があるんだろう。
前にも書いたが、当医院の患者さんのお店はお寿司屋さん。
ランチ営業を格安にしてお客さんに来てもらおうと思った目論みは、確かにランチでは成功したみたいだったが、夜の方はと言えば昼にお寿司を食べた人は夜にお寿司は食べないと言うこと。
連続でお寿司はきついのかもしれない。
それにカウンターのお店だから回転すしのお店が回りに出来てお客さんの数も減ったとか。
確かに一皿いくらの均一料金には勝てないかもしれない。
いくらネタが違うと言ってもカウンターのお店は敷居が高いらしい。
気軽に入れて皿の数を数えたら値段が分かる方がお客さんにとってはいいらしい。
嘗て当医院のお客さんがこう言っていた。
「先生、カウンターのお店と回転すしのお店で同じものを食べ比べたんですよ」
「それで」
「二日続けて同じネタを6皿づつ食べたんですよ」
「それで」
「値段が全然違うんですよ」
「いくらやったんですか」
「回転すしの方は6皿で840円でした」
「もう一つの方は?」
「カウンターのお店の方は同じネタで6皿で1050円」
「・・・」
「全然違うでしょ」
「何を食べたんですか?」
「たまご2皿、ゲソ2皿、軍艦巻き、巻き寿司」
「これだけですか?」
「基本お魚は苦手なんで」
「きっとカウンターの店の大将思ったでしょうね」
「何をですか?」
「もっと値のはるモノを食べてくださいって」

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2015年10月22日

さぁ どっちだ・・・

最近思うことだが、人って限りなく欲望が続くものだと言うこと。
「足りるを知る」とはもう死語になってしまったのだろうか。
今の歯科の材料の進歩は著しいものがある。親父が生きていたら何て思うのだろうと考えることもある。
私はこう思うんだが、今の我々は「技術者」で先輩達の時代の人は「職人」だと思う。
「技術者」はプラモデルを作る人のように、出来上がった設計図どうり正確に組み立てられる人のことで、「職人」さんは無い材料の中から削りだして組み立てる人のように思う。
どちらがどうということではない、その時代時代でのスペシャリストのことだと思う。
我々が昔に戻ったところで決してまねが出来ない技術だし、逆に今の時代に昔の人が来ても何が何やらちんぷんかんぷんだろう。
バック・トゥ・ザ・フューチャーは30年前の作品で30年後の未来のことを想像して作られた作品だ。
しかしその中には想像もしないのに、今では当たり前のようになっているものさえある。
技術の進歩であり人類の英知だと思う。
これからの30年ではいったいどんな未来がまっているのだろうか。
30年前の人は現在も存命な方が沢山いらっしゃると思う。
我々が30年と言えば90歳。半分くらいは???かも知れないが出来れば期待をこめてみてみたいと思う。
再生医療が発達して自分の細胞から新しく歯や、歯肉が再生されているかもしれない。デンチャーももっと薄くて食感の優れたものが出来ているのかもしれない。
それよりロボットが進歩して医者がロボットに取って代わられるかもしれない。そうなれば楽なのか?苦なのか?

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2015年10月21日

簡単なことほど本当は難しいことなんだ

先日、患者さんとの話の中でこんな話があった。
それは最近は何でもかんでも「マイスター」なるものがあってややこしいと言う話。
○○マイスター、**マイスター、いろんなものにこの「マイスター」が付いていると。
日本は昔から職人技と言う言葉があって、その道を極めた人のみが「匠」こう呼ばれていた。
一定の基準に合格したから「匠」になれるわけではない。
その道のプロが「この人こそ相応しい」と一目置かれる存在の人にのみこの称号は相応しいのではないか。
何も今の制度をどうこう言うのではない。それはそれで一生懸命その道に精進すればそれに相応しいのである。
海外からは「メイドインジャパン」は大きなブランドだ。だから他所の国から模倣品が出てくる。それはそれで迷惑な話だが言い方を代えればそれだけ世界が認めていると言うことだ。
昔は日本製=安かろう、悪かろう。そういわれた時代もあった。
しかし先人達の弛まぬ努力のお陰で今の信用信頼がある。
昨今のマンションの耐震問題なんか先人が聞いたら嘆き悲しむであろう。いったい日本の信用は何処へ言ったと。
海外のメーカーはいつも日本製に追いつけ、追い越せで切磋琢磨してきたはずだ。一度信用を得て、その上に胡坐をかいているから考えられないミスをする。
昔のようにその職人技が泣くことになりはしないか、心配でならない。
日々コツコツと積み上げることは辛くてしんどいことだ。
しかしたった一つのミスや気を抜いたことが今まで築き上げた信用信頼までも崩してしまうこと。そんなことが最近は多いように思う。ミスが出てはいけないが、出たら即その対応をする。信用、信頼はそんなところからも現れるものだ。
何処の業界もそうだが我々歯科の業界も一度大きな失敗で世間を騒がせているにもかかわらず、同じ過ちを繰り返す。何て馬鹿げたことだ。本当に情けないやら恥ずかしいやら。
何処の業界の体質もそうとは言わないが、第三者の目というものが益々必要になってくるんではないか。
仕事の基本は相手のためにいかにするかだ。どこかのノーベル賞の先生が言っていた。「いかに人のためになるかを考える」
たったコレだけだがコレを実践するのが難しい。

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2015年10月20日

さぁ 仕事しよっと

先日、連れとこんな話をしました。
それは歳と共に好き嫌いがはっきりしてきたと言う話。
今まではあまり誰々が好きとか嫌いとか言わなかった私ですが最近では「このタレント好かん」とか「こいつはなかなかエエ奴や」とか自然に口について出てくるそうです。
自分自身はあまり意識はしていなかったのに(自分だけがそう思っている)。
本当にこの歳になったら、誰からもいちいち注意をされるでもなく、自分の好みを人に押し付けるでもなく、淡々とテレビやネットニュースを見ていることが多くなった。
だから思うことだが、人の好き嫌いって我慢するものでもなく、また人に言うことでもなく、自分の中で消化するものだと思っていた。
しかし最近の私はテレビを見ていてもその他のニュースを聞いていてもはっきり自分の好き嫌いが出てきたのは分かるような気がする。
そんな私が嫌いなのは「出しゃばり」「遠慮が無い」「目立ちたがり」。
そして好きなのは「物静か」「思慮深い」「遠慮深い」。
こうしてみるとよく分かる。それは全て自分の投影だということ。
自分が嫌いなのは今までの自分で、こうなりたいと言うのがここで言う好きな自分だということだ。
自分自身決して「出しゃばり」でも「遠慮が無い」でも「目立ちたがり」でもないつもり。
連れ曰く、「結局、無いもの強請りということや」
結局はどんな人も完璧な人なんて居ない。無いもの強請りこそが、人を成長させる糧だと言うこと。
○○を極めたと言う人こそ、自分に何が足りないかを一番知っている人だと言うこと。
我々凡人はその何が足りないかさえ知らない。そう思うと益々自分自身を探求したくなってきた。
今日は何だか頭の中がモヤモヤしていたのにコレを書いていて少しはすっきりした気分になった。  さぁ仕事しよっと。

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2015年10月19日

感動とは小さなことの積み重ねなのかもしれない

連日の好天秋晴れ。
今年の夏はあちらこちらで豪雨災害が起こって未だに爪あとが残ってはいるが、今日みたいな日もあることに感謝しないといけない。
お天とう様は気まぐれか?こんな日を齎してくれるなら、そんな日の半分でいいから、災害の方も半分にしてくれないかと自然と思ってしまうのは私だけだろうか?
さて話は変わるが、診療所に置いてある観葉植物の話だが、「クワズイモ」のことは何度もここで登場していると思うが、夏前に花が咲き実が出来、種を採って小さな植木鉢にいくつにも分けて植えていた。
小さな芽が出て双葉が伸び、やっと独り立ちできるくらいの大きさになったので先週の土曜日に、診療後に大きな鉢に植え替えた。
子供の頃にアサガオの種を採ったりしてその次の年に植えて芽を出させたことはあるが、こうして一から種を採って発芽させて大きくしたことは無かった。
いわばゼロから新しい命が生まれてくることに感激しながら、大切に水やり陽にあてて日夜大事に育てているのを、最初は冷ややかな目で見ていたスタッフも最近では温かく?見ていてくれる。
ここでもまた一つ会話の材料が出来た。
しかし連休があったりお盆休みのように何日もここに来ることがない時にでも、水やりは欠かさなかった。
命は小さくても命、日々成長をする姿を見せてくれることでコチラも力をもらえる。
考えてみたら熱帯魚の「ディスカス」のときもそうだった。
初めてのお産で小さな子供が何匹も出来たとき、水槽にかじり付きながら何時間も観察したのを思い出す。
三日に一度の水変え、水質のPHの管理、そこまでしていたのにあの阪神淡路大震災で目の前にあった水槽が宙を舞い、キャビネットから落ちて割れてしまって親も子供も死なせてしまったことが悔やまれてならない。
命あるもの、次の世代へと子孫を残していくということが何世代も何十世代も脈々と続いていくことに生命の神秘を感じざるを得ない。コレって小さな感動の積み重ね、命の継承だとしみしみと思うのだった。

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2015年10月16日

心が小さくて ご免なさい

毎日絶好の行楽日和だ。ニュースも各地の紅葉の様子を映し出している。
私がいつも行く奈良県吉野山も桜は有名だが、秋のこの季節の紅葉も見事なものだ。
まぁあまり桜や紅葉で行った事はないが、山全体が桜色や、紅葉で真っ赤になるのには思わず息を呑む。
しかし皆さんの知らない絶景のポイントがあるのです。
そこは滅多に人は行かないが行者の修行場の近くにあります。
お滝行の直ぐ近く。あまり人には知られていない穴場。
ここに入ると回り全体が紅葉一色。真っ赤なトンネルの中に居るような感じ。
お滝行でしか入らないところだから、行者さんは皆知っている。
辛いお行をしてふと我に返るとそこには真っ赤な紅葉のトンネル、そしてその葉の間から入る木漏れ日、真っ赤な中に一筋の光の線。
きっとどこかの週刊誌や雑誌が知れば一躍有名になるところだろう。
一般の人に知ってもらいたい気持ちが半分、皆さんに悪いが行者さんだけが知るポイントとしておいて置きたい気持ちが半分。
コレってなんだか美味しい食べ物やさんの特集に似ているように思う。
雑誌で紹介されたらあっという間に人気店になって常連さんの足が遠のくようで知らせたくない。
名店は自分の心の中にしまってこその名店。絶景ポイントは人が足を踏み入れないから絶景ポイント。一度目に触れるとそこはもう絶景ポイントではなくなるような気がする。

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2015年10月15日

精神衛生上よいというのは 素晴らしいことです

暑くも無く、寒くも無く、今の気候が一番私は好きだ。
ただ服装に無頓着な私でもあまり目立つのは好みではない。
真冬に半袖の白衣でうろうろするのはなれているが、今の季節に白衣の上に一枚、というようなことはしたことが無い。
だから今の季節に着る秋物の服なんかは持っていない。
と言うことでこの前の日曜日にビッグサイズの店に行って来た。
ここの店はもう何回も訪れているが、なんだか優越感に浸れて好きなところだ。
何故か?それはその店の一番小さなサイズがLLだからだ。
一般のお店では残念ながらLLサイズは肩身が狭い。普通にMサイズが中心の品揃えだからだ。
バーゲンしかり、だいたいS,M,Lサイズが中心であってもLLサイズまでだ。
小さいサイズもSサイズまででそれ以下は置いていない。でもSSサイズが欲しければジュニアサイズでまだ間に合うこともある。
しかし逆に大きいサイズLLやそれ以上になると間に合うと言うことがない。
そこの店にはなんと6L,7Lという所まである。いったいこんなのは誰が着るのだろうと思っていたら、たまたまそれを買いに来ていた人に出会った。そこの店の店員さんも大柄な人が多くて話がしやすい。何気なくその人の横に並んだら今まで嫌な気分にしかならなかった自分が幾分か優越感に浸れてしばしうっとり。
タダ困ったことに生地が多い分幾分お値段の方は高くつくがそんなの関係が無い。
普段はLLばかり探す身が、この店では一番小さいサイズがなんとLLなんです。
その大きな体格の人がシャツとネクタイを買いに来ていた。
そうなんです、ここに来られる方でシャツ以外ではこのネクタイで困られている方が多いということです。私もそうですがたまに(滅多に無い)ですがネクタイをするときに結べばネクタイが短くなるので困っているのです。ここで買ったネクタイは今までのと違って長いから余裕で結ぶことが出来るのです。
ブレザー箪笥のネクタイのところには普通サイズのネクタイと、長いネクタイが綺麗に並んでいます。
ここで私なりの結論ですが、一般店で無理をして探すLLよりは、ビッグサイズのお店で余裕にあるLLを着たほうが精神衛生上良いということです。

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2015年10月14日

最近のニュースで知ったこと

昨日、ラグビーの日本代表が帰国した。誰がここまでの活躍を予想していただろう。
初戦の南アフリカ戦での歴史的勝利。アレから巷では俄かラグビーファンが急増してきた。
サッカーの時もそうだが公式ユニフォームなんかは即完売。
今度はいつ入荷するか分からないと店の人も言うくらいだった。
日本人はこういった傾向があるように思う。
ブームと言えばそれまでかもしれないが、フィギアスケートの時もそうだ。真央ちゃんフィーバー、羽生君フィーバー、サッカーもしかり、野球もしかり。
やっぱり「スター」なるものを求めているのだろう。
しかしそんなに簡単にスターになれるわけではない。
影で、人の見ていないところで、おそらく想像を超えた練習や努力をしているからそうなれる訳で、皆がなれたらスターなど存在しなくなる。
何も私はそれに異議を唱えるわけではない。新聞各紙やスポーツ紙各誌が日本ラグビーの話題を書きたてている中で私の目にとまったニュースはコレではなかった。
私の目にとまった大きなニュースは比叡山延暦寺の「千日回峰行」のニュースだった。
このことは追々書くとするが、どれだけ凄い行なのかは世間の人の想像を超えている。超人的な行である。
千日回峰行は比叡山や吉野山から大峰山の千日回峰行が有名だが、私の師僧も千日回峰行をされた方で私に言わせれば「超人」だ。
何度もその凄さを聞いているが、想像を超える凄い行だと言うことだ。

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2015年10月13日

切なるお願いだと 実感した

この週末はあちらこちらで運動会が行われたみたいだ。
そしてまた秋祭り真っ盛り。
連休中は久しぶりにゆっくり出来た。ただ家人の思いがけない行動だけが気がかりだったが。
歳を取ると子供の頃の記憶に帰ると言うことを聞いたことがあったが、全くそのとおりだ。
自分の昔の記憶が蘇ってきてそのまま自分では何をしようとしているのかが分からないでいる。これはコレで辛いものがあると思うが、回りのものはそれ以上にどう対処していいか分からないのでこれまた困ったものである。
最近の医療でこの認知症は大分分かったらしいが、それでも意味不明な発言や行動をどうして理解するか、理解しようとするかが大きな問題だと思う。
身内ではいつも言うように限界がある。他人さんに迷惑をかけれないがここはお願いしないといけないときも来る。
本人はいたって普通。周りは大変。
「何か私が悪いことをしましたか?」
「はい、しましたよ」と言えればこんなにストレスはたまらない。
本人は本当に悪いことをした意識が無いからだ。
怒ってはいけない。そんなことは百も承知。でも身内だから言わなければならないことも多々ある。
身内だから言うことも聞かない事だってある。
そこのところはヘルパーさんや、ケアマネージャーさんと常に連携を密にしながらやっていくしかない。
我が親ながら歯がゆいし、情けないと思うことが最近増えてきた。
もし自分がこんなになったら誰に身を任せるか真剣に考えないといけなくなってきた。
そのためには今から周りの人にお願いしないといけないのか。

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2015年10月09日

ウサギとカメということか・・・

今週末もお天気は良いらしい。
山の方ではダンジリ祭りもあり、子供たちの運動会もあちらこちらであるみたいだ。
せっかくの運動会も曇りや雨では可哀相で晴れで思いっきり運動して欲しいものだ。
季節はもう秋だ。食べ物の美味しい季節だ。またまた体重を気にしないといけなくなりそうだ。
こうなると何かほかの事に興味を持っていき、食欲を忘れさせる何かが必要になる。しかしやっぱり食欲には勝てない。
去年は釣りに行ったときにもお弁当持参だったし、嘗ては釣り場で釣りをしながらバーベキューもした。
釣りがメインかバーベキューがメインか分からなかった。
やっぱりこの季節外で食べるご飯は美味しい。食欲も進み益々太ることを気にしないといけなくなる。
巷では何でも「結果にコミット」するとかのコマーシャルで二ヶ月で○○キロ痩せるとかうたった広告がある。
実際に痩せた姿を映像で見せているからコレなら出来ると錯覚させられている。
実際に行った連れが居るが並大抵ではないらしい。
きっちりとウエートトレーニングさせられてインターバルもなかなか取れずにハードなトレーニングらしい。
そいつ曰く、「そこまでやったら絶対に痩せるわ」と言うくらい管理が徹底しているとか。毎食、写メで食べるものをトレーナーに送信して、コレは食べても大丈夫、コレは食べてはダメの指示があるらしい。せっかくの美味しい食事もコレでは美味しくなくなってしまう。と言っていた。
私はまず無理だ。食事が生きがいだからだ。
それに後でサプリメントを飲むらしいが、コレがまた高価なものらしい。
結局、高いお金を払って一時痩せた思いをして、リバウンドを気にするくらいならどうかと思う。
当医院の患者さんできっちりダイエットに成功した患者さんが居る。話を聞いてみたらごく当たり前の方法だったのを教えてもらった。
それは生活はそのまま、食べるものも飲むものもそのまま、では何故痩せたか?その方が言っていたことだが、何でも1割少なくすればいいと言うことだけ。
どうするか?今までの食事も酒もタバコも全て1割残すだけだとか。
これで全てが1割減るらしい。ただ1年かけてである。
慌てて結果を出すのではなくて、この1年かけてというのがミソらしい。直ぐに結果を求めるのが我々の悪い癖。そこはぐっとこらえて1年計画を立ててやせることにすればよいとのこと。
ただ気が短い私にそんなことが出来るだろうか?些か疑問だ。

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2015年10月08日

問題が山積み

またまたやってくれました。
家人がデイサービスを受けだしてもう二ヶ月。
その間、行くだの行かないだのを繰り返しようやく納得して暫くは行ってくれていたのに、また急に行くのが嫌だと言い出した。
認知症になって何度か通院したり検査を受けたりしていたが、先生に今がピークで段々と進行していきますって言われていた。
スピードは人によってまちまちだが、暫くは落ち着いていたと思ってもいきなり進行する場合もあるし、徐々にではあるが進行する人も居るって言われていた。
しかし現実になってみれば、家族では限界があると思う。
決して怒らない、相手は病気だから。そんなことは百も承知。
しかしダメなものはダメ。悪いことは悪いこと。そこはきっちりしないといけないと思っている。だから家族で出来る世話も限度がある。ヘルパーさんには申し訳ないがこんなわからず屋でも親は親。
日ごろからやさしい物言いが出来ているならともかく、ヘルパーさんはその道のプロ、私もこの際見習わないといけないのかもしれない。
しかしコレがなかなか難しい。こんなことがこれからも続くのかと思ったら、今日の天気のようにはなかなか行かないのかもしれない。(今日の天気は快晴)今の気分は曇天。
せめて曇りのち晴れになってくれないものか。

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2015年10月07日

いかがなものか

朝方と昼間の寒暖の差があって風邪を引く人が多くなってきた。
我々にとって風邪による咳は天敵だ。
バキュームをするにも気を使う。何度も起き上がってもらって口を濯いで貰ったり長くは口を開けれないので何度もチェアーを起こすことになる。
咳だけならいいが、風邪による鼻詰まりも困ったものだ。鼻呼吸が出来ないからこれまた何度も起き上がって嗽をしてもらう。
暑くも無く寒くも無い絶好の気候だがなぜか患者さんの中には花粉症が多くなってきた。くしゃみや咳が止まらないという患者さんが何人かいる。
一年で一番よい気候と言う事は仕事に趣味に大いに時間を有効活用しないと勿体無い。
今年は台風の影響が多くて、猛暑は感覚的には僅かな期間だったように思う。今年は「水」と言うワードがあちらこちらに出てきたように思う。
50年に一度の云々、観測を始めて最高の云々、益々こんなことがこれからは出てくるんだろう。
亜熱帯地方の気温で尚且つスコールと言っていいほどの豪雨、竜巻や雷、こんな異常気象は気をつけていても襲ってくる。
いつも言っているように日ごろからの備えが大事になってくる。
確か9月1日は防災の日だったはずだ。年に一度の防災の日より、毎月1日は防災を考える日にしてはどうか。
年に一度より毎月一度の方が絶対に防災意識は皆に根付くような気がする。 いかがなものか?

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2015年10月06日

誰も歳には勝てません・・・

朝夕はめっきり涼しくなってしのぎ易くなってきた。
こうなると今までの寝苦しい夜とは違って熟睡できるから身体には良い。しかし困ったこともある。それは熟睡するが故の寝坊だ。
今までなら夜中に何度も起きてはトイレに行くのが日課だが、熟睡すれば朝までぐっすりとまではいかないが寝起きがしんどい。
いつもの時間に家を出るときは少し今までよりは薄くらい感じだが市内に入る頃には眩しいくらいの日差しが入ってくるようになった。
最近は今までと違って朝早くからの患者さんが増えてしまって9時半診療開始が8時とか8時半とかから始まるので体調管理が一番大事に思えてきた。
昔は夜遅くまで起きていたが最近では11時には眠くなり、風呂に入ったらそのまま倒れこむように布団の上に倒れこむことが多くなってきた。
飲み歩くとか、遊び歩くとかそんなのは夢のまた夢。
よくあんなことが出来ていたかと思うほどだ。
最近は趣味も道楽も無いくらい大人しくなってしまった。
いつも一緒に居た連れ達も還暦を迎える年になれば皆同じ事を言うようになってきた。
身体の何処何処が痛いだの、夜中のトイレが近いだの、物覚えが悪くなただの・・・
そんなことは皆さんトウにお分かりだ。誰かがここできっかけを作ればまた昔のように寄り集まりがあるはずだ。
しかし如何せん誰も先頭に立って声を上げない。
当然私もそうだが今の一番の楽しみは家で一人ゆっくりと過ごすことみたいだ。
月に一度の集まりさえ、最近はやっていない。
歳には勝てないと先輩はいつも言っていたが、そろそろ我々もそういわざるを得ない歳になたと言うことか。

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2015年10月05日

祭りも変わりつつあるのだろう

今日は秋晴れ、絶好の運動会日和。
今日に行うところは少ないと思うが、昨日は田舎の方では秋祭りやだんじり祭りが行われていた。
町町で各だんじりが大人も子供も混じって曳航される様は壮観。
それの後には女性も子供(まだ曳けない赤ちゃん)も親に抱っこされて練り歩いていた。
私の住んでいるところにはだんじりは無い、周りにも無い。
大体田舎の方には昔からあるのだがコレも五穀豊穣を祈ってのお祭りだからだろうと思われる。
市内は「神輿」はある地域はにはあるが私のすんでいるところには無い。
以前書いたが、神輿どころか「地蔵祭り」もない。そう思ったら何だか寂しい気持ちになった。でもその話を連れにしたらこう切り返された。
あんなもん何かあるたびに寄付をさせられるとか。
一律いくらと言うものではない。寄付の額を書き込む掲示板があってみんなの目に触れることになるから嫌で嫌でしょうがないとか。
親の代でいくらいくらしてもらったからコレくらいはお願いしますと言って、プレッシャーをかけてくるとか。
子供のうちはそれでいいかもしれないが、仕事を休んでまですることなのかとその連れは言っていた。
地元の奴らはいいが、仕事で地元を離れる奴らにまで言ってくるから溜まったものではないとか。
そう考えたら我々の町になのはありがたく思えてくる。
一律いくらか気になって聞いてみた。するとこんな答えが返ってきた。最低5000円以上お願いしますとか。何処何処は00万円されてますとか。最高はいくらいくらとか。コレでは強制ではないかと思わず言いたくなると言っていた。
新しく出来たマンションも個人個人ではなくてそのマンションの組合でいくらお願いしますとか。
マンションの住民の中には協力的な人もいれば全く非協力的な人もいる。
昔は村意識があって仲間はずれになることが嫌で嫌々参加していた人もいるのではないか。
時代が変わればシキタリも変わってももいいはずだ。そう連れは言っていた。

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2015年10月02日

昨夜の暴風雨は凄かった

昨夜の雨風は凄かった。それに雷、コレも近所に落ちたみたいでものすごい音がしていた。
爆弾低気圧らしいが一気に数十HP気圧が下がるのだそうだ。
台風並みの暴風雨、そして台風には無い雷。もし家に居なくてどこかに出ていたらどうなっていたことやら。
お山の行で登山していたらひとたまりも無いはずだ。
大峰山での奥掛け行は何があってもやり遂げないと自決しないといけないと言われている。そんな行なのになぜかこんな時は直接の被害は聴いたことが無い。それもやっぱりお山に守られているからなのだろう。
さていつも思うのだが台風一過というか、こんな時に動物達はどうしているのだろうか。
朝いつも見かける野良猫はゴミ箱がひっくり返って中の残飯は食べ放題、カラスやすずめは木の実があちらこちらに散乱してそれも食べ放題。動物達には恵みの雨風だったに違いない。
今から晴れの天気が暫く続くらしいが、考えようだが雨も無ければ困るし晴れも必要、自然は我々に困難とその後で恵みを齎せてくれる。
災害になるのは困るが程よい雨風は大いに歓迎する。
アレだけの昨夜の雨と風と雷は何を我々に恵んでくれるのだろうかと考えさせられる。
自然には勝てないと言うことか、それともじっと耐えて待つことか。
そんなときにも警察、消防の方々は働いてくれていることを忘れてはならない。

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2015年10月01日

さぁどっち 見るか見ないか 神のみぞ知る

昔は10月1日は衣替えの日になっていた。
しかし今では一年中半そでで過ごせるし、寒くなったら一枚羽織れば済むように暮らしの様子が段々と我々の頃とは違ってきている。
当医院の女の子もコレと同じように一年中上に羽織ることで寒さ暑さをしのいでいる。ファッションで服装を変えるのが当たり前の昨今、夏服冬服と着分けているのは我々おっさん達に他ならない。
昔は靴下の二枚履き、そんなのもあったと言ったら女の子に不思議がられた。
今ではお洒落な人は靴下なんかは履かないらしい。上着も半そでの上にダウンジャケットとか夏場にも首周りに何かしらの巻物とか、訳が分からん。
そういえば最近街で見かける光景の中に、男性も女性も帽子を被っている人が目に付くようになってきた。コレもお洒落の一環だと思うが親父達には無用の長物。頭の先から足元までトータルコーディネートするからだとか。分からん、さっぱり分からん時代になってしまった。
私は家人が買ってくる服なり下着を多少は文句は言うが着るのに何の抵抗も無い。男が下着売り場で下着を買うなんて考えたことも無かった。
しかし最近では当医院の女の子も彼氏と一緒に下着選びに行くそうだ。男性モノの下着を彼女が一緒に買うのは別にかまわないと思うが、その逆に男性が女性の下着を選ぶなんて想像も出来なかった。
お金をくれると言っても抵抗は変わらない。(まぁ額によるとは思うが)
この下着はどうのこうの、あっちの方がどうのこうの。
考えただけでも、いややっぱり私には考えられない。
そんな時代になってしまったのかと思っていると、女の子からこういわれた。
「先生、今の時代男性一人で彼女の下着を買いに来る時代ですよ」だと。
その話をいつもの連れにしたらこういわれた。
「そんなことも知らんかったんか 遅れてるな」
「そしたらオマエ嫁の下着を一緒に買いに行けるのか」
「そんなん行けるわけが無いやろ」
「それみろ 行けないんやろ」
「それは嫁やからや」
「・・・」
「彼女のやったら行けるわ」
「オマエそんな彼女おったか?」
「・・・」
ヒョンナことから秘密ってばれるものです。
絶対に書くなと言われたが、絶対に書くなと言うことは私には書けと言う風にしか思えなかった。  悪しからず
コレをその連れの嫁さんが見ないことを祈るが、もし見ても私には何の関係もございません。

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