2019年04月22日

これからもよろしく・・・

新入生も約1か月が過ぎようとしている。
受験勉強から解放されてこれから大学生活を満喫しようとしている大学生も多いかと思う。4月は新しく入学した学生に対して新入部員の勧誘などのクラブ活動が活発に行われる。そう言う私も大学入学の後クラスメイトとどこのクラブに入るか話し合いをしたのを思い出す。高校時代は帰宅部だったから何かクラブに入って大学生活を満喫しようと思っていた。仲の良いクラスメイトは野球部に、弓道部に、フォークソング同好会にと決めて行ったが私は中々決めきれなかった。そして帰りが同じ方角の同級生と帰り道、何処かのクラブの勧誘に引っかかった。私は男子校だったので女性の先輩に「あなた、新入生?」なんて声をかけられたら「ハイ、そうです」と即答してしまった。「ちょっとでいいから話を聞いて貰えない?」なんて今まで女性とまともに話などした経験が無い無垢な私を無理やり引っ張りこんだ大学横の喫茶店。中には何人かの女性の先輩がいた。高校時代なら同じように引っ張りこまれて入った喫茶店には剃りこみを入れた怖そうな奴らがいた。同じ引っ張り込まれるならこっちの方が良かったと思ったのが運のつき。一緒に連れ込まれた同級生は仕方がなくサインをしたが私は偶々、高校の先輩が居て私を見つけて手招きをしてくれた。それで即答しなくて済んだ。でもその後結局はそいつと同じクラブに入った。それがテニス部だった。
高校時代は運動なんかしたことが無かったが仮入部の時に一応簡単なテスト?みたいなのがあってラケットの振り方や握り方を教えて貰った。
これも偶々だったが私を教えてくれた先輩は同じ沿線に住んでいて帰りにも何度も一緒に帰った。そして今だにその先輩にはお世話になりっぱなしだ。
途中下車をさせて飯を奢ってもらったり飲みにも連れて行ってもらった。
我々の大学は今はどうか知らないが先輩後輩が絶対の関係。歳は上でも学年重視、
そんな関係が一生続く。現役生の私はいわば一番年下。一年後輩には3浪生が居て歳は2つ上だが学年は一つ下なんて当たり前に居た。だからいくら儲けて立派になっても歳が上でもそいつには一生私が奢らないといけない。また高校の同級生にも浪人して入って来たのが居て大学で会っても「オウ、○○」なんて気安くよばれて「もっと気を遣えよ」と言ったこともあった。
そんなこんなで未だに講習会などで会っても凄くよくしてもらっている先輩がいるが最近は何故だか私の姿を見つければそっと視界からいなくなるようだ。
何故なんだろう?そう言う私も後輩を見つければ同じことをしてしまう。
なるほどそう云うことか、やっとその謎が解けてしまった。
支部にも高校の先輩後輩はいる、しかしそれ以上にクラブの先輩後輩は強い絆でつながっているように思う。先輩これからもよろしく。

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2019年04月19日

懐かしい・・・

桜が散って新緑の季節になった。
植物は何処でどうやって季節を感じるのだろう。我が家の前に中学校がある。
私の出身校だがそこの校門には見事な桜が植わっている。私が卒業して50年になるからその当時の桜だとしてももう樹齢幾つになるんだろう。
昨日、家の中の掃除をしていて納戸の奥に開かずの箱があるのに気付いた。
家人のものだとばかり思っていた。そして家人も私のだと思っていた。お互いのだから触ることも無くそのままにしていて、そろそろ納戸のものを片づけようと聞いたら「それってあんたの箱やろ」「いやいやそちらのやろ」でお互いが押し付け合いをした。そして箱にテープで封をしていたのを開けた。中身は私の小さい頃の写真や弟の小さい時の写真だった。お互い存在は知っていたがどこかにやってしまって行方知れずになっていたものだった。私の祖母が持っていてその箱自体の存在は知っていたがそこにまさか入っているとは思いもしなかった。
そして風呂上がりにリビングに持ち込んだ箱の中を確認したら私の生まれたころの写真やその当時の家の周りの様子が映っていた。まだ道はアスファルトではなく地道だった。それに家の前には立派な街路樹があった。今はもう無いが幹回りは大人二人でもやっとの幹回りだった。そして家の前の中学校は門が木の門だった。その横にはもう立派な桜の木が植わっていて花を咲かせた写真が何枚かあった。60年前の珍しい白黒写真だった。それにその当時には珍しい自家用車が写っていた。
日産のプリンスだと思う、観音開きのドアの前で私が写っていた。おかっぱ頭のボンボンスタイル。そして首には蝶ネクタイ。まさしくボンボンスタイルだった。
こんな写真が残っているとは思いもしなかった。それに別のアルバムにはどこか私に似た親父とお袋が写っていた。多分、新婚間無しだと思う。私の姿が無くお袋が19歳の時の写真だった。親父も若いし如何にもの気取ったポーズで写真に写っていた。うす暗くてよ~く見ないと分りづらかったが今の家の前での記念写真だと思う。そんなこんなの写真で一盛り上がりして家人に聞いたが一向に思い出せないとの返事。少々認知が進んではいるがその当時の話になると所々で頭の中の何かがつながるんだろう、写真を持った手が暫く動かない。自分の写真もそうだが私の写真の時はあの時はこうだったとか、思い出すのだろうか。
「何であの時のままなら良かったのに」とか言い出す始末。
良い思い出も悪い思い出も一枚の写真には込められている。

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2019年04月18日

僅かな変化が大きな変化へと・・・

最近の当医院の診療内容が変化したことを患者さんからは頗る好評を得ている。
それは診察時間を少し長くしたことだ。大体歯医者は30分待って3分診療とよく言われた時代があった。そして今や歯医者乱立で患者さんが激減して一人当たりの平均点さえ上がらない時代、診療時間をどうするか散々迷ったが受付のカウンターの所に「じっくり治す」「早く治す」の張り紙をしたらほとんどの患者さんが「早く治す」を選ばれた。だから院長の私が患者さんに「これから少々時間をかけても早く治るように治療しましょう」と、一言加えるだけで患者さんの納得を得られた。
何も1時間2時間と時間をかけるのではない。今までが15分とか30分とか治療内容によって時間をかけていたのをその日治療する歯だけでなく一度に2~3か所治療するだけで沢山治療してもらった感覚になるらしい。今までも隣同士の歯なら一度に充填しても確かに3割負担だとそこそこの金額になる。初診で検査をして治療方針を立てて次回から診療を開始するパターンだったが、初診時にも主訴を治療するのは勿論その歯の隣にもカリエスなどの歯があれば患者さんの同意を得て一緒に治療するようにしたらお金はかかるが治療回数は減ってかえって喜ばれた。
いつも言っているが地域差もあって当医院の場所がオフィス街の診療所、時間に限りがある患者さんが多かった。しかし治療に来るのに隠れて来るような昔と違い、正々堂々?と治療にやって来られるから30分かかろうが1時間かかろうが早く済む方を選ばれるようになった。その方がこちらも楽だ。
患者さん減少の一つの策と思ってした事が結果喜ばれることになった。
しかしお金はかかる、平均点は上がる、これでまた厚生局の指導にかかることになる。でも前回も行ったときに偶然に先輩と会った。その先輩はこう言われていた。
「平均点が高いことが悪いことではない、むしろ誇れることだ」と。
確かに平均点やらに拘る方が診療を委縮させていることにはならないか。
そう思ったらこれからも堂々とこのスタイルを貫く決意がした。
数を診る時代から内容を診る時代への変化が私には訪れようとしている。

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2019年04月17日

頑張れフランス 

皆さんももうご存じだと思いますが、フランスの有名な観光スポットにもなっているノートルダム大聖堂が火事で大きな被害が出たと言うニュース。
昨日、当医院の患者さんでここでも再々出て来る同級生の娘さんからラインが来た。
今回日本に帰って来た時に治療に来られてパリの名所の話をしたばかりだったから驚いた。その場所はセーヌ川の中州のような所にあって中心部に当たるところで大阪で言えば中之島のような所だとか。その観光名所が失火した。
自宅に居て現場からはかなり離れているらしいが、はっきりと煙が見えて街中にサイレンが鳴り響いていたとか。
世界遺産であり歴史的建造物であり世界的に名前の通っているノートルダム大聖堂、それが何かの失火でいとも簡単に焼失したことにフランス国民のみならず世界中の人々に大きな衝撃を与えたニュースだった。
日本の様に地震や天災で何度も被害に合ったところでさえ国民が受ける衝撃は並大抵ではないが世界的に名前の通っているところでの今回の失火はフランス国民のみならず世界中に大きな衝撃を与えたニュースだ。まだ早いが今年の世界のニュースのベストテンには必ず入って来るだろう。まだはっきりとは原因は分らないがテロではなさそうなのが何よりだ。
来年には日本でのオリンピックが開催されて世界中から多くの人が来日するだろう。そして日本のあちらこちらに観光に行かれるだろう。そんな時にテロだの天災だのと急に何か起これば国の威信にかかわる。日頃からの「もしも」に備えて準備万端にしておくことこそが日本独特の「おもてなし」なのかもしれない。
東日本大震災直後にもフランスでの追悼をこのノートルダム大聖堂で行われたと聞き、日本人が今回出来る何かを考えたいと思う。

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2019年04月16日

ウチはどっちだ???

昨日、家人が行きつけの耳鼻科に受診しに行った。
9時からの診療で8時45分に入り口が開き銀行の受付みたいに受付票の用紙を取るシステムだった。朝の8時に出かけて自転車で10分くらいの所にある耳鼻科。でもすでにもう20人くらいが並んで入り口が開くのを待っているとか。それから順番に番号票を取って早い番号なら待合室で待ち、4~50番なら一度帰ってまた出直すようだ。最近は皆さんスマホなどをお持ちのようで番が近づけばスマホで呼び出してくれるとか。家人はスマホを持っていないので大体の時間で待合に座って待つか、近所の喫茶店で時間を潰すらしい。先生は一人で助手か看護師が検査や機械の横に居て説明をしてくれるとか。ただ一日何名を診察するのかは知らないが午後診の初めに行っても受付の機械に「本日の受付は終了いたしました」の札が掲げられるとか。
一度午後診に行って偶々受け付けをしてもらったんだが診察を受けたのが夜の9時過ぎだった。診察時間は8時までとなっていたがその日に受付してもらった患者さんは診て貰えるがこんな時間まで先生は働いているのかと思ってしまう。それよりそこの従業員は文句を言わないのか?そちらの方が気になってしまう。もしも当医院でそんな事をしようものなら・・・考えても見たくない。(絶対にありえないと思うが)
そんな医院もあるがまた別の医院では、そこは整形外科の専門医だが1時間に一人しか予約は無い。そもそも予約していることに驚くが一人にきっちり1時間を費やす医院だ。
何も患者さんが多い少ないではない、どんな治療をしてくれるかが大事だ。
待っても良い、遅くなっても良い、そう思うなら待てばよいし、じっくり話を聞いてくれて付きっ切りで治療やリハビリをしてくれる医院も良い。
常々、私もよく言うがアポイントは何もその時間に来てくれと言うのではない。その日の治療内容によって時間を決めているところが多いのではないか。中にはそうで無いところもあるのだが。元々は我々のアポイントは技工したり時間のかかる作業が多いから外注で依頼しているから時間がかかってしまうケースが殆どだ。
昔の歯科医院は30分待って3分治療だと揶揄される時代があった。
元々歯科なんて「待たされる、痛い事される、お金がかかる」の三重苦のような所だとも言われた。最近はそんな三重苦からは解放されてはいるが(待たされるは解消された)後の二つ、痛い事されるとお金がかかるはいまだ健在。
そんな事だから医療も二極化されて行くのだと思う。近くに医院があるからと言って患者さんはそこには行かない。自分がこの先生と思ったらそこに行く。たとえ遠くても。今の自分に置き換えてみてもやはりそのようにすると思う。
流行っているのが良い医者だと歯思わない。ただ流行って居ない所はやはりそれなりの治療しかしてもらえない。そう思ったらウチはどっちだ???

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2019年04月15日

ちょっと 愚痴ってしまった

昨日はしとしとした雨模様が夜には一変した激しい雨になった。花散らしの雨だった。土日とインテックスでのデンタルショー参加してきた。その前にも材料屋さんのショーにも行った。滅多に行く機会が無いから行けば新しい商品などの展示や説明を受け新鮮な気分になった。しかしその時思ったことだが、これから新規開業を考えている人には設備の充実などの費用は重く圧し掛かって来るはずだ。レントゲン一つ取って見ても我々の頃は現像式のレントゲンだったがその後デジタル式になり今や3Dなど目が飛び出る位の最新式が当たり前の時代になって来ているのには驚きを隠しえない。いくら最新式は素晴らしいと言ってもこれからそれを導入する気にはなれない。インプラントをメインにするならともかく、一町医者が手を出せる代物ではない。そこでも知り合いの先輩の先生に会った。お茶をし乍ら話し込んだ。
どの様に終活するか、それは人生の終活ではなく、仕事の終活の事だった。
その先生には後を継いでくれる子供さんは居ない、自分一代でこの仕事を終えると言う難題が。コレは他人ごとではない、いずれ我が身にも降りかかってくる問題だ。
昨年度も知り合いの先生が何人かリタイアされた。何人かその後も連絡を頂いて近況は分っているが大部分の先生は仕事を辞めて暫くは何にもする気がしなかったとか。
何十年も一生懸命この仕事をしてきていきなり仕事をしなくなったら何をして過ごせばいいのか考えてしまうとか。決して楽なことではないと。仕事をしている方が楽だったとか。
我々の仕事には定年が無い。自分が「ハイ、もう辞めた」と決断すればそれでお終い。でもなかなかそうは簡単にできないのが現状だ。身体が言うことを聞かなくなってのリタイアなら諦めもつく。しかし身体が元気でも患者さんが来なかったり毎月の収支がトントンならまだ別。毎月の赤字を考えながら仕事を続けるのはもっと辛い。自分ひとりなら何とか我慢も出来よう、しかし従業員がいればその生活も考えてあげないといけない。その先生が最後にこう言われた。「行くも地獄、辞めるも地獄」だとか。誰がこんな未来を想像しただろうか。我々が開業したころは皆が将来は悠悠自適な暮らしが待っていると思っていたのに。
今日はちょっと愚痴ってしまった。しかしそれが間違いであってほしいが現実はそう甘くない。

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2019年04月12日

自己愛が強いと健康になる そうでしょう・・・

最近は早寝早起きを実践している。そのせいか夜中にトイレに起きる回数が多くなった。最近はほぼ夜中に二度くらいは起きてしまう。
トイレに行ってはコップ1杯の水を飲む。それでまた朝までにもう一度トイレに起きてしまうの繰り返しだ。熟睡できないと思っていたが家人曰く、「あんたは少々の事では起きないから、トイレに起きる位が丁度いいんじゃないか」だと。
確かにそうだ。脱水とまでは行かなくても出した分は補給しないと。
昔は炭酸飲料が好きでよくスポーツドリンクを飲んでいた。甘みもあって好きだが血糖値が云々で最近は炭酸水のみを飲むようになった。それに風呂上がりの一杯。酒を飲まないから牛乳で。食事の時もトクホのお茶。そして最近は友人に勧められた水素水。コレって何が身体に良いか説明を受けたがイマイチ理解しずらかったが友人は飲み続けていて健康に良いからって薦めてくれた。
よく「人間の身体は口から入って来るもので出来ている」と言われているが、好き嫌いのある私は、誰でもそうだが口にあわないものは口に入れない。
そりゃそうだ、薬だと思えば飲まねば仕方がないが飲まなくても良いものなら口にあわないものなんて誰が飲むものか。
健康志向って言葉がまかり通る世の中、自分の健康は自分で守るのが当たり前。
人に言われたからって誰がその通りにするものか。私がそうだったから。
血液検査の結果が段々と良くなってきて初めて、今やっていることが正しいと思うようになってきたからだ。元々肥満体質で大食いでその上早食い。
全く健康とは真逆な生活を何十年と送ってきていた。だから少々の知識では私を健康に振り向かせることは出来ないと思っていた。でも今は違う。最初に述べたように口から入って来るもので身体が出来ていると言う説得力のある言葉で今や健康志向に向かってまっしぐらな自分がいる。だから「早寝早起きと小食と身体に良い食材」コレを実践中な自分に惚れている自己愛の強い私がいる。

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2019年04月11日

今の心境はといえば・・・

今月4月は私の誕生月だ。有難いことにお祝い❓メールや嫌味❓メールを沢山頂いた。事に触れ年寄りだの老人だのと自分自身の事を言ってはいるが、正直親父の亡くなった年になってみて今親父が生きて居たら何て言われるか考えてみた。
まぁ「お前もエエ歳になってまだこんな事をしてるんか」位は言われると思う。
今思えば親父は「仕事」と「ゴルフ」コレを取ったら何にも残らなかった人だ。
酒も飲まず、タバコも吸わず、家庭サービスもほぼゼロに等しい。
しかし一生懸命働いてくれたからこそ私を歯科医の道に導いてくれたことは今思えば感謝しかない。私の爺さんも64歳で亡くなっているし、親父も同じ64歳で亡くなっている。そうなると周りは私も同じ64歳で亡くなるんじゃないかと変な思い込みがあってバースディーメールには「オマエも今年はヤバイ年やぞ」とか「親父、爺さんの歳を超えろ」とか煩いメールが何通かあった。
最近よくこんな事を思う時がある。それはもし親父が生きていたらこんな事を思っていただろう、この年齢でこんな事が出来たのは流石だ。とか、いちいち親父を引き合いに出して見ると言うことだ。
親父は親父、俺は俺と分っていてやはり同じ年齢で今のこの医院をここまでしてくれたのには大いに感謝するとともに、いったい私は何をして来たんだろうと思い返すことが多くなってきた。
世間様は跡継ぎだとか終活だとか、考えていると思うが今の私にはこれから先をどう過ごそうかを考える余裕は無い。親父には悪いが私は親父より趣味が多い、友達?が多い(悪友はもっと多い)そんな奴らとワイワイガヤガヤ毎日が楽しい。親父には金があったが私には金は無い。ゴルフの様にとことん打ち込める趣味は無いが浅く広くの趣味はある。
ただ親父から見せられた生き様は少々真似て見ようかとも思っている。
よく親父が言っていたことで今でも実践していることがある。それはこうだ。
「もしも迷った時は楽な方へは行くな」と言うことだ。人生楽な方が楽しいではないかと思っていたが、いやいやそうでは無い。楽でない方に行ったとき最初は辛く苦しい思いもするがそれを乗り越えた時に得られる喜びは普通の喜びではない。今まであまり親父の事をそこまで考えたことなどなかったが、今言える事はこの教えこそが今の私には大きな財産になっているように思える。

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2019年04月10日

だから大阪のイメージが悪くなるんや・・・

今朝は冷たい雨の中、造幣局の桜の通り抜けが始まる。
大川沿いの桜は散り始めているが、造幣局の桜はその周りに比べて1週間ほど開花が遅く長くお花見が出来るところだ。しかしこの雨はお花見客の足を遠のかせるくらいの雨が今も降っている。
昨日の患者さんとこんな話をしていた。それは最近のお花見客のマナーが良くなったと言う話だ。昔は酒に酔ってマナーの悪い人が多く居たが最近の花見客はマナーも良くなって来たとか。中にはそんなの関係ないと言うバカな人もいるが概ね人様に迷惑をかける輩が減ったと言うことか。
ちょっと前なら「最近の若者は・・・」とか言われていたが、今や逆に「最近の年よりは・・・」とか言われるようになった。私もその仲間にそろそろ入る年齢になって来て同感した。若い人は確かに世間知らずだの、経験不足だのと言われるのは仕方がないにせよ、もうある年齢を越してしまって世間を知っている筈の大人?や老人が余りにも迷惑をかける人の多くなってきたこと、まことに嘆かわしい。
いちいち、あれこれ詮索をするのは止めるが開き直りと言うか、私は年寄りだから当然と思っているのか、コンビニでもスーパーでもレジで文句を言ったりクレームをつけているのは殆ど若者ではなく老人たちだ。中には女性もいるがほぼ男性客だ。そこまで言うかというくらい、若い女性のレジの人に偉そうに意見している姿は見ていて嘆かわしい。先日も連れとファミレスに行ったとき私が帰りかけにレジに並んでいるとその前の客が支払いをしていた。6名で来ていて一括で支払えばいいのに割り勘で支払うから私の後にも何人も並ぶことになった。
そして最後の客がこう言った。「私に全員分のポイントを付けて」
店員は「別々会計なんでできません」と言った。当然だがそこは大阪のおばはん中々引き下がれない。「そしたら店長呼んで」だと。そして店長が説明してもなかなか納得しない。列にも何組も並んできた。ようやく納得はしないが諦めたかと思って待っている同僚の客にこう言った。「ここの店きたないで、ポイント付けてくれへん」そりゃそうでしょう、個別会計ですべてのポイントを自分のポイントにしようとしていたんだから。そして最後にこう言った。
「ダメもとで言ってやったけど やっぱっりアカンかったわ」だと。
同じ大阪人として見ていて恥ずかしいわ。

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2019年04月09日

嬉しいような嬉しくないような複雑な気分・・・

日曜日の講習会の後、後輩との帰り道での出来事。
2人が気分よく話し込んでいたところ、私の車の機嫌が良くなかった。アクセルを踏んでいるにもかかわらずなかなかその通りに加速してくれない。そして急にブレーキが重くなったと思ったら走行中にもかかわらずエンジンが切れてしまった。???
何となく惰性で走ってはいるが、ハンドルもパワステなのに効いていないみたいに重くなった。何とか追い越し車線から走行車線に移ってハザードを点灯しながら路肩に止まった。あと少し走っていたら高速道路に入ってしまうところだった。一度、エンジンのスイッチを切ってから再度スイッチを入れたら動くには動いたが正面のパネルに5つの警告ランプが付いてしまった。こうなったら私にはどうしようもない。後輩も車好きだが同じようにどうしたらいいか分らない。早速、ディーラーに電話を入れた。こうこうしかじかと現状報告。そしてどうしたらよいかの指示を貰った。
前にも一度、車は違ったが高速道路で走行中にパネル画面がフラッシュして画面が全く見えなくなったことがあった。その時は時速180キロ?くらい出ていてこのまま惰性で走っていてもいずれはぶつかると思い高速道路の側面の壁に擦って止まろうかと考えた。ブレーキとハンドルが効かない何て想像もしなかった。それでも何とか非常帯まで行くことが出来JAFを呼んだ。非常帯に止まって車から降りてみて初めて分ったことだが、あんなに道路って上下に動いているものだと初めて知った。JAFの牽引で一番近くの出口から出て24時間のガソリンスタンドに入って訳を言って一日車を置かせてもらった。次の日にディーラーの人が車を受け取りに行ってくれた。コレが地方で起こらなくて良かったと思った。
話は戻るが、そんな訳で後輩と晩飯を食べに行く途中で起こった出来事、何だか気味が悪くなったのか後輩が「ココからタクシーで帰りますわ、晩飯はまた次回に」と帰って行った。残されたのは動かなくなった車と腹ペコの私。それからしばらくしてディーラーの担当の人が来てくれた。偶々、その人の家から5分くらいの場所だったのが幸いした。1時間ほど一人ぼっちで周りに店も無いところ、待っているとその彼が来てくれた。メカニックではないが店のメカニックの人に電話でこう言う状態と説明してくれて、何とか帰ることが出来た。それでも原因は分らず、警告灯は点いたまま。今の車は何か不具合が起きると用心のために関連している個所のランプが点くとか。そんな事は知らない私はビクビクし乍ら家までたどり着いた。結局その日は朝飯と昼飯は食わないが、晩飯まで抜いてしまった。風呂上がりに体重計に乗って驚いた。今年最低体重になっていた。コレはコレで嬉しいような、複雑な気分になってしまった。

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2019年04月08日

出来るか出来ないではない やるかやらないかだ・・・

この週末は絶好のお花見日和だった。それなのに何が悲しくて同窓会やら講習会があるのか。
昨日はお花見真盛りの市内を流れる大川沿いでお花見客をしり目に講習会に参加した。あまり勉強が好きではない私は滅多にそのような講習会に参加はしないが、今回は大学時代のクラブの先輩や後輩が来ると言うのでそれこそ同窓会気分で参加をして来た。
幾つになってもクラブの先輩後輩は良いもので、それこそ体育会系の運動クラブだったからその先輩後輩の絆は何年経っても変わらないものがあった。席も隣同士だったし講師の話はそっちのけで昔話に花を咲かせた。桜の満開と同じくらい何年ぶりにあっても一気に話は弾んでしまった。講習会が終わって散会した後も先輩を見送ってから後輩とお茶をした。そして四方山話に中でもやはり話題になっていたのは今の歯科の現状の話だった。その後輩は地域の歯科医師会の支部長(会長)も務めた人格❓者。でも経営と言うものとは無縁の男だった。よく昔はいろんな講習会で会ったり、新商品の発表会で会ったり、保険の分からない所を教えて貰ったりと付き合いがあった。最後に会ったのはそこの息子さんが中学受験で私の母校を受験すると言った時に相談?されて会ったのが最後だったと思う。その子も今年大学を卒業して国家試験を受験したとか。合否は聞かなかったが普通に勉強していれば合格できるはず。
それよりも大事な相談があると事前に電話で言って来たので講習会終了後に話を聞いた。その内容が従業員との距離があってなかなかこちらの言うことが従業員に伝わらないと言った内容だった。
本人はいたって真面目な性格、すごく悩んでいたが私の答えは簡単だった。その答えを聞いて気持ちがすごく落ち着いたと言っていた。その内容はこうだ。
あれもしたいこれもしたいと院長は理想を言うが従業員にはなかなか伝わって行かない、だから従業員と意見の対立が起こる。何とか解決の方法が無いものかと言うのが彼の悩みの大体の話。
私も経験があるがいろんな意見が出れば必ず反対の意見も出る。それはそうでしょう、何でも院長のイエスマン、イエスウーマンばかりだったら絶対に失敗する。言うべき時には言う、ダメなものはダメ、何故それがダメかを説明してやる。口では分ったと言っていたがどこまで分ったかは分らない。そして私の結論を最後に言ってやった。コレは出来る、コレは出来ないではない。それを実行するかしないかだ。その後でまた恐ろしいことが待っていた。それは次回で・・・

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2019年04月05日

今 思うこと

日中は暖かいが朝晩の冷え込みが桜の花にはどうなんだろうか、お花見は日本人の楽しみであるには違いないが最近は外国の人も桜の花見に日本を訪れて来るようだ。
昨日、同級生に久しぶりに会った。ここでも書いたが娘さんがイギリスの男性と結婚してその彼の母親が来日して一緒に花見をしたとか。外国の人にはどのように映るんだろうか。
海外の人はその国にあった花を愛でるようだが、日本人=桜、になるのだろう。しかし日本の国花は桜と菊である。台湾の国花は梅、イタリアの国花はデージー、オランダはチューリップ、アメリカには国花は無く各州によって決められているそうです。中国では牡丹、韓国では木槿(むくげ)だそうだ。イギリスは薔薇、薊(あざみ)水仙だそうだ。調べてみて分ったがそれぞれいわれはあるがそこはご自身で。
「花は桜木、人は武士」はよく知られていますがその続きをご存じか?「花は桜木、人は武士、柱は檜、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」と続くそうです。
我々の知っている言葉も深く知れば面白いものだと言うことが今回分って参考になりました。
私の好きな言葉の中にこんなのがあります。
「散る桜残る桜も散る桜」これは江戸時代の曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている歌です。
しかしこの歌もこんな話があります。それは戦争の時の特攻隊の方の歌とも言われています。平成が終わり新しい時代の令和になってもこんな悲劇を繰り返さないように国民がよく考えないといけないと思いました。

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2019年04月04日

清水の舞台から飛ぶつもりで  止めておこう

今朝の冷え込みの中いつものように、いつもの道を通って診療所に来る途中、大川の橋の横を通ったらもうすでにブルーシートが敷かれてその中に若い男性がダウンコートを羽織ってゴロゴロしていた。朝の6時過ぎの事だった。良い場所は誰もがお花見をしたい場所、だからそんな時間から場所取りをするのか、新入社員なのかもしれない。そんな事を言ったら一部の人から「それはハラスメントだ」と御叱りを受けるかもしれない。
当医院の代診の先生も毎年花見を数組で行うと言っていた。飲めや歌えで盛り上がって居るらしいが嘗てはコンロ持ち込みで通報されたとか。誰でもアツアツが食べたい、火気厳禁と書いてあるわけではなかったとか。その後で火気厳禁の立て看板が立ったとか。
あれはきっと屋台の親父の仕業だと決めつけていたが果たして真相は如何にだ。その後からは場所はいつもの所だがデリバリーサービスを利用することにしたらしい。ただ、この時期のデリバリーは時間がかかるとか。そらそうでしょう、皆思いは一緒だから。
連れに塾の教師をしていて脱教師をして植木職人に弟子入りした変わり者がいる。そいつが職人になりたての頃、趣味の盆栽の事で聞いた時、「まだ未熟ものだから親方に聞いてみる」と言っていた。最近はこちらから言っていないのに、「盆栽の手入れしてるか?」とか「庭の植木の手入れはどうや」とか聞いて来る。今度一度、盆栽の手入れを頼もうかと思っているが、万が一の事故があっては大変だ。でもそいつの口癖がこうだ。
「植木職人と散髪屋は一緒や」
「何でや」
「間違って切っても又生えて来るからや」
やっぱり止めておこう、こんな奴に任せる勇気は今の私には未だ無いからだ。

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2019年04月03日

最近のお財布事情は・・・

最近、財布の中の小銭が少なくなっているようだ。
私はもともと現金主義者と言い続けてはいるが、時代の波に飲まれるかの様にキャッシュレスに段々と近づいてきているようだ。
今まではお釣りの小銭は小銭入れに入れて週一、月曜日に貯金箱に入れるようにしている。しかし毎週月曜日にその小銭入れを開けた時に余り小銭が入って居ないことが多い。そう言えば買い物も普段とあまり変わらないが大体そこのスーパーのカード払いが主になって来ている。クレジットでは無い、予めお金をチャージして置いてその中から買い物をして、足らなくなったらまたチャージすると言うものだ。今主に使用しているカードは「ナナコカード」と「ライフカード」がある。余りコンビニは利用しないからそこでのカードは必要が無いがライフなりイトーヨーカ堂ではそのカードを使うようになった。確かに小銭は増えないから便利なのだが昼飯はここ半年食べていない、コンビニにも振り込み以外は利用しない、だから益々小銭が貯まらなくなってきている。財布の中のカードと言ったら整理をして随分減らしたがそれでも幾つものクレジットカードは入っている。年会費だけでも相当なものだ。昔は○○カードは使えるが××カードは使えません何て言う店があって必要に応じて使い分けなければならなかったが、今やどこの店もどのカードでも大丈夫だから本当は1枚か2枚あれば事足りる。それを何枚も持っていたら年会費がバカにならない。銀行の利子がほぼ無い今の日本でコレは全くの無駄だと思い始めた。もしも落としたらとか悪用されたりとか心配はあるがさっきも言ったように現金主義者の私にはネットで買い物もしないし財布にパンパンになるほどの現金も持ち歩かないから正直あまりカードを必要としない。今年は幾つかそのカードを処分しようと思っている。連れの様にいくつもカードを持っていても使う場所によって使い分けているわけでも無い。何より残高不足で利用できません何て言われたら格好が悪いではないか。
未だにそんなキャッシュレス時代に逆行する人間が居てもおかしくはないはずだ。

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2019年04月02日

新元号なのにこんな思い出が・・・

昨日の新元号「令和」フィーバーは凄かった。今までは天皇崩御と言う自粛ムードが当たり前だったから平成天皇の生前退位は国民総意の祝賀ムードを一層守り立てることは間違いないはずだ。
昭和天皇のご病気のニュースは今でもはっきりと覚えている。
毎日のニュースで血圧の云々、体温の云々と伝えられ、ご病気と闘われている昭和天皇の様子を逐一報道されていた。
そして崩御されてからと言うもの、国民の喪に服する姿があちらこちらのニュースで伝えられた。皇居や役所には記帳の長い列が出来そんなニュースしかテレビでは流れなかったのを思い出す。
しかしそんな中、どこのチャンネルを回しても自粛自粛の映像ばかりだった時に連れのビデオレンタル屋は驚異の売り上げを記録した。何と店の中に貸し出すビデオがほぼ無くなると言う珍事?が起こった。失礼ながらまさに特需だ。それを機に大きく事業を伸ばし今やだれもが知る一大企業になった。(名前を出せばだれでも知っている会社)
全く何処にそんなチャンスがあるか分らない。またあったとしてもそれを生かせなければ商売は上手くいかない。でもそいつ曰く、自分でもなんでそんなにうまくいったのかは分らないとか。
自粛ムードの中商売をするのも憚られたのに商売をすることへの熟知たる思いはあったが勢いでやってしまったと言っていた。
その当時、何軒かの店の売り上げは年間1000万円あれば御の字だった会社が今や年商何十億の会社になって行った。
私は常にそいつには「偶々、目をつぶってバットを振ったらボールから当たってくれたんや」と言っているが、そいつはこう言い返す。「目をつぶってバットを振っても当たらんもんは当たらん」だと。ホンマにこいつには付ける薬は無いものか・・・

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2019年04月01日

4月1日に思うこと・・・

4月1日、新年度が始まった。そして新元号が発表される。
私は勿論昭和生まれだが祖母が明治生まれだったからよく「明治、大正、昭和」と言われる時代を生きてきた。そして今我々昭和生まれもついに「昭和、平成、○○」と言われる様になったのかと思うと感慨深いものがある。後2時間少しでその新元号が発表になる。
ここ最近はあまりテレビを見ない私も新聞のテレビ欄では「平成の○○」とかこの30年余りの出来事を残された映像から振り返る番組が目白押しだ。良い事より悪いことの方が遥かに多い平成の時代、そんな事を思いながら自分自身の30年はどんな時代だったかを振り返ることが出来た。まだ昭和30年代は働けど働けど我が暮らし楽にならずと言われていた時代、そして東京オリンピックや大阪万博が日本の国の復興、発展を世界に見せつけた時代だった。そして昭和が終わろうとしていた頃は昭和天皇のご病気の発表に一喜一憂した時代だった。そして平成の時代を迎え新天皇になられてから大きな自然災害がいくつも列島を襲いそしてまたその中から立ち直ってきた我が国、唯一不幸な戦争が無かった時代と言われている。そんな意味からも戦争が無いだけ平和な時代だったともいえるのだろう。今度の新天皇は恐れながら私とは同世代のお方、民間からの新皇后も結婚に際してはマスコミに追い回されて良くも悪くもニュースになった。そして今日新しい時代が幕を開けることになる。平成の時代に戦争が無かったことが何よりの幸せ、次の世も又同じように平和な時代になることを切に願って新元号の発表を待つことにしよう。巷では新元号が何になるとか煩いがどんな元号になっても、元号が良いから良い時代になるはずも無く、皆が平和に暮らせることが我々国民の願いである。

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