2019年05月31日

上には上が居るもんだ・・・

いよいよ今日で5月もお終い、令和もちょっとは馴染みが出てきました。
診療所の新患受付の用紙も令和に切り替える準備をしていますが、今の所は平成の上を白塗りして令和の判子を押して間に合わせています。考えてみれば何度も昭和、平成と色んな用紙には書いてきましたが令和ってまだ馴染みが無いせいか横に書いても立てに書いてもすっきりとはいかないものです。しかしこれも馴染んでくることでしょう。令和最初の頃はこの「令」「和」の文字が入っている方にはサービスがあったお店もありました。私もその一字が入った名前ですからよく連れたちに引っ張って行かれました。「オマエのおかげで一品サービスしてくれる、たまにはオマエも使い道あるな」だと。そんな事に使われた日には目も当てられません、だからいつもそんな時は「オレのおかげで良い目をしてるんだからもうちょっと気を遣え」と言ってやります。しかしこいつらはどうでしょうか、必ずこう言い返します。
「オマエ、こんなことくらいしか俺たちにエエことしてないんやから」だと。
バカもここまで来れば大したものです。そんなに長いことサービスは続きません。
案の定最初の1週間くらいでした。たった一品サービスでコレだけ盛り上がりました。
単純な奴らです。でもそんな中そこのお店で偶然遭遇した話です。
そこのお店は居酒屋でいろんなメニューがある店で庶民のお財布に丁度良いお店。
値段もさほど高くないが味は絶品、その「令」「和」の文字が入っていれば何でも一品サービスしてくれるものだから誰もが思うのがその中で一番高いメニューをサービスしてもらおうってことでした。安いお店でも中には高いメニューもありました。それはお造りです。一品では値段が決められていましたが中には「時価」なるものもありました。ちゃんとそこは調べてあります。抜け目のない奴らです。
我々が一品サービスに選んだのがお造りの盛り合わせでした。その船盛さえ一品かどうか聞いたら一人前はサービスだと言うことで船盛一人前をサービス品としました。その横でそれを聞いていた何処かのご夫婦、遠慮がてらに私たちもお願いしようかと言う話になって店の人に聞いていました。GW中でもありお店も暇だったのでお客は我々とその御夫婦のみでした。店のレジのカウンターの後ろにはちゃんと張り紙で「令」「和」の名前が入っている方にはサービスいたしますの文字が。
そして両方入っている方はタダの文字が。我々の仲間は私しか片方の文字が入っていましたが、その方は「令○さん」「○和さん」と言う見事に両方入っている御名前の方でした。と言うことはその方の食事代はタダと言うことに。
我々のは一品のみ。店を出てから皆で「あの夫婦得したよな」だと。
お前らも俺のおかげで一品助かったのと違うのか?いやはや上には上が居るもんだという御話。

ページの先頭へ

2019年05月30日

皆さんそうは思いませんか???

先日の従妹会での話で男と女でこうも考え方が違うものかと思えることがあった。
久しぶりでの再会で前に会ったのが叔父の葬式依頼だったと言ったらもう何年になるかお互いが指を折って数えないと分らないくらいだった。そして我が家の母親と従妹の母親が姉妹と言うこともあり叔父の子供(私にとっては同じ男兄弟)達よりも会う機会が多かった。従妹と言っても他県に居るので年賀状くらいしか挨拶を交わす機会は無い。母親と向こうの母親は女同士と言うこともあり昔は毎週のように電話でああでもないこうでも無いと無駄話に花を咲かせていたみたいだ。今回の集まりは近況報告と言うのもあったが兄嫁さんの話が主な話だった。その兄嫁さんが最近認知が進んで施設に入居したと報告があった。それも他県での話。そう簡単には行けないが一度はお見舞いに行ったがもう認知が進んでさっぱり誰だか分らなくなってきているので最後?にもう一度お見舞いに行くか行かないかの相談もその話合いの中身だった。
男の私や従兄の男兄弟ははっきり言ってそんな姿を見て欲しくない気持ちが優っているが女の従妹たちはもっとドライでそれでも面会に行った方が良いと思うとの意見だった。なかなか難しい問題だと思う。私の父親が患い病院で入院していた時に親父の友達さえ面会をお断りした経緯があった。元気な姿でいるころの親父を知っている友人知人には今の親父の姿は想像できない姿だったからだ。だから丁重にお断りをしていた。親戚さえもごくごく親しい方のみに制限させてもらっていた。
私はそれでよかったと思っている。元気な姿を脳裏に、今の姿は見せられなかったからだ。しかし従妹たちはそうは思わないと言っていた。やっぱりお見舞いに行くことが叶わなかったしこりが残るとか。結局は今回兄嫁さんのお見舞いは自主判断で行くか行かないかを決めようと言うことになった。
私は冷たいようだがまだ元気な時の姿のまま自分の脳裏に焼き付けておきたい方だが彼女たちは行きたがっていた。ただ向こうさんの従兄たちが判断されることなのでそれ以上の事は言えなかった。そして彼女たちもそれに同調した。
よく言うではないか、男と女は脳の作りが違うと。男はいつまでも別離た女の事を思っていて何年経っても良い思い出としてずっとしまっておきたいそうだ。
だが女は別離たら直ぐに良い思い出より良くない思い出の方が優って直ぐに頭から消え去ってしまうとか。
誰かが言っていたがこんな表現がある。男の人は女の人と離別たらいつまでも後ろを振り返ってまっすぐな道を歩いて行く。何年経ってもあの時は良かったと自分で良い思い出を作ってしまう。しかし女の人は男の人と離別たら男の人のように真っ直ぐな道を歩くのではなく直ぐに道を曲がってしまい振り返ることすらないとか。
そんなの勝手な思い込みだと御叱りを受けるかもしれないが、いやいや全くその通りだとの称賛を受けるかもしれない。
そうは思いませんか? 御同輩

ページの先頭へ

2019年05月29日

悲惨な連鎖は断ち切らなければならない・・・

昨日も悲惨な犯行があった。どうして最近こんな悲惨な事故や犯行が多くあるのだろう。今までの安全はどこかに行ってしまったのだろうか。今や日本はその安全な国と言う海外からの安心をどこかに置き忘れてしまったのだろうか。
ニュースでしか詳しくは分らないが、動機がどうのこうの、犯人の素性やこれまでの成長過程が云々、皆が安心して暮らせる時代はもうこの国にはないのか。
昔の話をすれば年寄りくさいと御叱りを受けるかもしれないが、我々の子供の頃には近所付き合いも頻繁にあったし、自分の家の親でなくても他人が他所の子供を思いやったり叱ったりするのは当たり前の光景だった。でも今では知らない人に声をかけられても無視をしたり走って逃げたりこんな光景をよく見かける世知辛い世の中になってしまったように思う。今やマンションなどで隣がどの様な人が住んでいるかも知らないし、自分家さえよければ他人さんは知らない。そんな家庭が多いようだ。
何もそんな家庭が良くないとか多いからどうのこうのと言うのではない。
やはり大人が子供を地域で守り学校で守り家庭で守らなければ誰がいつこんな犯行に及ぶなど予想出来るものか。被害に合われた方々には心よりお悔やみ申し上げます。
小さな子供の記憶の中には今回の犯行はずっと心の傷として残るだろうし、本当にカウンセラーによるケアが必要に思う。
社会に適応できないでいる人はウジャウジャいるだろう。皆が安心して暮らせるためには何が必要なんだろう。平成から令和に移り変わってもこうした犯罪は減らない。一人一人の注意や社会で落ちこぼれて助けを求めている人をどう助けれるか、そんな奴は放っとけという声もあるが、放っておけば益々心配の種は尽きない。
高齢者の運転がどうのこうの、精神疾患のある人が社会に出て行ってもちゃんと共存できるようには中々ならないのか。新しい時代に突き付けられた問題だろう。
明るいニュースを望むのは無理なのか、それともこれからの時代は今まで目を背けていた問題が次から次へと出て来るように感じてならない。

ページの先頭へ

2019年05月28日

楽しみ半分、不安半分・・・

久々の雨で、ここ数日の猛暑が一休みと言うところか。
北海道で39度?考えられない暑さだ。おそらくエアコンなんてつけることさえない地域もあったろう。昨日のニュースではそのエアコンを急遽取り付けたとか言っていた家があった。我が家はすでにエアコンのフル稼働状態だし、通勤の車はもうとっくにエアコンの恩恵に与かっている。一昔前なら少々の暑さくらいでは我慢が出来たが今やそんな事をしようものなら命取りになる。道を歩けば車に気をつけないといけないし、家の中では熱中症に気をつけないといけない。両方とも命の危険を考えないといけなくなっている状態だ。我々の子供のころは運動会と言ったら秋に行われるのが定番だったが最近は残暑の関係で今の時期に行われているところが多くなったとか。
だから運動会と言う季語は秋の季語だがそろそろ違う意味で夏の季語になって行くような感じがする。
話は変わるが今月末で私の愛車が車検を迎える。もう毎年車検で走行距離さえ23万キロに達しようとしている。車は機械ものの代表のようなものだから当たり外れがある。それなのに初めて国産車を新車から買ったので大事に?ディーラーに言われるままに「ココを部品交換した方が良いです」とか「そろそろここも交換しましょうか」とか言われると、今までなら「それなら次回にね」とか「まだまだいけるところまで」とか言っていた私が「そうなの、それじゃ交換よろしく」となってしまった。
そのおかげか特にどうこう無い状態でここまで引っ張ってきてしまった。査定を出そうにももう値段が付く状態ではないがここまで乗れば愛着も湧く。中でも一番気を遣ったのがオイル交換だった。最近の車って少々オイル交換の時期が伸びても全く異常に感じなかった。前前車のドイツ車なんか1万キロ何て当たり前だったし、最高3万キロも無交換で走っていた。私は親父が交換してくれているものと信じ切っていたし、親父は私が交換しているものと思っていたらしく、一度スタンドでオイルチェックした時にドロドロ状態でスタンドの人に「ここまでドロドロなオイル初めて見ました」と驚かれた。燃費が悪いなんて考えもしなかったがオイル交換してみてこんなに燃費が伸びるものかと驚きさえした記憶があった。
やっぱりスタンドやディーラーの言うことは聞いた方が良いと言う典型だった。
それ以来、今の車になってからは「メンテパック」なるものをお願いしてからは定期的に交換するようになった。それでこれまでもっている。
それがついに車の入れ替えをすることになった。別にどの車でなければいけないなんてことは言わないが一応、セダンで頑丈な車と言うことで仕事上での扱っている車を暫く乗って居てくださいと会社の人に言われ暫くそのようにするつもりだ。
中古車ではあるが程度がよくてそこそこ新しい車を用意しますって言われてそのつもりでいる。それがこの週末にやって来る。楽しみだが今までの愛車が廃車になってしまう可能性が出てきた。一応、代車に使うらしいがどこまで持ってくれるか、何かしら親心のようなものが付いてしまった。

ページの先頭へ

2019年05月27日

何故、今日だったのかが一番悔やむところです・・・

先週末、当医院の患者さん御夫婦とたまに食事会をする中で、「シュレスコ料理に行きませんか」とお誘いがあったので久しぶりに行ってみた。以前、私の後輩がこのシュレスコ料理の店をやっていてもう20年近く前の話だが診療所の帰りによく利用させてもらっていた。この御夫婦グルメなお方たちであらゆるジャンルの食べ物に造詣があって私など足元にも及ばない知識をお持ちの方だ。私なら台湾料理を食べたいならネットで「台湾料理」と調べるがこのお方は即台湾に飛んで本場の料理を堪能される。舌の肥えた方たちだ。このシュレスコ料理は」ご存じの方も多く居らっしゃると思うが次から次へと串刺しにされたお肉がやって来る。トングでお肉をつまみ剣のような大きなナイフでお肉を切り分ける。野菜物も食べ放題だしお肉好きにはたまらない料理だろう。テーブルのチップをひっくり返さなければ延々と出て来る。いわばわんこそば状態。昼からこんなに食べたら夜は抜きだと思っていたら今日の夕食は近所の連れたちとの夕食会だった。それも又バイキング料理。昼飯と晩飯の間は4時間くらいしか無い、4時間もあると自分に言い聞かせて食後のデザートはいつもならフルーツとアイスクリームと飲み放題のジュースだが、グッと堪えてコーヒーだけにしていた。
すかさずご主人の方が「先生、何か取ってきましょうか?」のお誘い。
「折角のお肉の味が無くなるのは嫌なのでコーヒーだけ」とコーヒーのみのデザート。そして4時間後、近所の連れたちとのバイキング、お皿に山盛りところを普通の人のような普通盛りで皆を驚かせて、「どっか体調でも悪いんか?」の言葉もそこそこに世間並みの盛り合わせで食事を取ってきた。話も内容もそこそこにお代わり一回で即デザート移行すると、周りからは「やっぱり、お前どっか悪いんとちゃうか?」の心配の声が。「ダイエットや」の声も空しく聞こえる。
食べ放題と言えば聞こえが悪いが、ブッフェと言えば如何にも聞こえが良い。
そんな奴らとワイワイガヤガヤ、先ほどの品の良い御夫婦との食事会とは全くの真逆で飲むわ、食うわ、テーブルにはどんどんお皿が積まれている。一人平均5皿は積んだころに私の前には2皿しか積まれていない。これで割り勘かと思っていたら前回の残金があって本日の食事会はそこから出せますとの御声がかかった。
お金の問題ではない、体の問題だ。いつもならこの中でも一二を争う私が子供並の量しか食べないことに皆が心配しだした。「オマエがこの量とは」とか「やっぱりどこか悪いんか」とか心配されながら解散した。でも皆さんご心配無用です。
今日のこのブログを見れば私が何故、食べなかったか、いや食べれなかったかがお分かりになるはずです。
それにつけても今思うことは、何故同じ日だったのか、それが一番の後悔です。

ページの先頭へ

2019年05月24日

朝から嫌なものを見てしまった・・・

本日は真夏日の予報が出ている。今からこの暑さ、5月だと言うことを忘れてしまう。
毎日の車通勤では満員電車も駅からの歩きも関係なく、パーキングから当診療所のビルまでの約50メートルでさえ日陰を探しながら歩くことになりそうだ。
今朝、偶々いつもはスムーズに走り抜けれる大通りが渋滞して信号2つ向こうまで車が動かない。片道4車線の大きな道路に中央車線から左へ左へと車が流れて行った。
工事か?事故か?そう思ってノロノロしながら前の方まで行ったとき4車線のうちの2車線が事故で塞がれていた。できたてほやほやの事故のようだ。軽自動車とトラックの事故、軽の運転席のエアバックは開いていて前方のボンネットはめくれ上がり蒸気が出る様子が横を通った時に確認できた。幸いにも運転手さんは怪我らしいものは無く携帯電話でおそらく警察に連絡しているのだろう。まだパトカーも救急車も来て居ない。あの状況で無事なのは奇跡的なことだ。軽のフロントは見る影もなくトラックの後部に衝突していたようだった。そのせいで到着時間が約5分ほど遅くなったが、最近の車の暴走事故を思い出して、コレって事故を見せられているんだと思った。
昔連れと車で郊外に出かけた時右折ラインで止まって待っていると後方からノーブレーキで突っ込まれたことがあった。幸い身体は無事だったが連れの車は大破してしまった。少々のむち打ちにはなったが。その事故現場を今もたまに通るが、そのたびに思い出してしまう。その事故を見聞した警察の人が「これで無事なのは奇跡や」と言っていた。そうです、先頭車両が我々の車でその後に3台突っ込んで4重事故だったからだ。2台目と3台目が特に酷く片側2車線を4台の車が完全に塞いでしまった。しかしあんな時って近所の人が出てきてけが人を救助してくれたのははっきりと覚えている。先頭車両の我々二人は追突されたはずみで反対車線に飛び出したから難を逃れた。しかしもしも反対車線に車が来ていたら今この世に居たかどうかだろう。2台目と3台目は挟まれて出れなくなっていたし4台目は何でも三重県ナンバーの車で大阪まで初めてドライブに来たと言っていた。
こんな目にあったら車を運転するのが怖くなるだろう。先頭車両のオッサン二人は本当に運がよく見た目は何処にも怪我がなく一応後日の事故の見分には行ったがその時に聞いた話では2台目、3台目の人は入院しているらしかった。
事故は何処にでも転がっている、軽い事故も重い事故も事故には変わりがない。
命があるか命が無くなるかの境目って一体何なんだろうと考えさせられてしまう事故だった。

ページの先頭へ

2019年05月23日

呆れ顔で見られてしまった・・・

先日の患者さんとの会話でこんな話があった。
それはその方はお商売をされていて最近の傾向が昔のような高級志向ではなくなったと言う話だった。車然り、食べ物然り、持ち物さえブランド品なんか全く興味を示さなくなったとか。そう言えば私の若かりし頃は一に車、二にブランド品、そしてホテルでの食事か。その方曰く、今の若者は欲が無いのかどうか分らないと言っていた。
確かに車を所持しようと思えば保険や維持費にお金がかかる。まして外車なるものに嵌ればいくらかかるか分らない。ブランド品すら興味が無くなるのはそれだけの価値が無くなったのかと言っていた。確かにどこか一昔前の金融屋みたいなセカンドバックを持っているのは我々世代だし服装だってどこか一昔前の何とかブランドでいかにもって感じがよく表している。
お洒落ってブランドを着て居るからって思うのが我々世代。今どきの若い人は自分に似合う服装がお洒落だと思っているようだ。そう思ったら今の人の方が理に適っていると思う。同じような服装だと値段も分るし、同じバックならどこで買ったかも分る。食べるものさえホテルでの食事が最高の贅沢だと思っているふしがある。
一時グルメ番組が盛んだったがその時のシェフの店に行ったがそのシェフが作るのではなくただそのシェフのお店と言うだけで結構な値段を取っていた。
今ならミシュランの星がいくつかでランクが決まるようなものだ。
ウチの患者さんでミシュランの星1つを獲得しているお店がある。しかし昔に行ったくらいで最近は行っていない。噂では中々予約が取れない店になっているらしい。喜ばしいことだが常連さんには迷惑な話だ。
昨日の話でも書いたがこの歳になれば量より質の問題だ。人が美味しいと言っても私の舌が美味しいと言うかは分らない。でも最近の私の舌はあっさりしたものを好むようになってきている。よく最後の晩餐とか言う言葉がある。その患者さんと私が最後の晩餐の話になってお互いが最後に食べたいものって何ですか?と聞いたら全く同じ答えが返って来た。やっぱり日本人ですなぁって笑ってしまった。
それは『お茶づけ』でした。横で聞いていた女の子は呆れ顔で見ていた。

ページの先頭へ

2019年05月22日

久しぶりのカード払い・・・

本日も晴天なり、そんな言葉が飛び出すような朝からの日差し。
そうなるとエアコンのフル稼働は避けられない状況か。
先日、久しぶりに会った後輩たちとの食事会は天婦羅だった。
小奇麗なカウンターだけのお店、店主の拘りがあちらこちらに見て取れる。
器に拘ったと言うだけあって職人さんの一つ一つ丁寧な造り、店の中には余計なものは一切置かない主義らしく壁にも額一つない空間。数寄屋造りの天井の様子にも「和」の空間が感じて取れる。
最近、私も歳のせいか量より質に拘り始めた。そう言ったら後輩から即、「量も質もでしょ」と切り返された。確かコイツと最後に食べたのは串カツの食い放題だったはずだ。自分で揚げるタイプの串の食べ放題。目の前の串差しの竹の器はほぼ満杯。
暇に任せて数えて見たらなんと119本刺さっていた。まさか100本越えになるとは思いもしなかったが、後輩ですら「もう食えません」状態で97本だった。あと3本で100本だと無理やり食わせたので記憶のどこかに残っていた。今思えば本当に若気の至り?状態でその後、別腹でデザートを食いに行った記憶がある。
今回の店は上品なお店、食い放題とは無縁のお店。塗りのお盆に箸置きさえも嗜好が凝らしてある。杉箸の微かな香りさえ上品に感じてしまう。先付から順番に出て来る料理に舌鼓を打ちながら「お熱いので気をつけてお召し上がりください」の店主の言葉も後輩は「この人の舌は熱さを感じないから心配ないです」のひと言ですっかり打ち解けて食事会が始まった。大阪は東京ほど天婦羅には馴染みが無いと言うか有名店が少ないようだ。店主さんも有名店で修業をした方らしくその名を聞けばなるほどと言う感じだった。
私もこんなに緊張しながら食べる天婦羅も久しぶりで昔、親父たちと御座敷天婦羅なるものを食べたことがあった。半円のカウンターに中央に店主が居てこちらの進み具合を見ながら天婦羅をあげてくれたのを思い出す。私など酒を飲まない人にはその待ち時間が長いこと長いこと。お酒飲みは盃にお酒を一杯、そして天婦羅をつまみに又一杯。大きな天ぷら鍋に黄金に輝く油に浮かんだ天かすを丁寧に網で掬っては天かす入れに入れると言う動作を繰り返し、その仕事の丁寧さになるほどとうなずくしかなかった記憶があった。上等のお鮨屋でも同じことがあったが話し込んでしまって皿の上の天ぷらが冷めてしまったら、それをまた新しいのと取り換えてくれていたのを思い出した。「冷めてしまったら味が変わりますんで」と御客に気づかれぬようにそっと変えていたのを端の席の私は見てしまった。
そんなお店を初めて連れて来て貰った時にこう思った。
あくまでお客様が主役であって天ぷらが主役ではない。美味しい状態の天ぷらはそのタイミングで出されるのだと。でもその時まだ若かりし私が思ったことだが、何と酒飲みとは周りの事を考えないんだなと言うことだった。下戸の私にはその辺が未だに分らない。久しぶりに後輩達と会ったことも、本格的な天婦羅を食したことも日頃の退屈な毎日を送っていた私には刺激になった有意義な食事会になった。
最後に我々のルールでは年長者が支払いをすると言うルールがあって、その会の年長者は私だったからお会計の伝票が私の前に飲んだり食ったり、一応コースだったが酒飲みの後輩たちの事いくらになったか伝票を見るのが怖かったが見ないと始まらない。確か財布には5万円ほど入っていたのでちょっとは安心して覗き込んで驚いた。現金ではなくカード払いになってしまった。現金主義の私がカード払い、前にカードで支払った時はいつか、いつ以来か考えたら暗証番号すら思い出せずサインで記帳することになった。そりゃこのお店後輩たちだけだと行きにくいはずだ。
今度は私の先輩と「先輩、エエお店有りますよ」と誘ってみようと思った。イヒヒ。

ページの先頭へ

2019年05月21日

責任を押し付けるのはやめにして・・・

昨日の雨は凄かった。夜中に降ると余計に感じるのだろう。
その前に後輩と後輩の連れと晩飯を食べに行った。久しぶりの再会で話が盛り上がった。何年経っても大学時代のクラブの仲間は良いものだ。ちょうど今年その後輩の子供さんが歯科医師国家試験を合格したとの報告もあった。
その子供が中学の入試で私の母校を受験するかどうか迷っていて如何なものかとのお伺いがあって話をした経緯がある。あれから中学、高校、大学と月日は流れ12年経ったと言うことだ。早いものだ。いずれはその後輩の診療所を継ぐことになるが暫くは何処かの歯科医院に修行に出るとか。聞いてまた驚いた、そこも私の知り合いの診療所だった。歯科の業界は何と狭い世界なのかとも驚いてしまった。
前途のある若者がいろんな知識を得て立派になって行く姿を見るのは楽しみの一つだ。私も後輩も親が歯科医でそんな環境で育ったから他に行く道は無かった。
自分で新規開業をすると言う選択も無かった。いずれは親の後を継ぐと言うことが当たり前の時代だったからだ。しかし今は違う、自分で開業場所も決めたら良いと思う。何も親の後を引き継ぐと言うことに限らなくても。私は親の後を継いできたがその時一代で歯科医になった連れたちに言われた。「お前らはエエよな、親の後を継げばいいから」と。しかし何度も言われるうちに果たしてそうだろうか?と言う疑問も生まれた。自分のやりたい道を自ら狭めているのではないかと。
私にも弟がいたが事故で亡くした。その時から私が親の跡継ぎに名乗りを上げないといけなくなった。もし弟がいれば私はそのまま大学病院に残っていたと言う選択肢もあった。しかし私の教室の教授が親父の先輩だったからその教室に残った時にその教授に言われたことがある。
「君はいつまで大学病院に残るつもりか?」と。何だか親父と教授の間で密約でもあるかのように。
でもその間大学病院では好き放題させて貰った。よき先輩にあったり?よき後輩にあったり?して充実した病院生活をさせて貰った。そして数年後に教授に部屋に呼ばれてこう言われた。「そろそろ親父の所に帰ってやるか?」と。
オッとそれは私に対する肩たたきか?親父の教授に対しての帰って来いと言う要望か?その後、暫くして私は大学病院を辞めて親父の診療所に帰って行った。
時間の感覚は全く違って最初は戸惑った。でも遣り甲斐はあった。
大学病院は先輩の指導の下、言われるがままに治療を行えば良かったが、自分の診療所ではすべてにわたって自分の判断でやらねばならない。当たり前だが30歳そこそこの新米歯科医師にそこまでの技量は無かった。当たり前のようで同級生といろんな話をしているうちにそいつらは遥か私の前を行っているように思えた。
しかしそんな事も数年すれば同じ土俵に上がっていることになっていた。
いろんな経験はした方が良い、そんな思いがあって後輩の子供さんにはこう言って上げたい。
「親父が元気なうちは外の空気を思う存分に吸っておきなさい」って。
後輩にそのことを伝えたら、こう切り返された。
「それなら直接子供に言って下さい。親の言うことは中々聞かないが先輩の言うことなら聞くと思います」だと。おいおい責任を私に押し付けるなよ。

ページの先頭へ

2019年05月20日

久しぶりに美味しいコーヒーを堪能した日曜日だった

昨日は絶好の行楽日和、どこに行っても人、人、人だった。
行楽に行ったわけでは無かったがたまたま行く所行く所人に波に翻弄されてしまった。
大体土日は身体を休める日にしているが昔は休みと言えば必ず何処かへ出かけるのが恒例行事だった。でも最近は人の多さが苦手になってしまった。デパートなどもう何か月も行っていないし、インバウンドの観光客があちらこちらに居て食事すらまともに取れない状況が見られる。たまたま昨日は六甲アイランドの行きつけの鞄屋さんに行く機会があってお邪魔してしまった。私と同い年のご主人、見た目もほぼ同年代だが唯一違うのが毛髪量だろうか。しかしあそこまで磨き上げれば大したものだ。
私はまだ白髪ではあるが心配は無い。あそこまで行く途中ならきっとスカッと剃り上げるだろう。中途半端はどうにも好かんからだ。でもこのお方多趣味でそこそこその方面では有名なお方。時計、万年筆、ハット、車、・・・言い出せばキリが無い。
それらすべてが中途半端ではなくきっちりと極められているからすごい。
付け焼刃な嵌り方ではなくどれもマイスター的な知識量には脱帽する。
同い年とは決して思えないが大いに刺激を貰っているお方だ。そこのお店に行く途中にたまたま「薔薇博」なるものだ開催されていた。バラの香りに微かにコーヒーの香りが。横のあるコーヒーショップからの匂いが食欲をくすぐる。そんな話をマスターにしたら「今日は特別なコーヒーがあるんです」と言われた。
そうだこのお方コーヒーにも卓越した知識をお持ちだった。態々、豆を買うために車を飛ばして大阪まで買いに来られると聞いていたがまさにそのお店のとっておきの豆をゲットしたとか。昨日に煎っておいて一日寝かせて丁度良いくらいの状態で挽きたてのコーヒーを頂いた。苦みが先に来てその後から若干の甘み、そして鼻から抜けるコーヒーの香り・・・そこまで行くと私にはついて行けない薀蓄。コーヒーの苦みか薀蓄の苦味?か分らないが。
そのコーヒーの薀蓄をアテにデミに入った一杯のコーヒーの美味しいこと。
暫しコーヒー談義に花を咲かせて帰りの車の中にどこか微かにコーヒーの香りが。普段は帰りの車は眠気が優るんだが昨日は暫しコーヒーの香りのする車を運転して家路についた。充実した休みが取れた日曜日だった。

ページの先頭へ

2019年05月17日

何処かで連鎖を断ち切れないのか・・・

暑い、朝あからもうすでにエアコンがガンガン効いている部屋にいる。
5月半ばにこの調子だと先が思いやられる。
最近、悲惨な交通事故のニュースが毎日のように報道されているが、他人ごとではない。昨日の帰りにいつもの時間にいつもの道を通っていたら大きな交差点で私は前から2台目を走っていた。対向車が右折レーンに入って来ていたから当然右折の為にとまると思っていた。がしかしであるそのままブレーキも掛けずに右折して来たではないか。前の車が咄嗟に急ブレーキをかけたから衝突は避けられたけれどそのままその右折車は行ってしまった。運転手は年寄りのお婆さんだったように思う。横におじいさんが乗っていたからはっきりと覚えているが私が2台目だったから助かったが、先頭を走っていたら避けれたかどうかだ。自分の事しか考えないのか、考えられないのか分らないがあの運転は絶対にいつかどこかで事故ると思った。自分が怪我をするだけなら自業自得で済まされるが、相手を巻き込んでの事故はたまったものではない。
都会では交通機関が発達していてバスもタクシーも電車もあって便利だと言えば便利だ。しかし田舎では足として自家用車が用をなす。運転しないと生活できない。
同級生はもうすべて還暦を超えている。その親は当然80歳を超えている。中には連れの親父さんは93歳まで車に乗っていたが周りの忠告?があって運転免許所の返還をしたと言っていた。それで家族はホッとしていたと言っているが、その分買い物や病院へは家族の誰かが運転手を務めないといけないとか。でも事故るよりはましだ。自分が事故るのは仕方がないとして、撒きこんでの事故は自分や家族まで不幸にしてしまう。安全運転は勿論なのだが高齢者に優しい社会になってもらわねば。
咄嗟の判断も段々と鈍くなってきているはず、いったい幾つになったら私も免許証の返還をするか考えないといけなくなってしまった。
今日も又いろんなニュースが飛び込んでくるだろうが、車の事故は連鎖すると言うでは無いか。もうどこかで切れて欲しいと切に願う。

ページの先頭へ

2019年05月16日

任せとけ・・・

私にはいとこが4名いる。いや4名しか居ないと言うか親父が一人っ子だったから母親の兄弟の子供たちだけがいとこになっている。昨年兄嫁さんが亡くなって母親の姉妹の叔母さんだけになってしまった。そこには兄弟、姉妹の4人の子供がいるが普段は音信は無い。私が最年長だからかそのいとこから今度「いとこ会」なるものをしないかとお誘いがあった。私にも弟がいたが事故で無くしてそれ以来一人っ子だったからか昔はよく遊んだりもしたがなかなか会う機会に恵まれなかった。そのいとこたちとも年賀状くらいのやり取りしか無かったがそろそろ親も高齢になって来て我々さえも高齢者扱いされるくらいになって来たから、いつお迎えが来るかもしれないと思ったか「いとこ会」なるものを開催しないかと言ったお誘いだった。
一番下がもう57歳だというからプレ老人会みたいだと笑わせたが最初で最後になるかも知れない集まりに皆が集合することになった。多分、話題は昔話か近況報告か。
お互い家族もあり子供たちも独立させて悠悠自適?までは行かなくてもそれなりの暮らしはしている。最初は今更いとこ会でもあるまいしとは思ったが、普段と違った何かが得られるかもしれないと思って、場所と時間は私に一任されることになった。
そうなると今度は何時やるのか、何処でやるのかを迷ってしまう。
暇な時にネットで探すがなかなか良い案は見つからない。私に任されているから私の一存で決めればよいのに。美味しいものが良いのか、滅多に食べれないようなものが良いのか、場所は駅近が良いのか車で来るなら・・・思いは尽きない。
私の従兄の中でも一人は小さい頃から発想が違っていち早く商才を発揮して一代で会社を興したのもいれば女ながら剣道に打ち込んで県大会優勝の猛者もいる。
一筋縄ではいかない連中だがそれこそが気の知れた仲だから私が年長者だと言うことで大将で通してきた。だからこちらの意見は通してくれると思う。
しかしそう思って昔の写真を眺めていたら当時の事が走馬灯のように思い出されてきた。何も無かった時代に一緒に遊んだ仲間だったから夏休みにしか会えずに帰りがけに「また来年な」と言ったのを思い出した。あれから50年、そろそろ親を送り出さないといけない歳になってもう田舎は無くなってしまったのかと思うと寂しくなってしまった。最後に会ったのはウチの親父の葬式の時以来だ。叔母さんの葬式には行けなかったけどお花を送ったお礼で喋った以来になる。
今日一日で大体の事を決めようと思っているが思い出がそれを邪魔してなかなか前へ進みそうもない。最後になるが皆が私の事を当時から年長者だったから「お兄ちゃん」と呼んでくれた。そして最後に一言こう言われた。
「お兄ちゃん美味しい所へ連れて行ってな、お兄ちゃん持ちで」だと。
でも全然悔しくも腹立たしくも無い、それより久しぶりに会えることの方が優っているからなのかもしれない。 任せとけ・・・

ページの先頭へ

2019年05月15日

人は財産

昨日一昨年から始めた会社の定例会に行って来た。
私の本業は歯科医であり会社経営なんか全くの素人だから気心の知れた?信頼できる?後輩に社長をお願いして私はそこの会社のオーナー代行という立場で参加した。
会社もいろいろあって大企業から社員数名の家内工業的な会社まで、それぞれがその地位に見合った仕事をしている。今回の定例会は会社発足からの現在に至るまでの経緯とこれからの経営方針の確認。そう言えば如何に仰々しく聞こえるが毎月行っている会社に私が初参加すると言うもの。社員は緊張していたが、中には初めて会う社員も居て最初は緊張しっぱなしだった。それはお互い様だったが直ぐに打ち解けて話の輪に参加した。しかし今どきの若い子たちは我々の時代とは違ってほめて育てるだの、自主性を重んじるだの言われるがやはり一筋縄ではいかないのが沢山いる。
何でも怒られたことが無い連中で上下の遠慮が無いと言うか友達感覚のままで仲間意識が強い。後輩の社長がその最たるもので怒るより先に手が出た我々の世代でありながら良く我慢していると思う。社長がアクセルを踏む時は私がブレーキを踏む係でまたその逆もある。サラリーマンは給料が一定していて毎月の上下が無い。我々は仕事をしないとお金が入って来ないから良い時は良いが悪い時はマジで心配になってしまう。IT企業ではないから出来高払いとかは無いがこの不況時に有難いことに仕事が沢山あって増員するかどうかが今回の議題に一つだった。正規社員非正規社員が云々言われるこのご時世、来てくれるだけでも有難いのに今はアルバイトで過ごしている連中も増員する時は直ぐにでも力になってくれる頼もしい連中たちだ。そんな連中たちにも昨年末の忘年会や新年会には参加してもらった。
向こうは社員でも無いと遠慮していたが、一度は一緒に働いた仲間だと社長から声をかけて貰って直ぐに参加を決めてくれた。勿論費用はこちらもちだし、その上お土産付だから大いに盛り上がった。
今回の会議に参加してつくづく思ったことだが若い若くないは関係ないと言うこと。よく言うではないか出来る出来ないではない、やるかやらないかだと。
その社長は私の後輩だが一言で言うとこいつは「人たらし」だと言うことだ。
人心掌握が非常に上手だ。クレームがあってもこいつが出て行けば最後は丸く収めてしまう。そしてコイツの信条は「人は財産」だそうだ。そう思ってもなかなかそれが出来ない。そこだけは見習いたいものだと思っている。その他は見習いたくはないが・・・

ページの先頭へ

2019年05月14日

親子って似るものなんだとつくづく思ってしまった

昨年より診療所の私の机の横の棚に神棚を作った。作ったと言うより作っていたと言った方が正解か。先代が今の診療所を作った時に熱心に神棚に榊や塩や酒やお米をお祭りしていた。私の代になって少々疎かにしていたが、昨年のいつからか忘れたがコレを復活させた。同様に家の中にもリフォームと称して部屋の改装をした時に今までは無かった神棚を作って貰った。リフォーム自体は家人も高齢になってバリアフリーにしないと危ないと言うことと、昨年の大阪を襲った台風で屋根や外壁の一部が損傷して大工さんに入って貰った時に一緒にいろいろと手直しした。
玄関の石段も高齢者には危険だと言うことで手すりを付けたし、車いすだと1センチの段差も危険だと言うことで廊下から各部屋に入るのにその段差を少なくしてもらった。何よりリビングにはこの家に似つかわしくないほどの大きさの神棚を作って貰った。昔私が子供の頃には小さな神棚があった。家人が荒神さんをお祭りしていたように思ったが、いつの間にかそれさえもしなくなった。座敷の仏壇はそれこそ毎日のお参りは欠かさないが、と言ってもお茶と白湯を備える位だった。
私もその家人と同じくらいの歳になったら何故か急に仏壇にも神棚にも興味ではないがしないと落ち着かなくなった。しかし今までは無知と言うか知らないで行っていたことが本来はちゃんと仕方があって今思えばお恥ずかしいくらいだ。
御札をお祭りするのに中央に神宮大麻、向かって右側に氏神神社、左側に崇敬神社と決まっている。そして左から水、酒、米、塩の順に並べていく。
それをし出してどうだろう、部屋の気が変わった。何だかどんよりとしていた部屋の空気がすっきりと澄んだ様に思えた。同じく診療所にもあった神棚にも家と同じとはいかないが御札を祭り、水、酒、米、塩を並べ両サイドに榊をお祭りした。
神様に何々をお願いしてもそれはこちらがちゃんとしないと意味が無いと言われ、「今日も一日無事に過ごせますように」とお願いをして仕事を始めるようになった。心願成就とまではいかないが今の時代やっとの思いで仕事にあり付けるかどうか分らないご時世、ちゃんとやって来れるのも神様仏様のお導きだと自分に言い聞かせている。確か親父も同じ事を言っていたような記憶がある。
私もそんな歳になったのかと思ってしまった。そうか、そう言えば来月は親父が亡くなった歳の同じ月になるからか。もうそんな歳になってしまったことに驚きを隠しえなかった。

ページの先頭へ

2019年05月13日

梅雨もまだだと言うのに暑さだけは夏になった・・・

平成から令和へ半月が経とうとしている。まだ違和感が結構ある。
週末の診療時に大正14年生まれの方が来た。昭和くらいだと計算しやすいが大正は何年までだったかとか、昭和は何年まで、平成は・・・と考えると西暦表示は分りやすくて良い。我々昭和生まれは子供の頃から明治、大正、昭和と三世代だとよく分かったが、その方の場合明治、大正、昭和、平成、令和とややこしくなる。
ご本人はそんなこと分っていらっしゃらないが付き添いの家族の方も当然我々世代の大先輩、最初はその方の診療と思っていたが新患で受け付けをしに来られた。
患者さんは今トイレだそうで付き添っているのがそのお孫さん。車で来られてビルの下で待っている方がそのお孫さんの子供さん。段々とややっこしくなってきたが要は大正、昭和、平成の三世代で来られたことになる。
勿論、新患受付の用紙は今だM,T,S,Hのままだ。直ぐにRの印刷は要らないがもしもそんな患者さんが後数年後に来られたら暫くは判子で賄うか?
年に一人か二人しか子供の患者さんは来ない診療所、もしも令和生まれの患者さんが来るころには私は診療しているのか?つまらないことに気を遣ってしまった土曜日の診療だった。
今日は天気も良いし気温も上がる予報だ。今現在もガンガンエアコンはついている。
週末に水をあげた観葉植物も水が渇いた状態で週明けを迎えた。
これからはたっぷりと帰りに水をあげて帰ることにしよう。毎朝、2リッターのペットボトルが2本空になるくらいの量が朝晩になると4リッターの量になる。
それくらいの日が9月か10月初めまで続くことになる。

ページの先頭へ

2019年05月10日

楽しみだ・・・

今朝もまた快晴な一日になりそうだ。気温がどんどん上昇していく予報が出ている。
となると、エアコンのスイッチが朝から入れ帰るまでフル稼働することになる。
本日は久々に連れたちとの令和最初の食事会がある。前回も前々回も私用で参加できなかったから。皆から「どこか悪いんか?」とか「何か会えない事情でもあるのか?」とか野次馬根性丸出しで言ってくる。こいつらとは月一で会っていたが不参加な場合は不参加費を徴収される。それで次回分の皆の負担を少しでも軽減する狙いがあった。それも二度続ければ倍付で払わねばならない。だから絶対に休めないのだ。
それなのにこの私が二度続けて休んだから二度目なんかは私の事などほったらかしで飲めや歌えの大宴会になったとか。残った金額は繰越で幹事が持ち回りで積み立てている。前回ですでに10万円を超えたとか。だから綺麗に清算する意味で飲めや歌えの大宴会になったとか。それは決まったルールだから仕方がないにせよ、持ち回り幹事だから不正のしようが無い。店は幹事が決めれる。その時の食べたいものとかを幹事の独断で決めれるのが幹事の特権。寿司が食べたけりゃ寿司に、肉が食べたけりゃ肉にと。かれこれ何年も続いているがほぼ食べたいものも食べつくした感があって、たった一つ前回の料理の種類を被らないと言うのがある。二度続けて寿司とか、肉とか。休んで不参加費を取られるのが嫌な奴もいるし。食べたくないもので不参加にする奴もいる。だから当日まで発表はしない約束になっている。しかし大体の傾向がある。皆が喜ぶ?かどうかは分らないがいろんな種類が揃っている居酒屋はその限りではない。今までで一番受けたのが何を隠そう町にある小さな駄菓子屋のたこ焼きだった。3人も座れば満杯の所に5名の参加者があって、店の前にパイプいすを持ち出してたこ焼きを食べつくすと言うものだった。
いつもは子供が小銭を手に握りしめて食べに来るお店だ。その店も我々が子供の頃からあって皆がお世話になったお店。だからそこの名物婆さんが亡くなる前にと皆がお礼も込めて店の閉店時間後に貸し切りでたこ焼きパーティーをした。ここでも飲めや歌え?で大の大人がワイワイガヤガヤやったものだから、そこの婆さんに
「あんたら、昔と全然変わらんね」と言われる始末。還暦を過ぎた連中が食べ放題、飲み放題で使ったお金が確か2万円弱。たこ焼きも美味しかったが店の駄菓子や懐かしいものも沢山食べた、いや食べつくして最後にはこう言われた。
「あんたら、明日来る子供たちの分は置いておいてや」と。そりゃそうだ。
子供たちが楽しみにしているのを壊す訳にはいかなかった。だから次の日のそこの店の定休日にそいつらと一緒に卸問屋に出かけてワンサカ買ってそこの店に送っておいた。オバぁの驚く顔が目に浮かぶ。
そんな悪戯づきの連中の集まりが今晩行われる。 楽しみだ。

ページの先頭へ

2019年05月09日

事故は向こうからやって来る・・・

昨日のニュースで皆さんもご存じのあの悲惨な交通事故のニュース、保育園の園児が巻き込まれる大事故が琵琶湖畔の道路で起こってしまった。どの局のニュースでも同じ内容だったが夕方の園の会見でも毎回同じような質問がされていることに違和感を感じた。園としては当たり前の様に前後左右を教員が囲んで交差点の後ろに並ばせて安全確認をして横断歩道を渡っているはず。なのに何処かの記者が「安全確認をしていましたか?」とかあまりにも無神経な質問をしているのに少々違和感を覚えた。
当医院の近くにも保育園があってビルの前をそんな子供たちが信号待ちをしている光景をよく見かけるからだ。当診療所は2階にあるから信号待ちをしている子供たちを見ることがよくある。そして何分かして向かい側にある公園へ散歩に行くのだろうけれど、帰りには道路の反対側に立って並んで横断歩道を渡る時に手を上げて順番に渡って行く姿に何人かの子供たちがこちらの姿を見つけると手を振ってくれる。
そんな日常を見ていて今回の事故は子供たちには何の罪もないはずだ。
運転手も誰も事故を起こそうと運転しているはずは無いがそれでもこういった事故は起こってしまう。飲酒運転や信号無視は言語道断だがチョットした心の隙間を付いた事故だとしてもまだ2歳と言うことを考えてみても身体の傷も心の傷も並大抵なことではなかろう。引率している先生たちのショックも相当あろうと思う。
最近、こう言った事故はよくニュースになる。でもなかなか無くならない。
大の大人が車にぶつかるだけでも勝ち目はない、それがまだ2歳児にとってたとえ軽自動車と言えども大人の目線で言えばトラック感覚の大きさだったろう。
いろんな意見があるとは思うが私にとっては非常にショックな出来事だった。
これから検証されると思うが亡くなった子供たちは帰って来ない。怪我をした子供たちは一生残る傷を負う。それに心に残る傷はどうして癒していくのか。
それに引率の先生たちはなおの事それぞれに不幸がのしかかってくる問題だ。
たった一瞬の気の緩みが起こした事故だが、その傷跡は思っているよりも大きいと思う。皆さんくれぐれも事故には気をつけようではありませんか。そう願わざるを得ない気持ちになってしまいました。

ページの先頭へ

2019年05月08日

これからが地獄の1丁目なのだ

一点の雲も無い快晴の朝だ。少々朝の冷え込みはあるがこのくらいはどうってことが無い。それより天気予報では昼から気温がどんどん上昇して夏日になる予想が出ていた。いよいよエアコンがフル活動する気配だ。そうなると身体に変調をきたししょっぱなから風邪をひくのが例年のならい。汗をかいたからだが冷房で気化熱が奪われてその時は気持ちが良いがその後冷え込んで風邪様の症状になる。困ったものだ。
患者さんは来院されると決まって「涼しくて気持ちが良いですね」と言われる。
しかし中に居る我々はそんな中にずっといるからたまったものではない。酸素の少ない水槽の中の熱帯魚よろしく口をパクパクはしないが何時間に一度は廊下に出るかトイレに立った時に窓から顔を出して外の空気を吸うことになる。そのようにして温度調節をしている。タクシーの運転手さんの様に狭いエアコンの効いた中に居ると冷えで腰痛が起こるのと同様だ。受付横にあるエアコンのスイッチを気が付けば温度を上げるか冷房から送風に切り替えるが、受付の子は暑がりなのか直ぐに送風から冷房に切り替える。その攻防が毎日のように続く。前に一度院長席に座らせて見たことがある。「ここに座ってみたら直にエアコンの送風口が当たるやろ」と言っては見たが、受付の席に座れば昼からは特に西日が差しこんできて温度が上昇している。だから受付に座れば昼からは無茶苦茶暑い。
私の席は寒い、受付の席は暑い、困ったもんだが、横に付いている子はそのどちらでも無く平気な顔をして仕事をしている。
中々どちらもOKな場所は無い。そんな事がこれから半年は続くことになる。
今受付の子が来て早速エアコンを入れ始めた。目の前のダクトから冷風が来る。
今はまだこのくらいは我慢が出来るが昼からこの調子ならきっと我慢が出来ずにスイッチを触りに行くことだろう。う~~んこれこそ我慢比べだ。

ページの先頭へ

2019年05月07日

今年の正月に続き二度目の仕事始めのような感じ・・・

長い長いGWが終わった。待ちに待った仕事が始まる。
このGW中3度診療所にやって来た。ビルが閉まっていて通用口から入ったが偶々鍵を開けて診療所に入ろうとした時お隣さんと鉢合わせ。如何やらGWは関係なく仕事をされていたらしい。羨ましい?限りだ。その3度の内1度は患者さんからの緊急要請で後の2度は室内の観葉植物の水やり。待合室と診療室の中にはクワズイモとサンセベリアが鉢の中でお水を欲しがっている。そして誕生日に貰った藤の盆栽。コレは花が咲き終えて枝が伸び放題、その上非常に水を消費する。陶器の皿を受けているがその中に溢れるほど水をやっても1日で水が無くなってしまう。本当は一日おきくらいに水やりに来たかったが今回の連休は何だか用事が立て込んでいてなかなか時間が取れなかったから3日に一度の水やりになってしまった。
本当はこんなに休みが続いたら机の周りを片づけようとか、要らない本の整理をしようとか連休前はいろいろ考えたが結局やらず仕舞いだった。
連れの中にこの連休に旅行に行った奴らが何人もいた。海外組も国内組もこんなに長い休みは初めてだと言っていた。しかし連休中の旅行でもあり中々直ぐには取れないと言っていた。平成から令和へと国内に居るとその移り変わりがすごく分かる。でも海外に行っていて連休最後に会った奴らにはそんな感動は無かったみたいだ。新しい令和の時代平和と戦争のない世の中になることを皆が願い、期待を込めた一般参賀をテレビで見て何だか正月のような、いやそれ以上の新鮮な気分になったのは私だけだろうか。今までの元号が変わるのは天皇の崩御で御世が代っていたから生前退位はこんなにも喜ばしいことだとは思いもしなかった。
毎日、毎日ニュースで見ていて若い人達が多く参賀に来られていると聞きこの国もまだまだ捨てたものではないと感じてしまった。さぁこれから仕事に取り掛かるとしようか。

ページの先頭へ