2016年10月31日

昨日は大阪マラソンだった

朝夕めっきりと冷え込んできたので体調を崩す人が周りに多くいる。
本人は軽い風邪だと言うが、服装が未だに夏仕様だ。これで急に冷えこんだら風邪もひくわ。年中半袖で過ごし寒くなれば上に一枚羽織るくらい、ファッションか何か知らないが格好ばかりつけていると体調を崩しても当たり前だと思われてしまう。そのくせ半袖で鍋焼きうどんをがっつくなんてそれもお洒落何だか知らないが、そのチグハグサに違和感を覚えてしまう。
昨日は大阪マラソン、何が楽しくて42.195キロを走るのか分らないが、先週も朝に仕事に行く途中にマラソンスタイルで川沿いをランニングしている方が何人もいた。私はお金をあげるから走らないかと言われても絶対に走りません。
走らないのが身体の為だと想っているからです。
よく山登りをする人に「何故山に登るんですか?」と聞いたら「そこに山があるからです」と答えるとか。そうしたら同じように「何故マラソンをするんですか?」と聞いたら「そこに道があるからです」とは答えないと思います。
そんな苦しい事を自らに課すのは精神衛生上よくないと思っています。
人は自らに課す課題は人それぞれと思っている私には「走りたい人ではなくて、走らないといけない人」が走ればいいと思うのです。話は変わりますが今日が本当の意味でのハロゥインです。なのに聞くところによると、今ではバレンタインデーに匹敵するかそれ以上の経済効果を生んでいるとか。本当に日本人はそのような流行に流されやすいと思います。

ページの先頭へ

2016年10月28日

お鍋の季節がやって来た~~あ

体調を崩す方が多いみたいだ。いきなりの気温変化について行けないようで風邪気味の方が何人かいてアポの変更が続いた。そういう私はあまり気候の変動でどうのこうのは無いが最近食べるものが美味しく感じ体重の変動の方に気がなってしまっている。先日、タニタの体重計を買った。いろんな測定項目があってまだ未だに熟知できず、体重と体脂肪率のみだが気にはなりだした。
たまたま今まででの体重マックスの時に買ったからこれからは減る一方だと甘い考えのもと、日々体重計には乗るがあまり変化がないと、今日は計る時間が昨日とは違ったとか、いつもの服装とは違うのを着ているからだとか、夕食がいつもより遅くなったとか、何だかんだと御託を並べては自分自身を納得させようとしていた。今までのは1番は誰々、2番は誰々と自分の持ち番号を押してから体重計に乗ったが最新式は黙って乗ってもこれは誰が乗っているかを判断して測定してくれる。おそらく近似値でその人を判断するのだろうが、もし似たようなひとが乗ったらどうなるのか不思議でならなかった。そしたら体重の次に体脂肪率の近似値を持ってきてこの人は誰々だと当ててしまうみたいだ。文明の利器とはすごいものだ。
それはさておき、この体重の変化を気にしてばかりだと、折角の美味しい食事を堪能することが出来なくなってしまう。何よりの楽しみの食事が美味しくいただけないのは体重が増えることのショックより心のショックの方が大きな痛手だ。
嘗て美味しく出来上がった食事に間違った量の調味料をぶち込んでしまった時のショックに似ている。今までの苦労が水の泡だったからだ。
私は食の拘りが自分では普通だと思っているが、どうやら周りの連中からすれば違うみたいだ。前にも書いたが卓上には醤油は3種類、一味,七味、柚子胡椒、山椒、となんでこんなに並べるのか連れに言われたっ事がある。
そりゃ、何でもいいから食べたらいいでは私の家で食卓には上がれない。
漬物用の醤油、焼き肉用に醤油、そば、うどん用の七味や一味、鍋用の柚子胡椒や今お気に入りの「柚子辛凛」なるもの。この柚子辛凛なるもの、偶然に大手のスーパーで実演売りで見つけた代物。堺市鳳産の優れもの。
鍋良し、丼良しの絶品のフリカケ。小さな器に入っているが一冬どころかすぐに無くなる代物で見つければ即買いだ。何人かにさし上げたがまず虜になること必至。別にそこの回し者ではないが、これを知ってからの鍋は格別。
これは赤い柚子胡椒なるものである主婦が作ったとか。ただ作れる量に限りがあるのでなくなれば次回の作成時期にならないと手に入らない代物。
この時期に入って手に入れれば一冬幸せな気分になること間違いない。
何度も言いますが私はそこの回し者では御座いません。

ページの先頭へ

2016年10月27日

正直、情けない話だが・・・

嫌な夢を見た、それも立て続けにだ。
学生時代に戻って追試の夢だ。この試験が通らないと留年すると言う夢だ。
現実にそんなことは無いのは分っていても何故だか決まってこんな内容の夢を見る。卒業して35年以上経っていても何となくこんな夢を見ることがある。確かに今試験を受ければ通る保証は何にもない。あの時合格したのが偶然だったには違いないがないが、そろそろそんな夢からも卒業させてほしいと思った。
確か昔夢占いでこんな夢は行き詰った時に見るんだそうだ。自分の潜在意識の中で今まで自分が経験した中で綱渡りでマグレで起こしたことへの恐怖心が潜在意識の中に残っているからこうした夢を見るんだそうだ。
まだあの呪縛から覚めていないのか。その中に出てくる同級生の連中も様変わりしてきた。段々とその連中も今付き合いがある連中ばかりで歯科医ではなく、今自分にかかわりのある連中がその中にいたりする、まことに辻褄の合わない夢だ。
そういえば昨日は親父の祥月命日でもあった。先日23回忌の法要も済ませたものだから、気分転換に親父のした悪戯だとは思うが、何かしらこの夢を見るのが前後に何かのお知らせのようにも思う。
そういえば家人の様子も最近特に思わしくないからか?我々親子は他人さんから見ればしょっちゅう口喧嘩をしているように見えなくもないが、そこは長年の経験でどう対処すればよいかは分っている。しかしどうも最近「子供返り」をしているように見えるからきっと親父も少々心配になりこんな夢を見させたのだろうか?
昨夜は夕飯時から様子がおかしかった。体調が悪いと言って夕食も食べなかった、そして7時過ぎから寝だした。すると夜中の3時ころに起き出してリビングをウロウロしだす。こちらはそのリビングで寝起きするからたまったもんじゃない。ほぼ徹夜状態。いつもより早く診療所に着いてソファで仮眠、するとこんな夢を見た。家人の体調より私の体調の方が早く悪くなりそうだ。
確かに満足に食事も出来ないかもしれないが、それなりには食べれるようにはしてある。病気だと分っていてもそこまでこちらの気が回らない。
どうすりゃいいんだろう?あちらがバテるまでにこちらがバテそうだ。
唯一、自分らしさを取り戻せるのはここで仕事をすることだけになってしまった。

ページの先頭へ

2016年10月26日

現実から目を背けた結果がこれだ・・・

先日久しぶりに小中学校の同級生に会った。
何年振りだろうか?40年以上は経っていると思われる。実家が近所で小学校時代はよく遊んだ奴だった。大学で地方に行くことになってそのままそちらの企業に就職したと聞いていた。そいつの片親が亡くなりもう片親も一人では生活しにくくなってきたから今回思い切って地元へ帰って来たとか。
何処も同じような悩みを持つ奴がいるんだとしみじみ思った。
「核家族」という言葉を聞いて久しいが今まさに我々世代に重く圧し掛かってくる問題だ。今まで好き勝手させて貰ったからやはり親を看取るとなると生活を少々犠牲見しないといけなくなってきてしまった。
兄弟がいても一人っ子でも親元にいる奴は私の周りには少ないようだ。
地元で商売をしていても跡継ぎにならない奴、親を実家に置いておいて自分たちは近所に住んでいる奴。また長男と次男、三男ではこれまた話が違う。
意外と女子の方が親元の近くに住んでいてしょっちゅう実家に帰ってきているとか聞いたことがある。
今現在はどこかの国よろしく「一人っ子」が多いと聞いたことがある。そうなると嫌とか言ってられない現実がある。
来れもまた目の前の現実に目をそらさずに向き合わねばならない問題だ。
高齢者問題も深刻なら、少子化問題ももっと深刻に考えないとこの国の未来は明るいものにはならないように思った。

ページの先頭へ

2016年10月25日

これも老いなのか・・・

やっと布団をかぶって寝るようになった。するとどうだろう、夜中に2度トイレに起きるのが1度に減ってしまった。夕食時にけっこうお茶を飲むので夜中にトイレに行くのかと思っていた。しかし年齢によるものだとはこれっぽちも思っていなかった。しかし同年代の人の話を聞くとそうでもないらしい。同じように夜中に起きてトイレに行く人が意外と多いような話になった。少し安心したがそんな中悪友の一人が人間ドックに行って同じような症状だと言ったらそれは病気かもしれないと言って精密検査をされた。案の定それは「前立腺肥大症」だった。
悪い病気ではないが日中もよくトイレに行くと言っていた。
私は逆に日中にはあまりトイレにはいかないが夜中に何度も多い時で2時間おきくらいにトイレに起きる。でもこれも歳のせいだと思えば諦めもついていたが、布団一枚で改善されたので悩みも一つ解消された。
前々から連れたちと人間ドックに行こうと言う話になっていたのが延び延びになっている。これからは身体が第一。そう思う年齢になったら何が何でも気をつけないと。そう思うようになった。
何時の頃からだろう「老眼」「頻尿」「記憶力の低下」云々。
これらすべてが老化現象という言葉で片付けられてしまう。その通りだ。
また別の連れは家族から親父とは一緒の洗濯をしてほしくないと、息子や娘から言われるようになった時に歳を感じるようになったと言っていた。
またある別の連れは、食事の志向が変わったと言っていた。
今までは何かといえば「肉」「肉」だったのがあっさりものか「魚」に変わった時に歳を感じるようになったと言っていた。生活の面でも食の面でもこうして変わっていくことに些かの不安を感じるようになってしまった。

ページの先頭へ

2016年10月24日

やっと平年並みの気温になったそうだが・・・

絶好の行楽日和と言っても今日は週初めの月曜日。
その月曜日がお休みの業種は嬉しいに決まっている。まずは理容、美容、の業界だ。サービス業は普通の人たちが休みの時に働いて、その翌日の月曜日が休みの所が多い。近所のランチのお店も今日が定休日のお店がいくつかある。
オフィス街で月曜日が休みなんてと思ってそのお店のマスターに聞いたことがある。その方も当医院の患者さんだったからズバリ聞いてみた。
するとこんな答えが返ってきた。やはりオフィス街は昔は日曜日は閑散としていたが最近は観光客もあって日曜日が周りのお店が休みということで結構流行っているらしかった。だからその代わりに月曜日に定休日にしているとか。
そういえば今日もそのマスターのアポが入っている。月曜日を休みにしたところで完全休養日にはならないとか。従業員は休みでもそのマスターは火曜日からの仕込みの準備で出てきているとか言っていた。だから当医院にも決まって月曜日の来院になっている。同じようにいつも行く理容室にも同じことがあるらしい。
そういえば今日のアポの患者さんは4~5名は月曜日定休日のお店の方々だ。
前に誰かその人に聞いたことがある。それは「月曜日が休みだったらあまり混雑せずに買い物にも行けますね」と。そうしたらこんな答えが返ってきた。
「でも同じ休みの人としかなかなか時間が合わなくていつも一人です」って。
そうか一般の方は日曜日は休みでその方は働いている。だから時間が合わない。
水曜日は車関係、住宅関係。木曜日は医療関係が定休日にしているところが多い。
でもそれも段々と崩れてきているらしい。人が働いていない時にこそ仕事をして初めて他との差別化が出来ると言っていた方がいた。
そういえば私が子供のころはデパートですら定休日があって「何処何処は今日休みだから違うデパートに行って来よう」そんな会話を祖母は言っていたように思う。そんな祖母の事を思ったら家人は出歩かなくなって祖母はいかに達者だったのかと思ってしまう。同じく親父はと言うと毎週のようにゴルフに行っていた。
それも土日連荘で。私など少しでも休みが出来たらゴロゴロしているのでどこにあんな元気があったのか不思議に思ってしまう。確か親父がゴルフのクラチャンを取ったのも確か還暦前だったと思う。そろそろ60の手習いで何か趣味にハマろうかとも思ったりしている今日この頃です。

ページの先頭へ

2016年10月21日

これがなかなか難しい・・・

私もよく普通が良いと言う。でもこの普通が難しい。
人それぞれの普通が違うからだ。生まれた地域や生活環境でも大きな違いが生じる。
あるテレビで地元では当たり前のように食されていたものが実はその地域限定だったとか。都会に出てきて当たり前にその食品があると思っていたら実は無かったりっすることがままある。現代では直ぐにお取り寄せできるからそんな不便を感じることが少なくなったが、一昔前ならそれに気づくことも無かっただろう。
私の友人たちは小学校からあの悪友たち、この仕事についてからは歯科大学の同級生や先輩後輩。親が歯科医だったり代々歯科医の家計だったり親戚に歯科医が居たりとか、似た環境で育ったものが多い。だから大体にして小さい時から同じような境遇で育っているので考え方も似ている奴が多い。
同級生同士での結婚なんかも結構ある。しかし私の連れの所に今まさにお年頃の娘さんのいる奴が居た。そして適齢期になった娘が彼氏を親に紹介しようとしたらしい。そこにまた壁が存在した。今どきと言うとおかしな話に聞こえるが、そいつらにとってはこの地域やそこの家族の考え方にはいささか??が付くことが多いと言っていた。子供の結婚となると家同士のお付き合いも生じる。
本人同士が良ければ良いと言う考え方にはいささか同意しかねるとそいつは言っていた。まさにその通り、古風な考え方だと批判もあるが好きで結婚したら嫌いになったら別れるのかということだ。
世の中にこんなことに縛られるのは真っ平だと言うカップルもいるが、やはり皆に祝福されての結婚が良いに決まっている。片方でも反対ならどうしたら理解してもらえるかをもっと考えた方が良いのではないか。
話せばわからん親でもないが、そいつは特に考え方が古い奴だ。その嫁ももっと考え方が古い嫁だ。そんな親を持ったのも何かの宿命と諦めて説得を続けて欲しい。
嫁の親に嫌われた婿と、旦那の親に嫌われた嫁ではいささか立場が違う。
まだ両方の親に嫌われた者同士ならきっぱりと縁を切ってでも新しい生活を進めて行けと言いたいが、そこまでの覚悟がないならもっと分ってもらえるように説得を試みよ。
今の世の中離婚なんてたくさんいる。結婚する前からこんな話をするのは如何なものかと思うが若者より多くの年齢を取ったこの私が言うのだから少しくらいは聞き耳っを持ってほしいと思った。自分の経験上目上の人の意見も少しは参考になるときがくると思う。あの時こうしておけばよかったと後悔するのなら・・・

ページの先頭へ

2016年10月20日

人はなかなか満足しないから苦しみが待っているのだと思う

昨日、ここでも書いたように人はいろんなストレスを抱えながら生きていて、
ふと振り返ると何故あんなことでくよくよ心配していたんだろうと言うことが多々ある。過ぎ去ってみたら他愛もない事でもその時は色々と、ああでもないこうでもないと思い悩むことがあったように思う。
抽象的で何がどうだと言えないが、人は悩んだ時には90%以上の人は良い方には考えないで悪い方にばかり考える傾向があるらしい。
自分に置き換えてみても、思い悩んでいることなんてあとで振り返ればどうでもいいことばかりを真剣に悩んでいたり、悪い結果を如何にも起こるかも知れないと思い悩んでいることがあったように思う。
「足りるを知る」という言葉がある。人はこうなってほしいと思い描くがそれを達成したらまた次を望む。勿論、進歩して新たな目標を持つことは良いことだが、簡単な話、あれが欲しいと思ってそれを手に入れたらまた次が欲しくなる。
欲望というのはキリがない。現状に満足ばかりしていては進歩は無いが、この欲望というのはきっと死ぬまで続くものなのだろう。
たった一杯のインスタントラーメンしか食べれなかった極貧のころ、それが少々のお金が入って美味しいラーメンが食べれれば今度は今まで美味しいと思っていたインスタントのラーメンが食べれなくなる。(私はインスタントラーメンが好きだから食べれるが)
またその逆に今までいい暮らしをしていて美味しいものも食べれて、上等の服も着れて、あこがれられるような暮らしをしていた人が一変して貧乏な暮らしになったら、今までの自分が如何に恵まれていたのかを実感する。
そこにこの「足りるを知る」という言葉が身に染みてくる。
私はそれに加えてもう一つ「身の丈を知る」を加えたいと思う。
人にはそれぞれ持ち分があって、その持分以上のことは出来ないと思っている。
私はここまで、それ以上は他の人にお願いすると言う気持ちがあれば、小さな満足でもその人にとっては大きな充実感をえられると思う。
欲望というものにはキリがない、そこに少々の満足を有難く思えるようになれば大きな生きがいを感じるようになるのではないか。

ページの先頭へ

2016年10月19日

1つストレスが取れるとこんなにも楽になるものなのか・・・

最近は気候もよく過ごしやすい日が続いています。
いつもの時間に家を出てもまだ少し薄暗いですが、車を走らせていると途中のバイパスの上から見る東の空の陽が昇り始める光景はまるで絵ハガキか何かのようです。日中は少し汗ばむようですが日陰に入れば風は心地よい風になっていました。
昨日、昔からの色々と相談させてもらっている方の御家に伺った時のことです。
その御家には猫やら犬やら沢山飼っておられて動物好きの方には何とも言えないほのぼのとした風景です。しかし苦手な方にはこれは少々、地獄絵図になるのかもしれません。
その方はお目が悪くてほぼ見えないと言っておられました。しかし見えなくても人の心の中はお見通しで、「ちゃんと今日あんたが来ることは分っていた」と言われました。そして何の目的でここに来たのかもお話をする前にお察しで、向こうから「今日は○○の話か?」と言われる始末。嘘や隠し事は通じないお方です。
家人の病気の話をしに行ったのにその方は他の話をされました。こちらが聞こうかどうか迷っていてもお見通しで、「先にこちらの話をしよか」と言ってそちらの話をされました。いろいろ迷った時などに相談させてもらっている方でお目は悪くとも心の目がはっきりと見えるから大丈夫と常々おっしゃっています。
私も還暦を過ぎそろそろこれからの生き方を考えないといけなくなってきたと言う話になり、先生から「これから忙しくなるから体調には注意するように」という御話がありました。
これから始める仕事の話もまだその方には何も話していないにもかかわらず、即座に答えを頂きました。心のどこかに引っかかるものがあったのにその一言で、今までのモヤモヤがすっ飛んでしまいました。ただ体調面には不安があるみたいで「痩せろ」と言われればなかなか痩せないものですが、この方は「ゆっくり痩せなさい」とやさしく言われるものですから、何故かしら痩せないといかんと思わず思ってしまいました。言い方一つで相手に自分から行動を起こさせる話術を持っておられるので、ここで話を聞いて貰えることが何よりの自分にとってのモヤモヤ解消法になっています。

ページの先頭へ

2016年10月18日

そろそろ当医院の席替えの時期になってきた・・・

大分、過ごしやすい気候になった。ただ結構風邪をひいている方が多いように思う。急な気温変化が大きな原因なんだろうと思う。
話は変わるが、最近の当医院のアポイント状況がいささか偏ってきているように思った。それは嘗てにもあったが、当医院は9時30分から13時00分までが午前診。14時00分から18時30分までが午後診だ。その間に患者さんによっては診療内容で15分の時もあれば30分の時もある。義歯のセット時やTEKの作成など時間がかかると予め分っている時は事前に患者さんの了解も貰って30分や多い時には1時間の時間を取ってもらっている。
だから1時間に4人の時もあれば1人の時もある。洗浄などの時はアポはとるがいつでも都合の良い時に来てもらっている。
そんなこんなで受付に大体は任せているが、嘗ては自分たちの休み時間が欲しいためにワザとダミーの患者さんを入れていた受け付けもいた。アポ帳を見たらその時間に患者さんが入っていても急にキャンセルになりましたとか、無断キャンセルですとか言い出したのでおかしいと思って調べてみたら受付の勝手な判断で時間を調整していたこともあった。
アポイントは元来、何時何分に来てくださいだが、診療内容によって患者さんの時間を調節してもらって取るようにしている。その昔は先ほどにも書いたが指定時間に来てもらう目的で取っていた。それだと内容によっては時間が余ったり、足りなくなったりするから、作業内容によって時間を決めるようになった。
そのおかげで患者さんの待ち時間が大体予想できるようになった。
ただ早い目に来られる患者さんや、決まって遅れる患者さんが居るのでそこは臨機応変にするようにしている。
当医院はオフィス街にあるので、患者さんの来たい時間が被ることが多い。
昼休みにしか来れない患者さん、仕事終わりにしか来れない患者さん。
10分か15分しか時間が取れず、来た時に患者さんが居ればすぐにアポの変更をする患者さんもいる。
だから受付の仕事は大変な仕事だと思う。電話の対応、会計やカルテ処理、それらを一人で行っているので年に一度はローテーションよろしく受付と助手を交代するようにしている。
そろそろその時期が近付いてきた。どちらの子も別に支障はないがしいて言えば、今の受付は余裕を持ったアポを取る子で、もう一人はきっちり時間を詰めるのが好きな子。これを何年も続けていると仕事にバリエーションが出来て良い結果が出るように思う。

ページの先頭へ

2016年10月17日

こんな輩は天罰が下るだろう・・・

昨日友人の親の実家の引っ越しの相談に後輩とともに出かけた。
何でも、業者に頼んだら法外な見積もりを出されて何も知らない親がそれを鵜呑みにして契約しかけたと聞いて実際の所を見に行って来た。
田舎の方で自宅横に農地がありその横に貸し駐車場がある、地元の名士と言ったところだ。しかし年老いた両親はあまりに人が良すぎて何でも言うとおりに信用してしまって、庭の木も盆栽もすべて処分すると言われたらしい。
向こうがどこからかの紹介で連れてきた業者は明らかにこちらの足元を見ての値段設定。それでも人が良いそこの両親は何となく納得してしまっていたみたい。
たまたまその業者が何か契約に必要な書類を忘れたらしく、次回に契約ということになっていた。まだ何とか間に合ったみたいだった。
しかし話をよく聞いてみたら、何と悪どい業者みたいだった。坪単価なんか相場より10万円以上低い評価だったし、実際に家の中の貴重品も二束三文で処分するしかないと言ってこちらで処分しときますと言っていたらしい。
中には新品の着物や帯やその他の箪笥など、今どきこんなものお金を出さないと処分できないと言って処分代金を請求してきた位だ。
実際にこちらの業者を連れて行って見積もらせたところ1000万円以上の開きがあった。いい様に騙されるところだった。家がそうだから土地など考えられないくらいの金額の開きだった。
何とか弁護士を紹介して後を任せたがその弁護士曰く、あまりに悪どい業者だそうだ。知らぬが仏と、きっと今まで同じような手口で騙してきたのだろう。
世の中には人を騙すものと、騙されるものがいるが、明らかにこのような人は連係プレーで上手に騙してきたのだろう。あまりにも話が上手く行き過ぎている。
幸い今回は事なきを得たが、明日は我が身と騙されないつもりでいても気を引き締めてよく考えて行動しないといけないとつくづく思った。

ページの先頭へ

2016年10月14日

今日の晩飯は鰻に決定・・・

朝夕、めっきりと寒くなってきたように思う。しかし私にはちょうど良い気候。
昨日も近所のスーパーに買い物に行ったとき、入り口の横に「お鍋コーナー」が出来ていて野菜類やお出汁類が並んでいた。お客さんにとってはそこで一度に替える便利さがある。各商品の棚までいかなくてもそこで買えたら便利だ。
そこのスーパーは入り口の近くに果物や野菜類、そしてその奥に漬物や乾物類、そして各列にはそれぞれのモノが並んでいる。日頃は各コーナーを隅々まで覗きながらああでもないこうでもないと買い物をするのだが、最近は1週間の献立もほぼ決まりつつある。私は魚は食べない。家人は魚大好き。そこでその中間をとって魚でもなく、肉でもなく中華料理。蕎麦か饂飩、それでも邪魔くさかったら丼物でお茶を濁す。私は性格上、出来合いのものが食べれない。造られた惣菜物は滅多にいや、殆ど食べない。自分で料理するからちょっとの手間を惜しんで誰がどう造ったか分らぬものは食べない。
大体、粉モノの好きな大阪人で週に一度はお好み焼き、、ご飯が残ればチャーハン、野菜があればお鍋にするし、最近のお気に入りは和風チャンポン。
これは便利で具さえあれば中華丼にも麺があれば皿うどんにもなる。中華麺があれば少々手を加えて和風仕立てでチャンポンにもなる。
まぁ毎日でも食べれるがその日その日で何を食べるか決めるのが楽しみだ。
よく主婦の方が献立を考えるのが面倒だと言う声を聴くが、果たしてそうだろうか?私は何をどう使ってどうしようと考えると楽しくて仕方がない。
私のこのパソコンにも数年前から昼と夜の食べたモノが入力されている。
去年の今日に食べたモノを本日の夕食にすること多々あるが、そうなると本日の夕食はカレーということになる。しかしカレーは一日寝かせたほうが美味しいのでカレーは明日にしよう。造ることは苦にはならない。そして去年の昨日の食事は鰻だった。そう思ったら急に鰻が食べたくなってしまった。

ページの先頭へ

2016年10月13日

最近読んだモノの中から・・・

最近読んだ中でのお気に入りにの文章がこれです。
「人生で後悔していること」7割の老人が同じ回答をしていると言う事実。

(1)他人がどう思うか、気にしなければよかった
私たちは人からの目、評価を気にしてしまいます。しかしそれに重きを置けば置くほど自分が本当に求めているものが見えなくなり、他人の意見や意思によって人生が決められてしまいます。
他人の事を気にすればするほど自分がとれる行動の幅が狭くなり自分の首を絞めつけられていきます。他人の目何て気にしなくていいんです。大事なのは
「あなたがどうしたいか」「あなたが何をしたいか」「あなたがどんな人生を生きたいか」です。
(2)幸せをもっと噛みしめて生きるべきだった。
あなたにとっての幸せとは何ですか?
あなたにとっての幸せの「定義」を明確にすれば良いと思います。
もしも今、幸せを感じることが出来ていないならば、幸せを感じるハードルを下げてください。私は常々様々な面で上を目指してそれを求めていますが、それと同時に幸せを感じるハードルを下げています。
命があるだけで幸せ、食べるものがあるだけで幸せ、着るものがあるだけで幸せ、住む場所があるだけで幸せ、家族があるだけで幸せ、目が見えるだけで幸せ、沢山あります。すでにあなたは沢山の可能性を得ていると言うことです。
そうして自分が満たされて行けばいくほどそれが内側から滲み出て多くの人を引き付ける魅力やオーラ、影響力になります。
あなたにとっての幸せとは何ですか?、

ページの先頭へ

2016年10月12日

日々の時間の過ごし方って大事だと思うようになった

歳を取ると時間が経つのが早く感じられるとよく言われるがまさにその通りだと思う。
誰にも毎日24時間は均等に与えられている。お年寄りでも、子供でも。
しかし感じ方なのかもしれないが、我々世代には一日ってこんなに早く過ぎていくものだと実感させられることが多い。
最近は夜寝るのも早くなったし、まずは出歩かなくなった。昔は帰宅時間が日にちが変わるか変わらないかの瀬戸際が多かったように思う。
しかし朝起きて仕事に行き、時間が来たら真っ直ぐ帰宅。コレの繰り返しがもう何年と続いている。休みと言ったら昔がゴルフだの釣りだのドライブだの・・・
しかもその間に飲み会や飯会などを悠々と熟していた。
何もしない24時間をもったいなく思っていた時代があった。先ほども言ったが誰にでも与えられた均等な24時間、有効利用をいかにするかを日々考えていたに違いない。
でもである、今の何もしない時間をこれほど有難いと思えるようになったのか、限られた時間に精一杯何かをすると言うことが楽しくて仕方がない。
趣味がどうのこうの言っているのではない。何もしない時間を至福の時間と思えるかどうかである。
私は今は決まった時間に家を出て、5分と違わない時間に診療所に入り、これまた決まった時間に昼飯を食べに出て、決まった時間に診療所を出る。
昨日も駐車場の出入り時間を確認するレシートを見ていて思ったが、まぁ見事に同じ時間に入庫してほぼ同じ時間に出庫していることが分かった。
尚且つ駐車番号もほぼ同じ。家に帰って家人の食事の用意をしてから自分の食事の用意をするのも同じ。それからが自分の時間と思いきや食事の後でのマッサージチェアーの至福の時間は誰にも邪魔されたくはない。
気が付けばチェアーの上で鼾をかいて寝ることもしょっちゅうだ。
こんな時間に出歩く訳でも無く、飲みに行くでもなく、悪たれ連中はというと、仲間の店に入り浸ってああでもなく、こうでもないような話に浸っている頃にこちらは一日の疲れをこのマッサージチェアーで取り解すのが何よりの有意義な時間だと思う。
ただ一日の疲れをその日の内に取り解すことが最近は難しくなってきた。
今週は月曜日が祝日で一日得をしたのか損をしたのか。
この歳になれば一日得をしたことになるのだろう。大事な残り少ない時間を有効に利用するためには大事に過ごしたいものだ。

ページの先頭へ

2016年10月11日

ご容赦願いたい・・・

この三連休を有効に使われた方もいらっしゃると思います。
土曜日の診療後、夕方まで時間があってお決まりの車のディーラーに連れと寄った時の事、明日の日曜日に道頓堀を船に乗せてF1カーが行き来すると言うイベントがあることを教えて貰った。連れに聞くと見に行きたいと言ったが天候次第でどうするか決めようと言う話になった。でも結局は行かずじまい。
そして後輩と日曜日は家での鍋パーテーィーをすることになった。
オヤジたちが一所に集まれば鍋「パーティー」はすぐさま「闇鍋パーティー」に変身する。還暦前後の親父たちの唯一の楽しみ。場所を提供してくれる家には申し訳ないが飲めや歌えの大騒ぎ。これでまた一週間の活力が湧いてくると言うものだ。某有名企業の取締役、某有名病院の事務長、そして私、そしてそこの家のご主人。この主人も元一部上場企業の取締役。こんな私以外は有名人でも一皮むけば下品でお下劣な連中。この姿を一度そいつらの会社の社員に見せてやりたいくらいだ。
その中で病院の事務長の奴と話があっていろいろと近況を話し合った。
で、最近の話題になって、前にここで書いたことがある病院の駐車場の話になった。関連病院の駐車場を有効利用する方法についての話だったが、ここでも書いたが、診療時間外の駐車場を時間貸しのパーキングにしたらどうだと言う話になった。周りの煩い連中も聞き耳を立てる始末。結果、なかなか面白い発想だということになって、前向きに考えると言う答えだった。
そりゃ、使わない時間に時間貸しのパーキングにすればお客さんも助かるし病院側も少しでもお金が入って来ることになる。最近は一般の家庭も使用していない時の自宅の駐車場を予約制ではあるが時間貸しに使うと言う企業も現れた。
病院や歯科医院は駅近にあることが多いから駅の利用者には使えるものなら有難いはずだ。
相場は知らないが一般のパーキング料金よりも少々お安くすれば利用者なら有難い話だ。
すぐさまスマホの計算機で金額を計算して採算が合うかやりだした。
結果、思っていたよりも儲かることがわかり、こいつ前向きに考えると言い出した。
そのかわり我々にも困った問題が発生した。それはいつもの悪たれ連中はそこの病院の駐車場をたまに利用させてもらっているが、これからはお金が発生すると言うこと。もう一人の連れがこう切り出した。
「今までただで利用させてもらっていたのに、お金が発生するようになったら利用できない」
「当たり前や、今まではおかしかったんや、ただで利用しやがって」
「その代わりこれからココの病院の宣伝してやらんぞ」
「いらんわ、お前らにしてもろてたから悪い影響があったんや」
軽い冗談でもこれからお金が発生するとなるといささか困ったことになるではないか。
軽い話が何だか重たい話になってしまった。でもこれも話の流れの中でこうなったんだからご容赦願いたい。

ページの先頭へ

2016年10月07日

もっと 恵まれない連中にも 光を!!!

明日から3連休の方もいらっしゃると思いますが、お天気がイマイチの様子。
絶好の行楽日和か運動会日和になってほしいと思っている親御さんも多くいると思います。
最近は運動会=秋のお祭り、から分散して5月や6月に行われることも多いようです。
我々の時の運動会は私など特にこの時期にしか存在感を示せなかったから、誰よりも張りきった記憶があります。同じように昔に比べると競技内容も変わってしまい、危険な出し物は避ける傾向にあります。
小学校などでは組体操で何段以上はダメとか、中学生や高校生の棒倒しは危険で取り組まない学校も多いと聞きます。私など身体が大きかったからか、組体操ではいつも最下段でした。騎馬戦も馬しかやったことがないし、身体が大きいと言うことはおのずと自分の立ち位置が決まってしまって面白くも何にもありません。ただ、高校の時の棒倒しは先頭を切って走って行き、そこらの学生をなぎ倒すと言う暴挙に出て後で他所のクラスから苦情が来ることもあったりしました。
確か予行演習の時にそれをやったために、本番では私は何名かの連中に行く手を阻まれて本来の活躍が出来なかったのを覚えています。
大学生の時の卒業アルバムに法被を着て大学の近所を練り歩くのに私の姿がどこにもありませんでした。連れがアルバム委員をしていてその様子を写真に撮るのですが一瞬そいつと入れ替わって私が写真を撮ったのばかり採用されたがために、どこにも私が映っていなかったと言う大失敗でした。
だから卒業アルバムには良い写真は載っていても私が撮った写真ばかりで自分が映ることがありませんでした。
運動会でしか目立てない悪たれ連中はここぞとばかりにその存在感を出せる唯一の機会が段々と減って来たそうです。昔はクラスの人気者と言えば「足の速い奴」「面白い奴」と相場は決まっていましたが、今はどうなんでしょう?
「頭が良い奴」「ルックスが良い奴」がチヤホヤされるのであれば、今の世の中と一緒じゃないでっすか。もっと恵まれない連中にも 光を!

ページの先頭へ

2016年10月06日

こりゃ ダメだ・・・

先日、連れとの会話で話が合った。
それは我々世代はスマホを持つ人が段々と増えてきたと言う話になった。
何を隠そう私もその中の一人で、最近やっとガラケーからスマホに替えたばかりだ。なかなか使いこなせていないがそれでも人並みにスマホを持っていることに何となく優越感を覚える元ガラケー人間だ。
スマホであれガラケーであれ通話とメールが出来さえすれば何の心配もない。しかし連れと話をしているうちに共通の意見があることに気が付いた。
それは今どきの子たちは(子供だけではない)SNS,LINEなど通話で話をするよりメールで話すことの方が多いとか。お金がかからないとか理由はあろうが、我々世代は通話とメールの違いや違和感を大いに感じると言うこと。
前にここでも何度も書いたが、メールの文章は読む側にとってその時の気分や精神状態でどうにでも取られるからだ。
電話なら相手が今どれくらい怒っているか、声の調子で判断できるが、メールならそこが出来ない。
また電話ならいくら怒っても後で蒸し返すことが少ない。しかしメールはそうはいかない。文章で残るからだ。何日も経ってからその文章を読み返して折角忘れかけていたのを思い出してまた怒り出すこともあるからだ。
私も嘗て同じような経験をしたことがあった。いきなりメールで約束をしたことをすっかり忘れてしまい、電話でなら「ゴメン」で済むところをメールでのやり取りで相手をより怒らせた経験があった。
だから電話で「ゴメン」と言えば今これだけ謝っているし、真剣さが伝わると思うがメールならその真剣さやこちらの真意を相手にどれだけ伝わったか分らない。
連れもそう言っていた。そいつは夫婦喧嘩の時には口も利かないらしい。そして会話の代わりに目の前に相手がいてもメールでやり取りするとか。そこが私には理解できないが。そして大体1週間くらいそのメールのやり取りが続くと言っていた。そこで聞いてみた。何をメールでやり取りするのか?例えばこうだった。
「今晩おかずは何?」
「○○するから早く帰ってきて」とか。
「風呂に入るからバスタオル持ってきて」
「自分で取ってきたら」とか。
「明日早いから起こしてや」
「自分で起きたら」とか。こんな事をわざわざメールでやりとりしていたとか。
口で済むことが目の前に居てもわざわざメールを使うか?不思議に思った。
こんな事私には出来ない。これくらいの事を本当にメールでやりとりするのか不思議だったがそいつのスマホを見てホンマにそのようなやりとりが行われていたことに驚いた。それ以上に驚いたのはその内容についてだった。
「今晩おかずは何?」は連れが言ったのではなく、嫁がらのメール。
と言うことは「○○するから早く帰ってきて」は嫁からではなく連れが書いたメール。「バスタオル持ってきて」は嫁からのメール。「明日早いから・・」も当然、嫁からのメール。これを読んでココの夫婦は逆転しているとしみじみ思った。

ページの先頭へ

2016年10月05日

おまえら 親子かい・・・

よく歳を取ると角が取れて丸くなると言われているが果たしてそうだろうか?
中には年齢を重ねるにつれて、角が取れるどころか何かにつけてギスギスしてくる御仁も居られるやに聞く。はたして自分はどちらに属しているんだろう?
家族や友人知人に言わせれば全く正反対な答えが返ってくることがある。
自分で自分の事を言うのはどうかと思うが、家族は一番身近に居るから良いも悪いも分っていて、尚且つよく言われる「空気みたいな存在」なのかもしれない。
元々性格は気が長い方だと思っている。確かにある面では。しかしよくこうも言われる。「待つのが嫌い」「目的無く何処何処へ行くのは嫌い」気が長いのとは正反対に聞こえるが、世の女性のように街ブラだとか、ショッパーズモールの中を何を買うでもなくウインドショッピングなんてできっこない。
今日はこれとこれを買うと決めたら、迷いもなくそれを買うために一直線。
買ったら即、ご帰還。何を買うでもなく「良いものがあったら買う」なんてそんな思考は私の頭に中には存在しない。
最近の出来事でこんなのがあった。それは車で5分くらいの所にあるファミリーレストランでのこと。後ろの席の子供が煩いので他の席に変わらせてもらった。それでも食事に飽きた子供たちが店内を走り回った。親は親で怒りもしないで食事と話に夢中。店員もアルバイトの子だからか怒りもしない。周りのお客さんも顔をしかめる人もいた。よく他人が他所の子供を怒ってのトラブルって聞いたことがある。そろそろ我慢が限界に近づいたころ、同じように思っていた人がいた。その人がその子供の親に注意した。子供は飽きたら走り回るかじっとしていないのは当たり前。親ももう少し注意を払うのも当たり前。その人が親のテーブルに行って何かを言ったみたいだ。周りの人もそれを見ていた。その親は謝りもせずにテーブルを勢いよく立って出て行った。その様子に周りの人も唖然として見ていた。直ぐにその注意した人も出て行った。元の静寂に戻ってっ食事を再開した。が、私の前のガラス窓の外に先ほどの親子とその注意した人が・・・
駐車場で喧嘩が始まるのかと固唾をのんでみていたら何と同じ車に乗り込んだ。
オイオイ、お前ら親子かい!他の人には見えなかったが私にははっきりと見えていた。同じ車に乗り込んで駐車場を出ていく姿を。
他のお客さんはきっと注意をしたお客さんが居たことを、または勇気ある人が居たことを、でも最後を知ってしまった私はこんな漫画チックな出来事があったと思わざるを得ない。

ページの先頭へ

2016年10月04日

直ぐに答えの出る問題じゃないから価値がある

昨日の台風18号で沖縄本島に「特別警報」なるものが出て驚いた。
これまた50年に一度の台風で中心気圧が905hPaだそうだ。
近年、このように今までにない大きさの台風がやって来るのも、海水温の上昇で熱帯低気圧にどんどんとエネルギーを与えるようになってきたからに違いない。
今までなら950hPaもあれば大変な台風だったが、それを上回る気圧が持っている猛烈なエネルギーは如何ばかりかと思うと恐ろしいくらいだ。
これもまた以前のここのブログで書いたが、台風の後で地震がよく起こると書いた事を思い出した。地球は生き物で台風のエネルギーがあって地震のエネルギーをある程度吸収されていると言う科学者もいる。真偽のほどは分らないが、確かに地球規模の話になると、なるほどそういう訳かと妙に納得させられる。
何ら科学的根拠もないが確かに台風の通って来る進路上に震源域があって地震のエネルギーを吸収してくれているとか。そう思ったら台風も何かしら地球の役に立つのだろうか。
10月に入って幾分涼しくなり過ごしやすくはなったが、こう異常気象が続くとこれからの作物への心配事が増えてしまう。丹精込めて作った農作物もたった一回の台風で被害を受ける事なんかままあることで、今年は何度同じことを言っているか、それだけ収穫前の作物には大打撃だ。
突然また話は変わるが、昨夜に発表されたノーベル医学賞の受賞者に日本の学者先生が選ばれたと言う発表があった。3年連続の日本人の受賞には大いに胸を張れることだと思う。研究は一長一短では出来ない、気の遠くなるような時間と失敗の連続から見える一筋の光が、その栄誉を手繰り寄せるものだと嘗ての受賞者の中の誰かが言っていた。実にその通りだと思う。
こんな研究をして何になると言われ続けて、それでもあきらめずにコツコツとやってきたことがこうして世界的に認められる大発見に結び付く。
私利私欲で研究されてなんかいないはずだ。只管、地道な研究に没頭して突き詰めていった結果がこうして世に出て素晴らしいものとなるのだと思う。
世に中の仕組みは直ぐに答えの出るものを欲して、なかなか答えの出ないものには光が当たらないが、どこかの誰かが言っていたが「1番じゃないとダメなんですか?」こんな愚問を堂々と言える人がいることに開いた口が塞がらない。
直ぐに答えの出る研究なんか誰でもが考えるもの。直ぐに答えが出ないからこそその道の研究者が代々引き続き行ってやっと答えを導き出すのだと思う。

ページの先頭へ

2016年10月03日

しみじみ考えた・・・

今週もまた台風のニュースがある。よくもこんなに多く日本列島にやって来るものだと感心することしきりだ。
今日は月曜日だし10月に入って三日目だ。何だか土曜日が月初めだとなかなか気分が乗らない。やはり週初めは月曜だから月曜の気分に慣れているせいか月初めも何となくではあるが月曜日であった方が気分的には落ち着くようである。
土曜日に昼から当医院の患者さんのご家族と祭りを見ることになった。
友人のマンションはその祭りのど真ん中。ベランダからはだんじりのやり回しもよく見える。そこの子供はまだ幼稚園と小学校の低学年だから目の前を勢いよくだんじりが走る姿にはどのように映るのだろう。大人はだんじりよりお酒が飲めてうだうだいえるのが最高に楽しい。子供の世話は私に任せられて彼らは只管、飲み比べと称してビールを空けていた。子供と私はジュースで乾杯、あてには大人と同じチョコにおかきにシュークリームに果物。親たちをしり目にその小学生や幼稚園児と暫く遊んだ。ただただ大変な時間だった。
私にはそんな小学生や幼稚園児などいないからどのように接したらいいのか分らず、ひたすら子供のリクエストに答えるしかなかった。
紙飛行機を折ったり、御絵描きに付き合ったり、そこでふと今の自分にも大きな子供がいることに気が付いた。そう我が家の大きな子供は少々認知は入っているが、デイサービスでの大人のぬりえを持ち帰り、宿題として持ち帰ってきた残りのぬりえに絵を書いたり色鉛筆で色を塗ったり、マジ本物の幼稚園児と同じことをさせてもらっている。
自分の親がそうなるとは思いもしなかったが、そこはなったものは仕方がないと半ば諦めも入っているが、子供はこれからどんどんと知識を吸収して成長するが、こちらはどんどんと知識を忘れていく。悲しいかなそれが現実だ。
あの厳しく、威厳高き人の姿はそこにはもう無い。
あるのは只管、言われた仕事をする姿しかないのか。親をこんな風に見ると言うのは辛いものがあるが、自分のこれから行く姿だと肝に銘じていた。
「年寄り笑うな行く道ぞ、子供笑うな来た道ぞ」こんな事を言った人がいるが本当にそのとおりだと思う。

ページの先頭へ