2019年05月17日

何処かで連鎖を断ち切れないのか・・・

暑い、朝あからもうすでにエアコンがガンガン効いている部屋にいる。
5月半ばにこの調子だと先が思いやられる。
最近、悲惨な交通事故のニュースが毎日のように報道されているが、他人ごとではない。昨日の帰りにいつもの時間にいつもの道を通っていたら大きな交差点で私は前から2台目を走っていた。対向車が右折レーンに入って来ていたから当然右折の為にとまると思っていた。がしかしであるそのままブレーキも掛けずに右折して来たではないか。前の車が咄嗟に急ブレーキをかけたから衝突は避けられたけれどそのままその右折車は行ってしまった。運転手は年寄りのお婆さんだったように思う。横におじいさんが乗っていたからはっきりと覚えているが私が2台目だったから助かったが、先頭を走っていたら避けれたかどうかだ。自分の事しか考えないのか、考えられないのか分らないがあの運転は絶対にいつかどこかで事故ると思った。自分が怪我をするだけなら自業自得で済まされるが、相手を巻き込んでの事故はたまったものではない。
都会では交通機関が発達していてバスもタクシーも電車もあって便利だと言えば便利だ。しかし田舎では足として自家用車が用をなす。運転しないと生活できない。
同級生はもうすべて還暦を超えている。その親は当然80歳を超えている。中には連れの親父さんは93歳まで車に乗っていたが周りの忠告?があって運転免許所の返還をしたと言っていた。それで家族はホッとしていたと言っているが、その分買い物や病院へは家族の誰かが運転手を務めないといけないとか。でも事故るよりはましだ。自分が事故るのは仕方がないとして、撒きこんでの事故は自分や家族まで不幸にしてしまう。安全運転は勿論なのだが高齢者に優しい社会になってもらわねば。
咄嗟の判断も段々と鈍くなってきているはず、いったい幾つになったら私も免許証の返還をするか考えないといけなくなってしまった。
今日も又いろんなニュースが飛び込んでくるだろうが、車の事故は連鎖すると言うでは無いか。もうどこかで切れて欲しいと切に願う。

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2019年05月16日

任せとけ・・・

私にはいとこが4名いる。いや4名しか居ないと言うか親父が一人っ子だったから母親の兄弟の子供たちだけがいとこになっている。昨年兄嫁さんが亡くなって母親の姉妹の叔母さんだけになってしまった。そこには兄弟、姉妹の4人の子供がいるが普段は音信は無い。私が最年長だからかそのいとこから今度「いとこ会」なるものをしないかとお誘いがあった。私にも弟がいたが事故で無くしてそれ以来一人っ子だったからか昔はよく遊んだりもしたがなかなか会う機会に恵まれなかった。そのいとこたちとも年賀状くらいのやり取りしか無かったがそろそろ親も高齢になって来て我々さえも高齢者扱いされるくらいになって来たから、いつお迎えが来るかもしれないと思ったか「いとこ会」なるものを開催しないかと言ったお誘いだった。
一番下がもう57歳だというからプレ老人会みたいだと笑わせたが最初で最後になるかも知れない集まりに皆が集合することになった。多分、話題は昔話か近況報告か。
お互い家族もあり子供たちも独立させて悠悠自適?までは行かなくてもそれなりの暮らしはしている。最初は今更いとこ会でもあるまいしとは思ったが、普段と違った何かが得られるかもしれないと思って、場所と時間は私に一任されることになった。
そうなると今度は何時やるのか、何処でやるのかを迷ってしまう。
暇な時にネットで探すがなかなか良い案は見つからない。私に任されているから私の一存で決めればよいのに。美味しいものが良いのか、滅多に食べれないようなものが良いのか、場所は駅近が良いのか車で来るなら・・・思いは尽きない。
私の従兄の中でも一人は小さい頃から発想が違っていち早く商才を発揮して一代で会社を興したのもいれば女ながら剣道に打ち込んで県大会優勝の猛者もいる。
一筋縄ではいかない連中だがそれこそが気の知れた仲だから私が年長者だと言うことで大将で通してきた。だからこちらの意見は通してくれると思う。
しかしそう思って昔の写真を眺めていたら当時の事が走馬灯のように思い出されてきた。何も無かった時代に一緒に遊んだ仲間だったから夏休みにしか会えずに帰りがけに「また来年な」と言ったのを思い出した。あれから50年、そろそろ親を送り出さないといけない歳になってもう田舎は無くなってしまったのかと思うと寂しくなってしまった。最後に会ったのはウチの親父の葬式の時以来だ。叔母さんの葬式には行けなかったけどお花を送ったお礼で喋った以来になる。
今日一日で大体の事を決めようと思っているが思い出がそれを邪魔してなかなか前へ進みそうもない。最後になるが皆が私の事を当時から年長者だったから「お兄ちゃん」と呼んでくれた。そして最後に一言こう言われた。
「お兄ちゃん美味しい所へ連れて行ってな、お兄ちゃん持ちで」だと。
でも全然悔しくも腹立たしくも無い、それより久しぶりに会えることの方が優っているからなのかもしれない。 任せとけ・・・

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2019年05月15日

人は財産

昨日一昨年から始めた会社の定例会に行って来た。
私の本業は歯科医であり会社経営なんか全くの素人だから気心の知れた?信頼できる?後輩に社長をお願いして私はそこの会社のオーナー代行という立場で参加した。
会社もいろいろあって大企業から社員数名の家内工業的な会社まで、それぞれがその地位に見合った仕事をしている。今回の定例会は会社発足からの現在に至るまでの経緯とこれからの経営方針の確認。そう言えば如何に仰々しく聞こえるが毎月行っている会社に私が初参加すると言うもの。社員は緊張していたが、中には初めて会う社員も居て最初は緊張しっぱなしだった。それはお互い様だったが直ぐに打ち解けて話の輪に参加した。しかし今どきの若い子たちは我々の時代とは違ってほめて育てるだの、自主性を重んじるだの言われるがやはり一筋縄ではいかないのが沢山いる。
何でも怒られたことが無い連中で上下の遠慮が無いと言うか友達感覚のままで仲間意識が強い。後輩の社長がその最たるもので怒るより先に手が出た我々の世代でありながら良く我慢していると思う。社長がアクセルを踏む時は私がブレーキを踏む係でまたその逆もある。サラリーマンは給料が一定していて毎月の上下が無い。我々は仕事をしないとお金が入って来ないから良い時は良いが悪い時はマジで心配になってしまう。IT企業ではないから出来高払いとかは無いがこの不況時に有難いことに仕事が沢山あって増員するかどうかが今回の議題に一つだった。正規社員非正規社員が云々言われるこのご時世、来てくれるだけでも有難いのに今はアルバイトで過ごしている連中も増員する時は直ぐにでも力になってくれる頼もしい連中たちだ。そんな連中たちにも昨年末の忘年会や新年会には参加してもらった。
向こうは社員でも無いと遠慮していたが、一度は一緒に働いた仲間だと社長から声をかけて貰って直ぐに参加を決めてくれた。勿論費用はこちらもちだし、その上お土産付だから大いに盛り上がった。
今回の会議に参加してつくづく思ったことだが若い若くないは関係ないと言うこと。よく言うではないか出来る出来ないではない、やるかやらないかだと。
その社長は私の後輩だが一言で言うとこいつは「人たらし」だと言うことだ。
人心掌握が非常に上手だ。クレームがあってもこいつが出て行けば最後は丸く収めてしまう。そしてコイツの信条は「人は財産」だそうだ。そう思ってもなかなかそれが出来ない。そこだけは見習いたいものだと思っている。その他は見習いたくはないが・・・

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2019年05月14日

親子って似るものなんだとつくづく思ってしまった

昨年より診療所の私の机の横の棚に神棚を作った。作ったと言うより作っていたと言った方が正解か。先代が今の診療所を作った時に熱心に神棚に榊や塩や酒やお米をお祭りしていた。私の代になって少々疎かにしていたが、昨年のいつからか忘れたがコレを復活させた。同様に家の中にもリフォームと称して部屋の改装をした時に今までは無かった神棚を作って貰った。リフォーム自体は家人も高齢になってバリアフリーにしないと危ないと言うことと、昨年の大阪を襲った台風で屋根や外壁の一部が損傷して大工さんに入って貰った時に一緒にいろいろと手直しした。
玄関の石段も高齢者には危険だと言うことで手すりを付けたし、車いすだと1センチの段差も危険だと言うことで廊下から各部屋に入るのにその段差を少なくしてもらった。何よりリビングにはこの家に似つかわしくないほどの大きさの神棚を作って貰った。昔私が子供の頃には小さな神棚があった。家人が荒神さんをお祭りしていたように思ったが、いつの間にかそれさえもしなくなった。座敷の仏壇はそれこそ毎日のお参りは欠かさないが、と言ってもお茶と白湯を備える位だった。
私もその家人と同じくらいの歳になったら何故か急に仏壇にも神棚にも興味ではないがしないと落ち着かなくなった。しかし今までは無知と言うか知らないで行っていたことが本来はちゃんと仕方があって今思えばお恥ずかしいくらいだ。
御札をお祭りするのに中央に神宮大麻、向かって右側に氏神神社、左側に崇敬神社と決まっている。そして左から水、酒、米、塩の順に並べていく。
それをし出してどうだろう、部屋の気が変わった。何だかどんよりとしていた部屋の空気がすっきりと澄んだ様に思えた。同じく診療所にもあった神棚にも家と同じとはいかないが御札を祭り、水、酒、米、塩を並べ両サイドに榊をお祭りした。
神様に何々をお願いしてもそれはこちらがちゃんとしないと意味が無いと言われ、「今日も一日無事に過ごせますように」とお願いをして仕事を始めるようになった。心願成就とまではいかないが今の時代やっとの思いで仕事にあり付けるかどうか分らないご時世、ちゃんとやって来れるのも神様仏様のお導きだと自分に言い聞かせている。確か親父も同じ事を言っていたような記憶がある。
私もそんな歳になったのかと思ってしまった。そうか、そう言えば来月は親父が亡くなった歳の同じ月になるからか。もうそんな歳になってしまったことに驚きを隠しえなかった。

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2019年05月13日

梅雨もまだだと言うのに暑さだけは夏になった・・・

平成から令和へ半月が経とうとしている。まだ違和感が結構ある。
週末の診療時に大正14年生まれの方が来た。昭和くらいだと計算しやすいが大正は何年までだったかとか、昭和は何年まで、平成は・・・と考えると西暦表示は分りやすくて良い。我々昭和生まれは子供の頃から明治、大正、昭和と三世代だとよく分かったが、その方の場合明治、大正、昭和、平成、令和とややこしくなる。
ご本人はそんなこと分っていらっしゃらないが付き添いの家族の方も当然我々世代の大先輩、最初はその方の診療と思っていたが新患で受け付けをしに来られた。
患者さんは今トイレだそうで付き添っているのがそのお孫さん。車で来られてビルの下で待っている方がそのお孫さんの子供さん。段々とややっこしくなってきたが要は大正、昭和、平成の三世代で来られたことになる。
勿論、新患受付の用紙は今だM,T,S,Hのままだ。直ぐにRの印刷は要らないがもしもそんな患者さんが後数年後に来られたら暫くは判子で賄うか?
年に一人か二人しか子供の患者さんは来ない診療所、もしも令和生まれの患者さんが来るころには私は診療しているのか?つまらないことに気を遣ってしまった土曜日の診療だった。
今日は天気も良いし気温も上がる予報だ。今現在もガンガンエアコンはついている。
週末に水をあげた観葉植物も水が渇いた状態で週明けを迎えた。
これからはたっぷりと帰りに水をあげて帰ることにしよう。毎朝、2リッターのペットボトルが2本空になるくらいの量が朝晩になると4リッターの量になる。
それくらいの日が9月か10月初めまで続くことになる。

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2019年05月10日

楽しみだ・・・

今朝もまた快晴な一日になりそうだ。気温がどんどん上昇していく予報が出ている。
となると、エアコンのスイッチが朝から入れ帰るまでフル稼働することになる。
本日は久々に連れたちとの令和最初の食事会がある。前回も前々回も私用で参加できなかったから。皆から「どこか悪いんか?」とか「何か会えない事情でもあるのか?」とか野次馬根性丸出しで言ってくる。こいつらとは月一で会っていたが不参加な場合は不参加費を徴収される。それで次回分の皆の負担を少しでも軽減する狙いがあった。それも二度続ければ倍付で払わねばならない。だから絶対に休めないのだ。
それなのにこの私が二度続けて休んだから二度目なんかは私の事などほったらかしで飲めや歌えの大宴会になったとか。残った金額は繰越で幹事が持ち回りで積み立てている。前回ですでに10万円を超えたとか。だから綺麗に清算する意味で飲めや歌えの大宴会になったとか。それは決まったルールだから仕方がないにせよ、持ち回り幹事だから不正のしようが無い。店は幹事が決めれる。その時の食べたいものとかを幹事の独断で決めれるのが幹事の特権。寿司が食べたけりゃ寿司に、肉が食べたけりゃ肉にと。かれこれ何年も続いているがほぼ食べたいものも食べつくした感があって、たった一つ前回の料理の種類を被らないと言うのがある。二度続けて寿司とか、肉とか。休んで不参加費を取られるのが嫌な奴もいるし。食べたくないもので不参加にする奴もいる。だから当日まで発表はしない約束になっている。しかし大体の傾向がある。皆が喜ぶ?かどうかは分らないがいろんな種類が揃っている居酒屋はその限りではない。今までで一番受けたのが何を隠そう町にある小さな駄菓子屋のたこ焼きだった。3人も座れば満杯の所に5名の参加者があって、店の前にパイプいすを持ち出してたこ焼きを食べつくすと言うものだった。
いつもは子供が小銭を手に握りしめて食べに来るお店だ。その店も我々が子供の頃からあって皆がお世話になったお店。だからそこの名物婆さんが亡くなる前にと皆がお礼も込めて店の閉店時間後に貸し切りでたこ焼きパーティーをした。ここでも飲めや歌え?で大の大人がワイワイガヤガヤやったものだから、そこの婆さんに
「あんたら、昔と全然変わらんね」と言われる始末。還暦を過ぎた連中が食べ放題、飲み放題で使ったお金が確か2万円弱。たこ焼きも美味しかったが店の駄菓子や懐かしいものも沢山食べた、いや食べつくして最後にはこう言われた。
「あんたら、明日来る子供たちの分は置いておいてや」と。そりゃそうだ。
子供たちが楽しみにしているのを壊す訳にはいかなかった。だから次の日のそこの店の定休日にそいつらと一緒に卸問屋に出かけてワンサカ買ってそこの店に送っておいた。オバぁの驚く顔が目に浮かぶ。
そんな悪戯づきの連中の集まりが今晩行われる。 楽しみだ。

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2019年05月09日

事故は向こうからやって来る・・・

昨日のニュースで皆さんもご存じのあの悲惨な交通事故のニュース、保育園の園児が巻き込まれる大事故が琵琶湖畔の道路で起こってしまった。どの局のニュースでも同じ内容だったが夕方の園の会見でも毎回同じような質問がされていることに違和感を感じた。園としては当たり前の様に前後左右を教員が囲んで交差点の後ろに並ばせて安全確認をして横断歩道を渡っているはず。なのに何処かの記者が「安全確認をしていましたか?」とかあまりにも無神経な質問をしているのに少々違和感を覚えた。
当医院の近くにも保育園があってビルの前をそんな子供たちが信号待ちをしている光景をよく見かけるからだ。当診療所は2階にあるから信号待ちをしている子供たちを見ることがよくある。そして何分かして向かい側にある公園へ散歩に行くのだろうけれど、帰りには道路の反対側に立って並んで横断歩道を渡る時に手を上げて順番に渡って行く姿に何人かの子供たちがこちらの姿を見つけると手を振ってくれる。
そんな日常を見ていて今回の事故は子供たちには何の罪もないはずだ。
運転手も誰も事故を起こそうと運転しているはずは無いがそれでもこういった事故は起こってしまう。飲酒運転や信号無視は言語道断だがチョットした心の隙間を付いた事故だとしてもまだ2歳と言うことを考えてみても身体の傷も心の傷も並大抵なことではなかろう。引率している先生たちのショックも相当あろうと思う。
最近、こう言った事故はよくニュースになる。でもなかなか無くならない。
大の大人が車にぶつかるだけでも勝ち目はない、それがまだ2歳児にとってたとえ軽自動車と言えども大人の目線で言えばトラック感覚の大きさだったろう。
いろんな意見があるとは思うが私にとっては非常にショックな出来事だった。
これから検証されると思うが亡くなった子供たちは帰って来ない。怪我をした子供たちは一生残る傷を負う。それに心に残る傷はどうして癒していくのか。
それに引率の先生たちはなおの事それぞれに不幸がのしかかってくる問題だ。
たった一瞬の気の緩みが起こした事故だが、その傷跡は思っているよりも大きいと思う。皆さんくれぐれも事故には気をつけようではありませんか。そう願わざるを得ない気持ちになってしまいました。

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2019年05月08日

これからが地獄の1丁目なのだ

一点の雲も無い快晴の朝だ。少々朝の冷え込みはあるがこのくらいはどうってことが無い。それより天気予報では昼から気温がどんどん上昇して夏日になる予想が出ていた。いよいよエアコンがフル活動する気配だ。そうなると身体に変調をきたししょっぱなから風邪をひくのが例年のならい。汗をかいたからだが冷房で気化熱が奪われてその時は気持ちが良いがその後冷え込んで風邪様の症状になる。困ったものだ。
患者さんは来院されると決まって「涼しくて気持ちが良いですね」と言われる。
しかし中に居る我々はそんな中にずっといるからたまったものではない。酸素の少ない水槽の中の熱帯魚よろしく口をパクパクはしないが何時間に一度は廊下に出るかトイレに立った時に窓から顔を出して外の空気を吸うことになる。そのようにして温度調節をしている。タクシーの運転手さんの様に狭いエアコンの効いた中に居ると冷えで腰痛が起こるのと同様だ。受付横にあるエアコンのスイッチを気が付けば温度を上げるか冷房から送風に切り替えるが、受付の子は暑がりなのか直ぐに送風から冷房に切り替える。その攻防が毎日のように続く。前に一度院長席に座らせて見たことがある。「ここに座ってみたら直にエアコンの送風口が当たるやろ」と言っては見たが、受付の席に座れば昼からは特に西日が差しこんできて温度が上昇している。だから受付に座れば昼からは無茶苦茶暑い。
私の席は寒い、受付の席は暑い、困ったもんだが、横に付いている子はそのどちらでも無く平気な顔をして仕事をしている。
中々どちらもOKな場所は無い。そんな事がこれから半年は続くことになる。
今受付の子が来て早速エアコンを入れ始めた。目の前のダクトから冷風が来る。
今はまだこのくらいは我慢が出来るが昼からこの調子ならきっと我慢が出来ずにスイッチを触りに行くことだろう。う~~んこれこそ我慢比べだ。

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2019年05月07日

今年の正月に続き二度目の仕事始めのような感じ・・・

長い長いGWが終わった。待ちに待った仕事が始まる。
このGW中3度診療所にやって来た。ビルが閉まっていて通用口から入ったが偶々鍵を開けて診療所に入ろうとした時お隣さんと鉢合わせ。如何やらGWは関係なく仕事をされていたらしい。羨ましい?限りだ。その3度の内1度は患者さんからの緊急要請で後の2度は室内の観葉植物の水やり。待合室と診療室の中にはクワズイモとサンセベリアが鉢の中でお水を欲しがっている。そして誕生日に貰った藤の盆栽。コレは花が咲き終えて枝が伸び放題、その上非常に水を消費する。陶器の皿を受けているがその中に溢れるほど水をやっても1日で水が無くなってしまう。本当は一日おきくらいに水やりに来たかったが今回の連休は何だか用事が立て込んでいてなかなか時間が取れなかったから3日に一度の水やりになってしまった。
本当はこんなに休みが続いたら机の周りを片づけようとか、要らない本の整理をしようとか連休前はいろいろ考えたが結局やらず仕舞いだった。
連れの中にこの連休に旅行に行った奴らが何人もいた。海外組も国内組もこんなに長い休みは初めてだと言っていた。しかし連休中の旅行でもあり中々直ぐには取れないと言っていた。平成から令和へと国内に居るとその移り変わりがすごく分かる。でも海外に行っていて連休最後に会った奴らにはそんな感動は無かったみたいだ。新しい令和の時代平和と戦争のない世の中になることを皆が願い、期待を込めた一般参賀をテレビで見て何だか正月のような、いやそれ以上の新鮮な気分になったのは私だけだろうか。今までの元号が変わるのは天皇の崩御で御世が代っていたから生前退位はこんなにも喜ばしいことだとは思いもしなかった。
毎日、毎日ニュースで見ていて若い人達が多く参賀に来られていると聞きこの国もまだまだ捨てたものではないと感じてしまった。さぁこれから仕事に取り掛かるとしようか。

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